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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

追放悪役令嬢だって暗殺者に拾われることもあるよ

 悪役令嬢というコンテンツがいつ産まれたのか、私にはわからない。私が気付いた時にはそのコンテンツはそこに存在していた。源流となった悪役の令嬢の存在も私は知らない。けれども確かに――

「この汚らわしい差別主義者をつまみ出せ!」

 今この瞬間、私はこの見知らぬ「悪役令嬢」に「なった」んだろう。


 これまでのあらすじは語るまでもない。いじめを苦に自殺したら、気づいたら「汚らわしい差別主義者」と呼ばれて、きらびやかに飾り立てられた学び舎のホールを追い出されて馬車に乗った、というところだ。

 私の、いや、この体の人間の記憶を辿ればよみがえる、加害行動の山。私物を破く、隠す、壊す、事故に見せかけて階段から突き落とす。ああ、思い出す――前世で私がされたこと、だ。

 即座に私は死を想った。簡単なことだ。死は優しい。前世では苦しみの末に死んだ。苦しめた側になって、なおもこんなにも苦しいのならば、また死ねばいい。簡単なことだ。これから先が闇ならば生きていることに価値はない。

「死にたいのですか?」

 見れば男が居た。すらりとした手足を器用に折りたたみ座席に座っている。シルクハットと白い仮面に隠れて顔は良く見えない――ニタリ、と笑った口元以外は。

「貴方は?」

「私ですか? ご覧の通り、ただの乗り合いですよ。それより貴方、とても死にたそうな顔をしていますね」

「……私が誰だかわかりますか?」

「いいえ? どちら様かはわかりませんよ。でも貴方の話を聞いて差し上げることはできる」

 それを聞いた私は、どうせ知らない相手だ、と、これまでのことをぽつりぽつりと話し出した。

 最初は陰口から始まったこと。次第にペンを盗まれたり、ノートを破かれるようになったこと。ゴミをぶつけられたこと。靴を盗まれたこと。低い段ではあるが、階段から突き落とされて怪我を負ったこと。――それを苦にして、人生を諦め、部屋で首をくくったこと。そこで気を失い、気づいたら先ほどのホールにいたこと。記憶を辿れば、全く同じことを行なって、それを「当然のこと」「ここにいてはならない人を追い出そうとしただけ」「私に罪はない」と言い張ってた人間の体に入り込んでしまったらしいこと。――もう一度、人生を諦めようとしていること。

「成る程……つまり、貴方は今目が覚めたばかりで、せっかく手に入れた第二の人生をすぐに投げ捨てようとしているということですか?」

「そう、なります。投げ捨てるにふさわしい人生を突然背負ってしまいましたので。一度経験済みですから、そんなに怖くはないんですよ」

 ふ、と喉から嗤いがこぼれた。下を向けば高級そうなドレスが自分の身を包んでいる――なんとも勿体無い、脱いでから死ぬべきだろう。難しくはない。家に帰れば、使っていない使用人用の寝間着など沢山ある。それを一つ頂いて死のう。

「それは勿体無い。捨ててしまうのでしたら、頂いても?」

 心を読まれたかのような言葉に、心臓がどきんと音を立てた。

「……と、言いますと?」

「ええ、はい。家事の経験はおありですか?」

 もちろん違った。どうやらこの男はドレスの話ではなく私の話をしていたらしい。――私の? 私が必要だとでも言うのだろうか。

「一応、親に身の回りの世話の一切を任されていたので、多少なら」

「素晴らしい! 私のために食事を作っていただきたいのです。可能であれば、簡単な雑務も。よろしいですか?」

 ろくろ回しの手つきをしながら、優しい声色で男は話す。なんとも人当たりが良い――人を欺くのが得意そうだ。しかし私は、その表面上優しそうなその誘いに応えることはできない。何故なら。

「……私は、この人間だった者は、罪を犯したのですよ」

「罪を犯すのはお嫌いですか?」

「……受けた罪は、憎いです。加害者を罰することができるなら、そのようにしたい。そしてその加害者は、今は、私です」

「そう仕向けた者を殺すことができるとしても?」

 それは。

 そんな奴が、居たのか? そして、そんなことは可能なのか?

「私は暗殺請負人を務めています。私にかかれば射殺に絞殺、呪殺――それこそ、誰の手も汚さずに自殺に追い込むことすら可能ですよ」

「そんなこと、が、」

「ええ。もっとも、どうしても嫌だという場合は私の持てる技術を尽くして安心安全で安らかな死のご案内も可能ですが……」

「ま、待ってください、その……居たのですか? 私を操り罪人に貶めた人間が」

 男はその薄い唇で笑みを深めて言った。

「ええ、もう、うんざりするほど。どうするも貴方次第です……もちろんお代は、仕事が完了するまで私の家事手伝いをする、ということで構いませんとも」

 死ぬのは怖くない。怖くないが――苦しいことだ。

 私と、いじめられた人間の双方を追い込んで嗤っている奴がいるというのなら。

「……お願いします」

 長生きさせてやりたくない、と思うのは仕方のないことであるだろう。


 数ヶ月後。

「おはようございます」

「おはようございます、ご主人」

「これはカツレツですか? 朝から大変だったでしょう」

「あ、いえ、別に」

「ポリッジもバターの良い香りが素晴らしい。添えられた焼きリンゴもとても美味しそうです。上達しましたね」

「ありがとうございます」

 起床した男に朝食を振る舞う。男は自宅では仮面も帽子もつけることはなく、怜悧そうな美貌が朝食に満開の笑顔を向けていた。

「どうです? 慣れましたか」

「……と言いますと」

「この暮らしに……ああいえ、貴方の場合は、この世界にですかね。どうです」

 紅茶を手にしたまま、細い目をより細めてこちらに笑いかける。雰囲気に似合わずよく笑う男だ、と最初は思ったものだ。今はもう慣れたけれども。

「お陰様で、多少は」

「それは良かった。さて、共に朝食にしましょう」

「普通は別々に食べるものでは」

「寂しいでしょう?」

「……いえ、別に」

「私がですよ」

 くつくつと男は笑ってスプーンを手に取った。私も席について食事をとり始める。

「ああ、そういえば……お待たせしましたね。昨日やっと終わりましたよ」

「はあ、何が」

「公爵令嬢ミュリエル・ブルー・ボーマントを陥れた……イェーツ伯の娘キャロライン、ソーンダース伯の孫娘マーガレット、オースティン公の息子ドミニク、ならびに貴方の失墜を望んだ18人全員、無事に天にまします神のもとへと帰りました」

「……!」

 にこ、と男は笑う。

「キャロライン嬢は、貴方が傷つけたと認識していたはずの人間ですね」

「はい」

「簡単なことです。キャロライン嬢は『物語の通りに私が王子と結婚すべき』と言い出し魔術科主席のマーガレット嬢に依頼。マーガレット嬢及び魔術科の数名によって、貴方がキャロライン嬢に危害を加えた、という幻術を作成。学内全域に幻術を敷き、幻術で足りないところはドミニク氏と仲間たちがフォロー。――そうして貴方と王子とその他の連中に、貴方がやってないことをやったと思わせ、追放させた」

「……18人も、」

「悪役令嬢でしたっけ? それに仕立て上げようとしたようですね」

 男はポリッジを口に入れた。咀嚼し、嚥下し、うっとりとこちらに笑いかける。

「ああ、美味しい。何もしていないのに罪を背負いこんで、死すら決意してしまうようなかわいい美少女の作る食事は最高です」

「……私は、何もしていなかったんですか」

「そうです。貴方が見た加害行為は全て幻想でした」

「……私、は」

「そして貴方は、ミュリエル・ブルー・ボーマントは公的には死んだことになっている。あの日の夜、ホールを飛び出した貴方は――そのまま行方不明に。死体は上がっていないが、生存は絶望的だ、と」

「……そういえば一度も帰っていない」

 男はくつくつと笑う。

「そうですね、貴方はそのまま私の家に来ましたから」

「そういえばそうです」

「いけないお嬢さんですね、どうにかされると思わなかったのです?」

「どうせ捨てた命だと思いまして」

「全くしょうがないお嬢さんだ」

 男はまた笑う。仕事のことを考えている時とは異なる、穏やかな顔で。何が楽しいのか、私と話していると頻繁にこの笑顔になる。そうなると何故か、不思議と私も楽しくなる。

「どうです? 貴方はまだ、死にたいですか?」

 男は問う。私は答える。

「――いいえ、今は、ちっとも」

 男はニッコリと満足そうな笑顔を見せた。私も、つられて笑顔になった。


「うーん。しかし本当に、家に美人妻がいる暮らしは最高ですね」

「妻……? 女中でなくて」

 驚いて手からスプーンを取り落としそうになる。妻とは。妻とは? そんなこと、最初から言っていただろうか。

「私は最初から妻のつもりで招いていましたが」

「……明言したのは今が初めてですよね?」

「勿論。貴方が死にたくなくなるまで待ってたんですよ」

 そう言って男はゴブレットに注がれたフルーツジュースに口をつけた。

「……では、そろそろ名前を教えて頂いても?」

「ミュリエル・ブルー・ボーマントですが」

「いえ、そちらでなくて」

 男は私の頬に手を添える。長い指、大きな掌を。何人殺してきたかわからない、温かい手を。

「貴方が呼ばれたい名前を、です」

 ――呼ばれたい名前。

 それは、誰にも愛されなかったまま死んでいった、女の名前のことを指しているのだろうか。

 その女は一度死んだ。いつでも捨てられる名前だ。男が愛したいと言うのなら、渡してみるのも悪くないのだろう。

「……美咲です」

「ミサキ。愛らしい名前です。貴方は今日からミサキ・ローフォード、どうです」

「……ローフォードは貴方の名字ですか」

「そうですね、ジョン・F・ローフォードが……貴方に呼んでほしい名前です」

 男は笑って言う。

 ただ一番お気に入りの名前なだけかもしれないし、生まれた時に付けられた名前かもしれないし、思いつきの名前の可能性もある。

 それでもよかった。

「ジョンさん」

「はい」

「拾ってくれてありがとうございます」

「ええ。こちらこそ本当に――いい拾い物をしました」

 三度目の人生は、やっと楽しくなりそうだ。

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