第5話 フォルク・ロドニール
「やっと着いたか~」
ティファが二つのダンジョンを崩壊させた翌日の昼前。アルト国際空港。
長旅を終えた一人の青年が、荷物の受け取りカウンターで伸びをしながらそうぼやく。
彼の名はフォルク・ロドニール。ユウの後輩で、つい先日退団した鉄壁騎士団員である。
元鉄壁騎士団員と言ってもユウと違って表情が豊かで、人好きがする人物だ。
その優男風の容姿と相まって、理想の騎士として若い女性に大層もてそうな男である。
「さて、まずは先に昼飯にするか、それともユウ先輩がいる麗しき古硬貨亭だったかに行くべきか、それが問題だ」
出てきた荷物を回収しながら、そんなどうでもいいことを悩むフォルク。
もっとも、所詮大した悩みでもないため、すぐに行動を決めて動き出す。
「すみません、ちょっといいですか?」
インフォメーションカウンターのお姉さんに、明るい表情で声をかけるフォルク。
どうせ初めての街なのだからと、いろいろ訊くことにしたのだ。
余談ながら、ユウはわざわざ情報収集などせず、何となく冒険者っぽい連中が多いところを適当に歩き回って麗しき古硬貨亭にたどり着いている。
「はい、どうしました?」
「麗しき古硬貨亭ってお店、分かりますか?」
「ええ。有名なお店ですので大丈夫ですよ」
フォルクの質問に、にこやかにそう答えて地図と写真を取り出すお姉さん。
ペンで地図に空港と麗しき古硬貨亭の位置をマークしながら説明を始める。
「今いる空港がここで、麗しき古硬貨亭がこちらになります。この道はそこの入り口から出て歩道に沿って進めばあります。大きな道ですので、細かい脇道は無視してください。曲がる交差点の目印として、大きな猫の看板の雑貨屋さんがありますので、その雑貨屋さんの前の道を左に進んでください。麗しき古硬貨亭の外観はこの写真になります」
「了解。てか、この大きな道に出るまで、空港の敷地内なんじゃ?」
「そうですよ」
フォルクの疑問に、にこやかな笑顔を崩さないままあっさり言い切るお姉さん。
空港の建物の前はバス停や車寄せのためのロータリーのほか、納入業者が出入りするための脇道などが多数あり、敷地から出るまでに数十メートル歩く必要がある。
その脇道につながる道の中に、非常に紛らわしいものが二つほどあるため、お姉さんが注意を促したのだ。
さすがに地図にはその手の細かい道は記載されていない、というより私有地内の私道なので記載されるわけがないのだが、知らないと勘違いしそうになるぐらいには紛らわしかったりする。
「そういや、ここって遠いですか? 遠いんだったら、どこか別のところで何か食べていこうかと思うんですけど」
「そうですね。私自身は空港からこのあたりに歩いて行ったことがないので正確なことは言えませんけど、多分三十分はかからないんじゃないかな、と思います」
「三十分かあ……」
説明を聞いて、少し悩むフォルク。
昼食にはやや早い時間なので、迷わずに到着できればちょうどいい時間と言えなくもないが、本当に三十分で到着するのかどうかもはっきりしていない。
が、所詮はたかが昼食の話。フォルクは割とあっさりと結論を出す。
別に何時までに行かなければならない、という類でもないので、状況を見て決めることにしたのだ。
「せっかくだから、このルート上でおすすめの店とかあったら教えてください」
「分かりました。そうですね……」
お姉さんからおすすめのお店をいくつか聞き出し、ほくほく顔で空港を出ていくフォルク。
「さて、今日はトライオンの美味い飯にありつけるか?」
教えてもらったおすすめの店一覧を見ながら、そんなことをつぶやくフォルク。
こうして、フォルクの第二の人生は始まりを告げたのであった。
「いらっしゃいませ~」
入ってきた客に、笑顔で声をかけるカレン。
昼過ぎの麗しき古硬貨亭は、客の入りが半分といったところであった。
「ここって、お昼は食べられる?」
「日替わりのランチセットでよければすぐ出せるよ。それ以外はちょっと時間がかかるかな?」
「じゃあ、その日替わりで。あと、ユウ先輩って、ここに住んでるんだよね?」
「うん。もしかして、お客さんが今度来るって言ってた、ユウさんの後輩さん?」
「ああ。フォルク・ロドニールって言うんだ。よろしく」
そう言いながら、カレンに翼の生えた盾のタグを見せるフォルク。
「これからよろしくね、フォルクさん。ようこそ、麗しき古硬貨亭へ!」
それを見たカレンが、接客用のものとは違う笑顔で歓迎の言葉を告げる。
その笑顔に、思わず見とれてしまうフォルク。
そんなフォルクの様子に気が付かず、厨房の父に注文とフォルクのことを伝えに行くカレン。
「よう、青年。カレンの嬢ちゃんに惚れたか?」
カレンが立ち去るのを待って、飲んでいたコーヒーを片手に席を移動し、フォルクをからかい始めるバシュラム。
その傍らには、同じぐらいニヤニヤしているベルティルデの姿が。
「……正直、惚れた。けど、さすがに今日初めて会ったばかりで、今さっき一言二言やり取りしただけなのにそれを言うのって、ちょっとなあ……」
「そうか。いろんな意味で安心したぞ、青年」
「ユウがあんなのだから、またしても恋愛的な意味でどうにもならない感じの人が来るのかと心配してたのよね」
「あと、漏れ聞こえてくる話から鉄壁騎士団の連中ってのは色恋沙汰に疎そうだから、会ってすぐに強引なプロポーズに走るような先走り野郎が来る可能性も危惧はしてた。何せ、カレンの嬢ちゃんはあの通り美人でいい女だからな」
「あ~……」
バシュラムとベルティルデの言い分に、反論の言葉も思いつかず天を仰ぐフォルク。
総じて一般常識というものに疎く浮世離れした集団である鉄壁騎士団だが、特に色恋沙汰に関してはそのあたりがひどい。
主に気功の修業内容に含まれる性欲の制御が原因ではあるが、そこにハニートラップ対策のための教育あれこれが重なって、男女関係なくまともな恋愛というものが分からない隊員が続出しているのである。
「まあ、マスターや他の連中はともかく、俺とベルティルデは横からごちゃごちゃ口挟む気はねえから、心配すんな」
「そうそう。私達より、当の本人を口説き落とすのが最大の難関だって分かってるんだから、外野は黙って新しい恋模様ってやつを楽しませてもらうわ」
「俺の品定めはいいのか?」
「さっき、いろんな意味で安心したって言っただろ?」
バシュラムのその一言で、どうやら一応は合格をもらえたらしいと悟るフォルク。
そこで、よく考えたらお互いに自己紹介を一切していないことに気づく。
「そういや、自己紹介がまだだったよな。俺はフォルク・ロドニール。先月まで鉄壁騎士団の団員だった」
「俺はバシュラム、こっちはベルティルデ。この店で一番古い冒険者だ。同世代の生き残りはほとんど引退しちまったから、そろそろ俺も考え時なんだがなあ……」
「本当はそんな気ない癖に」
「いやいや。そろそろ体がついてこなくなってきてるから、本気で引き際は考えてるぞ? ついでに言うと、ユウがこっちに居座るようになったから、いい加減ここを引き払って家でも持つべきじゃねえか、とも思ってんだぜ?」
「仮に冒険者を辞めたとしても、ここを引き払うのも後輩たちをしめる役目を辞めるのも、今更無理じゃないかしら?」
老後のことを考えているとほざきだしたバシュラムに対し、ベルティルデがそんな冷静な突っこみを入れる。
実際問題、今更バシュラムが冒険者を引退して引っ越すと言ったところで、誰も素直にそれを許してはくれないだろう。
冒険者に関しては年齢的に引退は可能かもしれないが、麗しき古硬貨亭を引き払うのは、マスターとカレンが全力で引き留めるのは間違いない。
これに関しては心情的にも実利的にもバシュラムがこの店に住んでいるということが重要なので、引き留められるなら宿代その他を全て無料にしてでも引き留めるだろう。
「ってことは、俺も今後困ったことがあったら、基本的にはバシュラムさんに相談すりゃいいってことだな」
「いや、そこはまず、マスターに相談しろよ」
フォルクの発言に、即座に突っこむバシュラム。
冒険者同士の揉め事とかならまだしも、日常生活での困りごとやら手続き関連やらは、バシュラムではなくマスターやおかみさん、カレンの担当である。
「で、ユウ先輩の弟子のお嬢ちゃんは学校だとして、ユウ先輩は?」
「今朝出現したダンジョンから異様な気配がするって報告があってな、魔神が湧いてないか確認しに行ってる」
「なるほど。そういや、この街の周辺って今、偶発ダンジョンが大量発生してるって言ってたなあ」
「ちなみに、去年トライオンの歴史上初めて出現した魔神も、偶発ダンジョンから出てきたんだぜ」
「今にして思えば、あのダンジョンって今回の大量発生の前兆だったんじゃないか、って気がするわね」
「だなあ」
フォルクに問われて本日のユウの行動を教えるついでに、そんな情報を伝えるバシュラムとベルティルデ。
もはや終わったことなので、いまさらその話をしてもあまり意味はない気もするが、フォルクはつい先日まで鉄壁騎士団に所属していた男だ。
偶発ダンジョンや魔神についてはバシュラム達より詳しいはずだし、何よりユウが抜けた後に得られた新しい情報を持っている可能性がある。
どれほど今更で細かい情報でも、知らないよりは知っている方がいいに決まっている。
「なるほどなあ。俺は階級的にも経歴的にもユウ先輩ほどそのあたりの情報に触れてないから、正直それを聞いてもなんとも言い難いところなんだけど、気になることがなくもない」
「ほう? そりゃまたどんなことだ?」
「先輩が戻ってくるまで、その辺の話はちょっと待ってほしい。意見のすり合わせもしたいし、多分だけどこれ、お館様や団長達にも報告しといたほうがいい話だと思うし」
「なるほどね。やっぱり、ユウが抜けた後何かあったのね」
「そりゃ、二年もあればいろいろ起こるさ。ただ、さっきも言ったように、俺は平の隊員だったから、触れてない情報も結構あるはずなんだ。そのあたりを先輩に確認しながら、って感じ」
「そういう事なら、ユウが戻ってくるのを待つか。あいつも、何か新しい話を持ってくるかもしれねえしな」
今すぐに話を進めない理由を口にしたフォルクの言葉に、あっさり納得してユウが戻るのを待つことにするバシュラム。
ベルティルデも特に異存はないようで、待ち時間の間もう一杯飲み物を頼むかどうかメニューを見ながら迷っている。
「お話は終わったようですな」
そこにマスターが、フォルクの昼食を手に声をかけてくる。
「こちら、本日の日替わりとなります。食後にノンアルコールの飲み物を一品お持ちしますので、お好きなタイミングでお申し付けください」
「ありがとうございます。あ、そうだ」
「どうかしましたか?」
「現当主からの伝言です。一度ぐらいは妹を連れて顔を見せろ、だそうですよ、前ウェイルロード伯爵」
「ふむ。カレンは伯爵家の籍からもう抜けているはずですが……」
「籍がどうであれ、可愛い末の妹ですからね。それに、ウェイルロード伯爵家は去年、新たに娘と孫が生まれたそうで、先代に曽孫の顔ぐらいは見せたいとのことです」
「曽孫はともかく、新たな孫ですか。息子夫妻もとうに四十を超えているはずですが、血は争えないということですかな」
フォルクの言葉に、しみじみそんなことを言ってしまうマスター。
ちなみに夫婦ともに割と若く見えるが、マスターは今年七十、おかみさんもそろそろ六十の大台に乗りそうな年である。
この年齢からも、カレンが結構な高齢出産だったことが分かる。
「まあ、当主夫妻が健康で仲がいいのはいいことです」
「そうだなあ」
新たな孫の誕生、その背景をそう評したマスターの言葉に、違いないとうなずくバシュラム。
子供が生まれたということはすることをしているわけで、仲が良くなければあり得ないと言える。
もっとも、それは夫婦ともに浮気の類をしておらず、正真正銘当主夫妻の子供であれば、の話だが。
「そういえば、マスターの家族について、ちゃんとした話を聞いたことはなかったわね」
「訳ありっぽかったからなあ」
これまでの話の流れに、ふとそんなことを言うベルティルデ。
マスターとはもう二十年ほどの付き合いとなるが、案外こういう話はしてこなかったのだ。
もっとも、他国の貴族の当主が、わざわざ引っ越しして冒険者の酒場をやるなど、どう考えてもろくでもない背景が潜んでいるとしか思えないので、深く追及しないのが当然と言えば当然であろう。
そんなことを話していると、入り口のドアが開いてティファが入ってくる。
「ただいま」
「あら、ティファちゃん、おかえりなさい。早かったわね」
「ダンジョンの方でいろいろあったらしくて、今日は午後の授業が中止になったんです」
「そうか。ってことは、ティファの嬢ちゃんも、この後出ていくことになるのか?」
「そこは、ユウさんの判断次第になりました」
「ああ、そりゃそうよね」
妙に早く帰ってきた理由について、ティファの説明を聞いて納得するベルティルデ。
ミルキーとロイドが居ないのも、恐らくそのあたりの事情が絡んでいるのだろう、とあたりをつける。
「あの、それで、そちらの方は?」
「ああ、ユウ先輩の元部下で、フォルク・ロドニールって言うんだ。これからしばらくここに住むことになるから、よろしく」
「ティファ・ベイカーです。ユウさんの弟子として鍛えていただいています。これからよろしくお願いします」
お互いに自己紹介をしあうフォルクとティファ。
この時、ティファの方は特に何も思うところはなかったが、フォルクは内心でいろいろと予想以上だったことに驚いている。
一番最初に驚いたのは、その容姿の幼さとちぐはぐさ。
確かに身体は年齢よりもかなり発育がいいが、顔立ちはむしろ十歳よりも幼く見える。
その発育もあくまで年齢からすればというだけで、成人女性の平均を超えている胸以外はまだまだ子供だとしか言えず、とてもユウのしごきについていけるようには見えない。
そんな身体に詰め込まれた、誤魔化しようのないほど膨大な、いや、膨大過ぎて一定水準を越えねば逆に感知できなくなるほどの魔力。
そんなちぐはぐな組み合わせに、よく今まで事故が起こらなかったものだと心底驚くしかない。
ユウが危機感を覚えて鉄壁騎士団に助けを求めるわけである。
「で、話を戻すとして、私達も店が出来たころからいるけど、よく考えたらマスターの家族とか、移住して冒険者の酒場を開いた経緯とか、全然知らないのよね」
「そうなんですか?」
「ええ。訳ありっぽいからあえて突っ込んだ話はしなかったんだけど、もう二十年ぐらいたってるから、そろそろ話を聞いても大丈夫かなって思うのよ。どうかしら?」
「そうですな。別に隠しているわけではありませんし、大した事情でもありませんからな。いい機会だからお話ししましょう」
ベルティルデに問われて、苦笑しながらマスターがそう告げる。
「もっとも、どこから話したものか、という感じではありますが」
「だったら、家族構成から説明したらどうかしら?」
自身も関係あると察したか、全員分の飲み物を持ってきたおかみさんが、そう口を挟む。
その提案を聞いて、ならばと一つうなずいて説明を始めるマスター。
「では、まずは家族構成から。と言っても、私の兄弟は全員子供を残さず他界しており、他の親族ともその時に縁が切れておりますので、必然的に妻と子供、孫しかいないわけですが……」
と、そこまで話したところで言いよどむマスター。その代わりを引き受けるかのように、あっけらかんとした態度でおかみさんがマスターの代わりに説明を続ける。
「実は私、この人の後妻なの」
「「「えっ?」」」
あっけらかんとした態度で放たれた、予想外の情報。それを聞いて固まるバシュラム、ベルティルデ、ティファ。
なお、このあたりの話は社交界でちょっと調べればすぐ出てくる一種の公開情報であり、フォルクも手紙を渡されたときにウェイルロード伯爵家について基本的な情報は全て教えられている。
「最初の奥様が長男を生んですぐに亡くなってしまってね。その時行儀見習いに来ていた私がなし崩しに近い形で長男のお世話をしていたら、いろいろほだされてしまって夫の後妻として嫁ぐことになったの」
「……なるほど、それでマスターとおかみさんの年が結構離れてたのか……」
「そういう事なの。だから、一般的なイメージにありそうな先妻の子供と微妙な関係、というのは特にないわ。次男が生まれたのも長男が十歳を超えて、ある程度道理を理解するようになってからだし」
「そのあたりはむしろ、長女が生まれた時の方が揉めましたな」
「あ~、下の子に母親の愛情持ってかれた上の子が拗ねてぐれる、ってやつね」
「そうそう。次男と長女は微妙な年齢差だった上に、長男が初めての妹に舞い上がっちゃってたから余計にね」
自身の子供に対するマスターの補足に対し、やたら納得して見せるベルティルデ。
おかみさんも、当時のことを思い出しながらしみじみと語る。
「えっと、そういうものなんでしょうか?」
逆に、自身が末っ子でかつ実家が子沢山の家庭で、一番近い兄弟とも十歳近く離れているティファは、そのあたりの機微はピンとこないようだ。
村全体で見ても兄夫婦に子供ができるまで最年少で、しかもどちらかというと浮いていて他の子供と交流が薄く、さらには六歳でアルトに移住してきているので、お隣の一家以外で他所の家庭についてそういう話を聞く機会もなかった。
そのお隣の一家にしても、ティファの口から出てくるエピソードから察するに、あまりよろしくない雰囲気の家庭のようで、恐らく一般的な家庭の情報という意味では全く役に立っていないだろう。
そして、アルトに来てからは学校でも寮でも孤立しており、まともに交流があったのはリエラと各学年の時の担任、後はせいぜい似たような境遇のリカルドぐらい。
最終的に落ち着いた麗しき古硬貨亭は、言っては何だがマスター一家以外は家庭というものと縁遠い連中のたまり場で、実家と縁を切っている連中も多いので自分の家庭環境や家族の話など滅多に出てこない。
最後の希望はミルキーとロイドだが、こっちは今のところそういう話をする機会がなく、また、ミルキーの家がトライオンで一二を争う名家の本家でロイドがその分家、それもかなり本家に近い位置にいることが分かっているので、やはり一般的な家という意味ではあまり参考になりそうにない。
これで子育てだの親兄弟との微妙な関係だのについて理解できるようなら、その方がおかしいだろう。
「ティファの嬢ちゃんの立場だと、あんまりピンと来ねえかもしれねえなあ」
「ティファさんは、生活環境という観点ではかなり特殊な育ち方をしておりますからな」
いまいちわかっていない様子のティファに対し、そう理解を示すバシュラムとマスター。
正直、いろいろと不安になるほどいびつな育ち方をしているティファだが、下手に有名になってしまったこともあり、もはやアルトで、というよりトライオンで今の暮らしを続ける限りはどうにもならないぐらい、環境面では行き詰っている。
かといって、ガラッと環境を変えるためにベルファールなどエルファルド大陸の国へ移住するというのは、ユウの立場上難しいものがある上にそれがプラスに働くとは限らない。
なお、今ユウと引き離すというのは悪手もいいところなので、環境を変える手段としては最初から誰も検討していない。
移住も難しくアルト魔法学院に通う必要がありユウと引き離すこともできない以上、今後ミルキーたち以外にもティファのいびつな点を突っ込んで修正してくれる人物が現れる奇跡を願いながら、ティファが成人するぐらいまでは今の暮らしを維持するしかないのが現状である。
「で、今出てきた話をまとめると、マスターのお子さんはカレンちゃんを含めて二男二女の計四人、ってことであってるのかしら?」
「ええ。とはいえ、ベルファールに残してきた家族については、家督を譲った長男以外も、こちらに来た二十年前の時点で婿入り嫁入りが済んでおりますが」
「ここに来る前に教えられたことなんだけど、長男が嫁を貰った時点でとっとと家督を譲った、というより押しつけた挙句、子供が全員巣立ったらさっさと隠居して他国に移住した先代ウェイルロード伯爵は、貴族の間では有名らしい」
「古いだけで大した家でもありませんでしたし、もともと後継ぎとして育てられていたわけではありませんのでね。うまく取り繕えてはいたようですが、結局最後まで伯爵家の当主という立場にはなじめなかったのですよ」
フォルクが入れた補足説明のようなものに対し、ダンディに肩をすくめながらそう言ってのけるマスター。
それを聞いていたティファが、不思議そうな表情を浮かべる。
「あの、伯爵っていう身分がどれぐらいすごいのかはよく分かっていないんですが、それでも多分、いろいろと国にとって重要なことを知っていますよね? そういう立場である貴族の当主だった人が、他の国に移住して、大丈夫なんでしょうか?」
「マスターの移住先がトライオンじゃなかったら、まず許可は下りなかっただろうけどね。トライオンは別大陸な上に規模もまだ小さいし政治形態も特殊だから、割と簡単に許可が下りるんだ」
「もっとも、家の継承と嫡流の血筋が途絶えた時の対処を確実に終えておかねば、絶対に許可が下りませんがね」
ティファの鋭い質問に内心で舌を巻きつつ、貴族の移住に関する実情を説明するフォルクとマスター。
実際、貴族としては実質最下級の地位にある男爵や名ばかり貴族である騎士爵などはともかく、子爵以上になってくると、婚姻以外で他国へ移住する許可は簡単に下りないのが普通だ。
これはベルファールとその隣国で友好国のライクバーンのように、実質一つの国と言っていいほど仲のいい国家の間でも同じことで、むしろトライオンが例外と言っていい。
トライオンが例外なのも、結局のところは他国の貴族や高官を取り込んで機密情報を得ても、それを活かして工作する能力もメリットもないからというのが実際のところだ。
そもそもトライオンの場合、国土にまだいくらでも開拓の余地があり、そちらにリソースの大部分を持っていかれているため、新たな交易路を作り出す以外に他国と関わる余裕などない。
恐らく向こう数百年はこの状況が変わることはないだろうと考えると、少なくともティファ達が生きている間はトライオンに対するこのあたりの世界的な緩さはそのままであろう。
「そういや、マスターはもともと後継ぎとして育てられてない、って言ってたが、どういう事だ?」
「私は三男でして、あまり出来が良くなかったこともあって、貴族としての教育自体をさほどしっかりとは受けていなかったのですよ。礼儀作法に関してはさすがに伯爵家の人間として恥をかかぬ程度には仕込まれましたが、それ以外はほぼ何も教わっていませんで」
「なのに、当主になったのか。さっきの話と併せて考えると、上二人が子供を残さずに亡くなったってことになるが、一体何があったんだ?」
「いくつかの貴族領で腹を下すタイプの病が流行りましてな。幸いにして民にはそれほど大きな被害は出ませんでしたが、長兄一家も次兄夫婦もそれで逝ってしまいまして。当時軍で冒険者と似たような仕事をしていたところを、かろうじて一命をとりとめた父に呼び戻されて跡を継がされたのですよ。ちょうど、フォルク殿と同じぐらいの年の頃でしたな」
バシュラムに問われ、当時のことを話すマスター。
それを聞いていたフォルクが、もしかして、という表情で口を挟む。
「マスターが俺と同じぐらいの年、ってことは多分五十年ぐらい前って事だろうけど、もしかしてその病気ってメギル赤痢?」
「ええ。さすがにご存知でしたか」
「ああ。王家の血筋でも何でもないド平民だったうちのお館様が、本来ありえないはずの公爵なんて位を押し付けられるようになった、その遠因ともいえる病だからね。その原因も含めて、大体のことは教わってるよ」
「って、おい! クリシード公って、王家と縁もゆかりもないのかよ!?」
「ベルファールはその辺、結構特殊なんだよ。まあ、お館様だからこそ、強引に取り込むためにわざわざ前陛下が養子に取ってまで公爵家を立てた、ってのもあるんだけどね」
フォルクの口から飛び出した、かなり衝撃的な情報。その内容に、ますますクリシード公爵家という存在が理解できなくなるバシュラム。
生まれも育ちもトライオンで、マスター以外に貴族というシステムに直接的なかかわりを持ったことはないバシュラムだが、それでも一般教養として他国の貴族制度の概要ぐらいは知っている。
国ごとに細かいところは変わると言えど、バシュラムの知識によると公爵家というのは、建国当時に多大な功績があったか王家の血をひくものが独立したかのどちらかでのみ立てられる家のはずである。
いかに国を救うレベルの功績を立てていようが、建国当初ではない時点で本来ならあり得ない話だ。
「でもまあ、メギル赤痢だったらしょうがないか。マスターはいくつかの、って言ってたけど、実際には半分以上の在地貴族が断絶、もしくは三男以下を継承者として呼び戻すほど広がった病気だからね」
「あの、そんなにすごい流行病だったのに、一般の人にはあまり被害が出なかったんですか?」
「そうなんだ。っていうのも、原因がメギル貝っていう貝の毒で、これは一般庶民がほとんど食べないタイプの高級食材だったんだよ。ついでに言うと、お城でもあまり出されることのない食材だから、マスターみたいに家から出て庶民的な食生活をしていた貴族や城勤めの貴族は大丈夫だったんだ」
「高級食材だった、っていう事は、今は食べられていないんですか?」
「ああ。その一件で、毒を持つと致命的な猛毒になることが分かったからね。しかもたちが悪いことに、症状が出るまで数日かかる上に火を通すと一緒に調理した食材に濃縮された状態で毒素がうつるし、調理器具もよほど念入りに洗わないと毒が抜けないんだ。だから、あの年メギル貝を食べた家は当主一家だけでなく、使用人や料理人たちも大半は亡くなってる」
「でも、その前はそれなりに食べられていたんですよね?」
「貝毒ってのは、年によって持ってたり持ってなかったりするんだよ。だから、アサリやハマグリみたいなよく食べられてる貝でも、たまに貝毒での食中毒で死人が出てるしね」
「メギル貝は、その性質が特に酷かった、ということでしょうか?」
「そうなるね。貝毒だってわかったのも一年ぐらい経ってからだし、最初期は原因が特定できてなかったから魔法での治療もなかなかうまくいかなかったらしいし」
貝の毒について初めて知る話に、そんなこともあるのかと感心するティファ。
トルティア村では買わなければ食べられる貝類が手に入らない関係上滅多に食べることがなく、学院ではそういう知識はまだ学んでいないため、食用の貝についてはほとんど何も知らないのだ。
余談ながら、マスターの父が一命をとりとめたのはその年にメギル貝を食べたのが一度だけだったため、ぎりぎり致死量にならず何とか耐え抜いたのだ。
似たような理由で家宰や領地の重要人物が生き延びたため、ウェイルロード伯爵家はどうにか無事にマスターへ諸々継承することができたと言える。
「メギル貝がなぜそこまで猛毒を持つようになったのかっていうのも一応分かってはいるけど、今更な上に長い話になるから今日は端折らせてもらうよ。俺も今日からここに住むから、興味があったらいつでも聞いてくれたらいいよ」
「はい。そういえば、フォルクさんはユウさんが鉄壁騎士団にお願いしてきていただいた人なんですよね? それって、どういう立場になるんでしょうか?」
「細かいことはこれからマスターやおかみさんと話し合って決めるけど、基本的にはここの従業員として住み込みで働く予定。ユウ先輩と同じで、騎士団の方は予備役ではあっても完全に退団してるからね。せいぜい、年金に色付けてもらう代わりに、こっちで起こったことを定期的に連絡するぐらい」
「そうなんですか。やっぱり、冒険者は無理ですか?」
「それだけ気脈にダメージを受けていれば、さすがに冒険者は厳しいだろう」
ティファの言葉に、フォルクの代わりにいつの間にか戻ってきていたユウが答える。
「ずいぶん手ひどくやられたようだな」
「最初に出た連中を仕留めきる前に、追加で中級を呼ばれちまってね。攻撃避けると街を巻き込むからしょうがなしに防御して耐えようとしたら防御を抜かれて、高濃度の呪詛弾が丹田まで届いて気がついたら気脈がズタズタになってた」
「そうか……」
「防げたはずの攻撃なんだけど、防御の出力が足りなくてぶち抜かれた。純粋に俺のミス」
ユウが抜けた負担が、などと考えさせないよう、正確に事情を伝えようとするフォルク。
実際、フォルクがやられた時、任務には十分な人員も居たし、フォルク自身もベストに近いコンディションだった。
出てきた魔神の数こそ最初から中級三体とかなり多かったが、戦闘も特に誰かに極端な負担がかかるような流れではなく、圧倒的に有利な流れで一方的に制圧できていた。
なので、いくらとっさの行動だったとはいえ、十分に防御力を上げなかったフォルクのミス以外の何物でもない。
しいて他に問題があったと言うなら、相手が中級を何体も呼び出すほど準備を整えていたことを把握できていなかった、諜報部の情報収集不足だろう。
「あの、その気脈のダメージって、治せないんですか?」
「ここまで行くとな~……」
「腕のいい軟気功の使い手なら多少は治療できるが、それでも十年ぐらいかけてようやく浅い亀裂を全て埋められるぐらいだろうな」
「そこまでやればかなり無理しても悪化はしなくなるだろうけど、丹田のダメージはどうにもならないだろうなあ……」
持って当然の疑問を口にするティファに対し、正直に実情を告げるフォルクとユウ。
気脈というのは魔力の流路と同じく、体内に確固として存在している器官ではあるが、それ自体は非実体なので薬や包帯での治療ができない。
さらに言えば、魔力と違って気の扱いは極めてマイナーな技能のため、マナポーションのような回復アイテムの開発もほとんど進んでいない。
そのため、気脈のダメージは軽度でも自然治癒以外での治療が難しく、フォルクのような深刻な症例は手の施しようがないのだ。
「まっ、そういうわけだから、予備戦力ぐらいにはなれても、冒険者としてやっていくのは無理だ」
「そうですか……」
明るい笑顔で言い切るフォルクに、複雑な表情でそう返事するティファ。
まだ子供で善良な性格をしているがゆえに、どういう顔をしていいのか分からないようだ。
「フォルク、食事が終わったら奥へ来てくれ。いろいろ確認したいことがある」
「分かった。こっちも知っておきたいことがあるから、そうだなあ……。やっぱりベテランのバシュラムさんかな?」
「そうだな。バシュラムさんも、情報交換に付き合ってほしい」
「おう。ティファの嬢ちゃんはどうする?」
「恐らく、知らないほうがいい情報が混ざってくる。まずは内容の切り分けをしてからにしたい」
「了解。っつう訳だから、嬢ちゃん。悪いが、俺たちが呼ぶまでおとなしくここで勉強でもしててくれ」
「はい!」
バシュラムの言葉に、素直にうなずくティファ。
自分が子供であることも、世の中には守秘義務や機密というものが存在することも重々承知しているのである。
「悪ぃが、ベルティルデはこっちで待っててくれ」
「ええ。私だけじゃ対処できない事態が起こったら、すぐに呼びに行くわ」
「頼む」
緊急事態の対処をベルティルデに任せ、ユウとフォルクを伴って奥の部屋へ移動するバシュラム。
こうして、お互いにろくでもない話を聞かされる予感を抱えながら、二人の元鉄壁騎士とベテラン冒険者の情報交換が始まるのであった。
「まずは、フォルクが持ってきた話を聞かせてもらえるか?」
奥の応接室。
マスターが人数分のコーヒーを用意して退室したところで、盗聴防止の結界を展開してユウが切り出す。
「了解。っつっても、今の時点では大した話はないんだよな。確定してるうち重要なのは、夏頃にベルファールからの大使と一緒に団長か副団長のうちの誰かが来るって事と、状況によってはこの街の冒険者と一緒にヤバいダンジョンを間引く予定がある、ってぐらいかな?」
「ふむ。では、未確定のものは?」
「そっちは当日まで外部に漏らしちゃいけない類なんだけど、その大使ってのが第二王子か第三王女のどちらかになる可能性があるらしい」
「王族が来るのか。それなら確かに、当日到着するまでは黙っていなければならんな」
「まあ、うちの王族はお館様とかロイヤルナイツとかから英才教育受けてるから、下手に誘拐だの暗殺だの仕掛けようとしてもあっさり返り討ちにするだろうけど」
「うむ。地上にいる限りは、そう心配はいらんだろうな」
黙っていなければいけない、という舌の根も乾かないうちに、別に漏れても大した問題はないというようなことを言い放つフォルクとユウ。
その緩い判断に、思わずバシュラムがジト目を向ける。
「お前らなあ……」
「言っては何だが、陛下はともかく王子や王女ならば、空路を使わないのであれば移動ルートを隠す必要なんぞないぞ?」
「いくらベルファールの王子王女が魔神殺しだっつっても、さすがに飛んでる最中の飛行機を落とされて生きてられるほどは鍛錬してないからなあ」
バシュラムの突っ込みを潰すためか、衝撃的な事を言い放つユウとフォルク。
そのあまりに衝撃的な内容に、思わずバシュラムが叫ぶ。
「ちょっと待て! 王族が魔神討伐なんかしてるのか!?」
「ああ。年に一回程度、それも下級の中でも最弱クラスの奴だがな」
「腕と実戦の勘を鈍らせないため、以上の理由も意味もないよね、あれ」
「段取りやら何やらがいろいろ面倒ではあるが、フォルクのような事情もないのにせっかく身につけた腕をさび付かせることもないからな」
「いやだから、何で王族が魔神討伐できるような技量を身に着けてんだよ!? 求められてるのはそこじゃねえだろ!?」
至極もっともなバシュラムの突っ込みに、そういう話かという感じでうなずくユウとフォルク。
最近のエルファルド大陸の情勢を考えなければ、バシュラムの言葉に誰も異論はないだろう。
「確か俺が見習いを卒業していなかったころだから十年以上前の話だが、隣国のライクバーンで、継承権第一位の第一王女が魔神災害に巻き込まれてな。幸か不幸かお館様が運営している孤児院で育てられていた少年が王女の側にいて、相打ちに近い形でその魔神を仕留めたから王女は無事だったが、それを機に王族も最低限魔神から身を守れるようにした方がいい、という話になった」
「……それで実際にやっちまうあたり、ベルファールだよな……」
「お館様がおらず、鉄壁騎士団も存在していなければできなかったことではあるだろうがな」
「ちなみにその話は後日談があって、四年前にもう一度、今度はもっとえげつない形の魔神災害、っていうよりあれは魔神テロって言ったほうが正しいか。魔神テロが起こって、同じように第一王女が狙われて同じ人物が仕留めてる。このことがあったから、一度ぐらいは魔神と戦って感覚を知っておいた方がいいんじゃないか、って話になって、実際に仕留めさせるシステムができたんだよな」
「本気で荒れてるな、エルファルド大陸!」
王子王女が魔神殺しである理由を聞いて、またしても絶叫する羽目になるバシュラム。
恐らくこれは外に漏らしてはいけない種類の情報なのだろうが、仮に漏らしたところで誰も真実だと信じない気がしてならない。
なお、この四年前の事件はいろいろな話があるのだが、本筋からずれるのでここでは触れないことにする。
「あっ、でもバシュラムさん。俺、最近殿下たちの魔神討伐に付き合ったけど、多分トータルではティファちゃんの方が強いと思う」
「うむ。防壁展開前ならともかく、防壁展開後なら殿下たちに勝ち目はあるまい」
「あっ、やっぱり?」
「俺ならまだ抜こうと思えば抜けるが、フォルクだと気脈が無事でも厳しいか?」
「多分、抜ききれないだろうなあ……」
ユウの指摘に、情けない顔で同意するフォルク。
神龍闘技術には徹という結界や防御魔法、鎧などの防御を無視して本体に直接ダメージを与える、発剄の応用のような技能があるのだが、当然のことながら相手の防御力が高ければ高いほど、そして防御に使われている技術や技能が高度であればあるほど難易度が上がる。
その観点で言えば、ティファの防御魔法は正直、技術としては大したことをしていない。していないのだが、その分シンプルに高密度の大魔力で固められているため、解除するにもぶち抜くにも下手に凝ったことをされるより難しくなっている。
これで強度にムラでもあればそこをとっかかりにできるのだが、初級魔法を力業で高性能化しているとは思えないほど高度な魔力制御が行われており、どこから殴っても厚みも密度も強度も寸分違わずガッチガチに固められている。
これを抜こうと思うと、十年やそこらの修業や実戦経験では足りない。
「……ティファの嬢ちゃんはさっき、特に防御魔法の類を使ってなかったと思うんだが、分かるのか?」
「そりゃもう、ね」
「多分無意識だと思うが、龍鱗と一緒に薄めの防御魔法を展開していた。恐らく、あれだけでもレッサードラゴンのブレスぐらいは防げるだろうな」
「マジかよ……。いや、ティファの嬢ちゃんだったら、特に驚きでもないか……」
「今までが今までだからな。で、フォルクはそれを見て判断したようだが、ティファの場合は規模を大きくすればムラができるとか制御が雑になるとか、そういったことは一切ないぞ。反射的に発動した時ですら、あえてそうしなければいけない場合を除いて厚みも強度も均一だった」
「あ~、うん。気脈が大丈夫だったとして、多分十年修行しても抜けねえわ……」
ユウの補足を聞き、お手上げとばかりに首を左右に振るフォルク。
普通は規模や出力を大きくすると、どこかしら弱い部分が出てくるものだ。
その弱い部分ですら普通の出力で魔法を使った時より強度が上がるのでさほど問題視はされないが、ユウやフォルクのような連中と戦う場合、そこから防御魔法全体を崩壊させたりしてくる。
が、ティファの魔法はそういった付け入る隙が最初から存在しないので、正面から力業でぶち抜くか、あって無いような魔力結合の隙間を匠の技で通すしか防御を抜く手段がない。
正面からぶち抜くのは人間にできる所業ではなく、匠の技でやるにしてもかなりの威力がなければ隙間を抜くことすらできない。
威力そのものはともかく気の圧縮に難を抱えるフォルクの場合、十年ぐらいの修業では威力を保ったまま隙間を抜けるよう絞り込む技量を得るのは恐らく不可能だろう。
「つうか、さっきも思ったんだけど、ティファちゃんって驚くほどいびつだよな……」
「ああ。どうにかしたいところではあるが、鉄壁騎士団の流儀に染まり切っている俺や一般社会とは縁遠い冒険者たちではなかなかうまくいかなくてな……」
「ティファの嬢ちゃんに関してはな、もうそういうもんだって割り切って、倫理的にどうかって考え方をしないようにだけ注意する方向で暗黙の合意がある感じだな。正直、恋でもしてくれれば全力で祝って応援する気満々だ」
「恋、ねえ……」
望み薄だと思っていることがありありと分かるバシュラムの言葉に、どうなんだろうなあ、という感じで首をかしげるフォルク。
フォルクとてカレンに一目惚れするまでは、初等教育の頃に一緒に通っていた近所のお姉さん以外、一度も恋愛感情を抱く機会がなかった人間だ。
なので、そのあたりについて偉そうなことは一切言えないのだが、ティファの恋愛感情に関しては性的ではない方向に割と不健全な形で、既に花開き始めているようにしか見えない。
ティファはそのあたりの情緒について年齢以上に幼いため、今はまだ自覚どころか恋愛というものに興味すら抱いていないが、何かのきっかけで自分のそれが恋愛感情に類するものだと認識してしまったら厄介なことになりそうな予感しかない。
女は生まれた時から女だとはよく聞くが、ティファもそういうところだけは例外ではなさそうだ。
「まあ、今日見た様子だと、そのあたりに関しては誰かが余計なことしない限り、後二年か三年は猶予がありそうだけど」
「何か気が付いたことでもあったのか?」
「ユウ先輩だと、逆に気が付きにくいかもなあ。後、バシュラムさん達みたいな良識派の場合、無意識に可能性から排除してるかもしれない。あ、でも、カレンちゃんやベルティルデさんなんかは想定済みか?」
「もしかして、ティファの嬢ちゃんがユウに恋愛感情を持ってるって言いたいのか?」
「本人がそうだと認識してるかどうかはわかんないけど、時間の問題だろうとは思ってる。少なくとも、父親とか兄だとかいった、恋愛対象外になりがちな認識はしてないんじゃないか?」
来た頃の幼さや現在の年齢に惑わされて意識から外していた事実を、今日初対面のはずのフォルクに指摘されて思わず頭を抱えるバシュラム。
逆に、ユウの方は理解できないという表情を隠そうともしない。
「ティファの特異性は嫌というほど理解しているが、それでも俺を恋愛対象にするとは思えんが?」
「まあ、先輩は分かりやすく女にもてるタイプじゃないから、そう思うのはしょうがないかもしれないな。分かりやすくもてるタイプじゃないってのは、俺も人の事言えないけど」
「俺としては、フォルクのほうがとっつきやすい分、ユウよりはもてそうだと思うがね」
「五十歩百歩だって。で、俺のことはどうでもいいとして、ティファちゃんの話だ。恋愛感情に関してはあくまで俺の当てにならない直感でしかないけど、それとは別にもっと育つと問題になりそうなことがいくつかある」
「その育つっていうのは肉体的にか? それとも技量的な話か?」
より厄介なにおいのする方向に話題転換をしたフォルクに、思わずバシュラムが渋い顔をしながらそう確認する。
「どっちもだけど、重要なのは肉体的な成長の方かな。俺はティファちゃんに月のものが来てるかどうか知らないけど、来てたらそれに合わせていろいろ指導が必要になる。その中のいくつかは先輩や俺でもどうにかなるけど、やっぱり女性が直接指導するほうがいい内容ってのもあるわけだし」
「あ~、そりゃそうか……」
バシュラムの質問に対し、懸念事項を正確に告げるフォルク。
それを聞いたバシュラムが、納得しつつどうしたものかと頭を抱える。
「女の子としてのあれこれは、それこそおかみさんやカレンちゃんに任せておけばいいけど、神龍闘技術がらみはそうもいかないからね。で、そこのところはどう?」
「俺も、月のものに関しては聞いていない。が、気や魔力の流れに変化がないから、十中八九まだ来ていないだろう。というより、恐らく体形の変化より大幅に遅れるのではないかと思っている」
「ユウ先輩の判断だからそう間違えてはいないんだろうけど、理由は?」
「あくまでも恐らくは、の話でしかないが、去年ごろからティファの肉体的が急激に成長しているのは、身体が無意識のうちに己の気や魔力を受け止める器づくりを急いでいるからだろう。だから、骨格をはじめとした外側がほぼ完成するまでは、子宮の成熟は進まんのではないかと予想している」
「ああ、なるほどね。確かに女性の場合、気の扱いにおいて子宮は丹田と同じぐらい重要だからなあ」
「が、遅れるといっても、一般的な範囲を超えるほど遅くもならんだろう。それ以外のスタートが早かったからな」
「だとしたら、やっぱり後二、三年か。だったら、エレノア副長にそう連絡を入れておくよ」
「ありがたい話だが、女性特有の技法についてティファに指導することは、もう既定路線になっているのか?」
「そりゃもちろん。ユウ先輩の指導の確かさについては誰も疑ってないけど、こればっかりはどうにもならないでしょ? っていうか、ティファちゃんがここまでじゃなかったら、どうするつもりだったのさ?」
古巣の配慮にありがたそうにしつつそんな疑問をぶつけてくるユウに対し、思わずジト目になりながらそう突っ込むフォルク。
フォルクの突っ込みを受けたユウが、いつものようなむっつりした表情で思っていたことを告げる。
「ここまででなければ、そもそも女性特有の技法を身に着けねばならんほど鍛える必要自体無い」
「いやまあ、そりゃそうだろうけどさ。自力でそこまで到達する可能性だってあるじゃん」
「それほど才能があれば、俺が教えるまでもなく勝手に身に着けるのではないか?」
ユウの無責任な言い分に、それはどうなのかと言いそうになるフォルクとバシュラム。
が、ここでフォルクやバシュラムが説教をしたところで、ユウには指導ができない内容なのは変わらない。
なので、そのあたりはティファが実際に指導を受ける際に、指導を担当する人間に丸投げすることに決めて、話を戻すことにする。
「とりあえずそのあたりについて言いたいことはいくらでもあるけど、不毛だからここでは置いとくよ。ベルファール行きについては実質何も決まってないし、変に意識したらまずいことになるんじゃないかって気がすごくするから、その時が来るまで黙っとこう」
「だなあ。それで、他に鉄壁騎士団関係で嬢ちゃん達に黙っておかなきゃならん類の話はあるか?」
「今のところはこれぐらいかな? 逆に、こっちでそういう話は?」
「直接的にどうってのはねえが、出入りしてる冒険者について、下手に嬢ちゃん達の耳に入れられない類の話とか触れたら戦争間違いなしの地雷とかはいろいろあるぞ」
「やらかさないために、軽くでいいから教えてもらっても?」
「おう。ついでに、俺たちに直接関わってくる法律やら風習、暗黙のルール、今の周辺状況やユウが来てからの変化なんかも説明してやるよ」
「お願いします」
現状ではどうにもならない種類の話を切り上げ、今後フォルクが暮らしていくうえで重要となる内容に移る一同。
内容が多岐にわたりボリューム的にもかなりのものであり、ユウも知らないことが多く脱線しまくったこともあって、バシュラムによるフォルクへの授業は夕食前まで続くのであった。
思った以上にフォルクが重要なポジションに行きそうな今日この頃。
なお、ライクバーンの話やクリシード公爵家の成立までの話なんかはそのうち書く予定ですので、ウィズプリでは深く触れません。