モテモテ7
帰宅後の事を色々考えていると、無表情の飾霧が透き通る声を発した。
「次に匂いね。匂いは体質的なところもるから、制服には常にファブリーズ。口臭の為にポケットには常にミンティア。そして、この香水をつけなさい」
飾霧はテーブルの上に小洒落た小さなビンを置く。
テンポ良く言葉を繋いでいくので、横槍を入れる隙すらない。
「そうか、匂いが大事なのか。勉強になるな」
「そう。それより早く取りに来なさい」
「お、おう」
睨まれたから動揺した訳ではない。
椅子から立ち上がり、そろりと飾霧のいる方に歩み寄る。小洒落たビンを手に取り、凝視する。
「これが香水か。初めて見たが、なんか高そうだな」
こんな物まで用意してくれるとか、やる気が伝わってくる。
さっきまでのおふざけは照れ隠しだったのかな? 全く、ういやつめ。
「高くないわ。五万円よ」
「ーーそそそ、そうか。こ、これを貰うのはやめておくことにするよ」
値段を聞いた瞬間時が止まった。
一瞬で嫌な汗が溢れてきたわ。香水を持つ手が震えて、置く時にカカカカってなったわ。
「ーーそう。なら仕方ないわね」
仕方ないじゃないわ! 高校生の癖にどんだけ高いもん渡そうとしてんだ。
俺の気持ちをよそに飾霧は続ける。
「次に爽やかさについてね。爽やかさには、清潔感が欠かせないわ。なので先ほど言ったことを事項すれば、自ずと爽やかになる。だけど、それだけでは爽やかとは言えないわね。やはり爽やかさと言えば、声、仕草、笑顔ね。それを今から練習するわ」
「具体的に何をすればいいんですかね?」
さっき頼ってばっかりとか言ったが、全てを聞きまくる。それがモブクオリティー。
「そうね、爽やかな挨拶。爽やかな振る舞い。爽やかな笑顔かしら」
なんか爽やかがついただけな気がするが、まぁいいか。
「やってみます」
「それでは、挨拶から。意識するのは、明るい声」
飾霧は足を組み直す。そこに俺の目は吸い寄せられてしまった。
「ハロー飾霧さん」
絶対領域に挨拶!
「どこを見ているの?」
言葉遣いの方じゃなくてそっちね。こりゃ参った。こうなったら開き直って言うしかない。正直に……。
「至高の永地を」
俺の素晴らしい発言のせいなのか、飾霧は額を抑えてため息を吐いた。
「そう。貴方が思った以上にアレなのは理解したわ。それとハロー=爽やかという概念を今すぐ捨てなさい」
「はい……」
怒られなかったのはよかったんだけど、もっと大事な何かを失った気がする。
「では、もう一度挨拶」
催促されたので、気を取り直して精一杯爽やかに挨拶をする。
「……それじゃあいきます。--おはよう。今日も綺麗だね」
俺の言葉を聞いた瞬間に、飾霧は顔をしかめつつ口に手を当てた。
何か褒めたほうがいいと思ったのに違ったらしい。
「ーー失格。気持ち悪過ぎて、嗚咽しそうになったわ。そういう事を言うのは十二時間ほど鏡を見てから言ってもらえるかしら?」
「どんだけ鏡とにらめっこさせるつもりだよ。夜が明けるわ!」
マジでどういう意味? 十二時間見ないと解明できないほどに気持ち悪いってことか。そうかそうかって、ちっがぁぁぁぁうッ!
「早く続けて」
スルーされるのは慣れてるもんね。
「わかった。いくぞ。--おはよう」
「一応スタートラインには立てたわね。次は、爽やかな立ち振る舞い」
一番軽くやったのが認められたって、なんか複雑。
「立ち振る舞いって、具体的には何をしたらいいんだ?」
「なんでもかんでも人に聞くのね。人は考える生き物なっーーごめんなさい。私ったら気付いていたのに、こんな話……」
「今すぐその目をやめろ! その人を憐れむ目をなっ!」
この野郎ワザとやってんだろ。可愛いからってやって良いことと悪いことがあるんだぞ! 許してやるからパンツ見せろ。
「すぐに脱線するのね。これでは、いつまで経っても終わらないわ」
おめぇなんだけどな? 脱線したの。もういいや、寛大な心で全てを流そう。だからパンツ見せろ。
「はいはい。すみません。馬鹿でわからないから教えてください」
「そこまで言うなら仕方ないわね。まずは気配り」
「気配りか……やってみます」
椅子から立ち上がり、飾霧の後ろに回り込み一言。
「もしよければ、肩とかお揉みしましょうか?」
飾霧は身の危険を察知したのか、ソファから立ち上がると汚物を見るような目で吐き捨てた。
「ーー失格。気持ち悪過ぎて、目眩、悪寒、頭痛、吐き気に襲われたわ。女子に気安く触るのはご法度。聞くのも論外。後は「とか」が一番気持ち悪かったわ」
まさか、「とか」に気付くなんてな。別に疚しい事とか考えてたわけじゃないからね。
それより驚いたのが、俺の言葉で風邪の症状が出ちゃってる事だよね。今すぐ買ってこようか? プレコール買ってこようか?
「そんなつもりじゃなかったんですけど、すいません。次こそは必ず」
ほんと、風邪にする気なんてこれっぽっちもなかったからね。
「その意気込みは評価してあげる。続けて」
よかった風邪は直ったみたい。でも病み上がりだから、ソファでゆっくりと休むといいよ。
「それじゃ、喉が乾いていたりしませんか?」
水より、ポカリの方がいいよね?
「今は平気よ」
「お腹が空いてたり?」
おかゆでよかったらすぐ作りますよ?
「今はそうでもないわ」
病み上がりですもんね。でも少しぐらいは口に入れとかないと。確か、バックに……。
「お菓子食べます?」
「貰うわ」
「へっ?」
「だから、貰ってあげるって言ってるの」
まさかの返答に不覚にも素っ頓狂な声を上げてしまった。
軽い冗談のつもりで言ったのに、偉い食いつきようだな。にしてもなんだその無表情の中に輝く光は、まるで夜空に輝く一番星のようじゃねぇか。
どんだけお菓子が好きなんだよ! 可愛いな。ちきしょう。
俺はどうにか高鳴る胸を押さえ平静を装う。
「では、これをーー」
鞄に入っていたチョコレートを手渡すと、凍りついているかのように表情一つ変えなかった飾霧が少しだけ微笑んだように見えた。
「一応合格ね」
「ありがとうございます」
爽やかはまったく関係ないなと思いながらも、会釈。
飾霧は薄紅の唇を開くとチョコレートをパクリ。そっぽ向いているのはなぜなのか、なんとなくわかる気がした。
きっとチョコレートのように甘くほろ苦い表情をしているのだろう。
食べ終わったのか前に向き直った。言わずもがな当然のように真顔である。
「最後は笑顔ね。できるだけ爽やかに頼むわよ」
ただお菓子効果は絶大だったようで声のトーンが若干いつもより上がっていた。これは随時お菓子を持っていた方が良さそうだ。
せっかく上機嫌と言わないまでも機嫌が良くなっているのだから、ここは気合を入れ直さないといけないな。
俺は表情筋をできるだけ柔らかく使う。
「任せて下さいーー」
ニカッと満面の笑みを披露すると、飾霧は青ざめた表情で震えながらソファの後ろに隠れた。その一切無駄のない洗練された動きは、さながらFBI捜査官の様。
その異様な行動に動揺しつつも俺は尋ねる。
「ちょっと、どうしたんですか?」
「ち、近寄らないで、この人殺し」
ソファからちょこんと顔を出し、震えながらも強い口調で言われたので言い返す。
「えっ! 誰が人殺しだ! こちとら法を破った事すら一度も無いわ」
「ご、ごめんなさい。笑顔が狂気そのものだったから……」
初めて謝られた気がする。それとまだソファからちょこんと顔をのぞかせている。顔色は多少戻ったみたいだ。
「そんな大袈裟な」
「……」
「マジで?」
黙るなよ。不安になるだろうが……。
「ーーええ、見てみなさい」
飾霧は立ち上がると、鞄から鏡を出して渡してくれた。
笑顔が狂気ってそんなわけあるかよ。馬鹿馬鹿しい。それじゃあ見てみるか。
作り笑いを浮かべた後に鏡を覗いた。
「ぎゃああああああああああ! この人殺し!」
つい発狂してしまい、しかも飾霧と同じ言葉を口にしてしまった。
鏡に映っていたのはもはや人ではなく、鬼と化け物を混じり合わせたみたいな、この世のモノとは思えないニワトリだった。
落ち着きを取り戻した飾霧はソファに座り、すらっと長くて綺麗な足を組んだ後にため息を吐いた。
「……これで、わかったかしら。作り笑いは禁止ね」
「そうですね」
完全に同意。これは墓まで持って行く。なぜ今までは気づかなかったんだ……。
まぁ、作り笑いってそんなするモノでもないからだな。今はそういうことにしておこう。
「明日は笑顔抜きでどうにか頑張りなさい」
「そうします」
どっと疲れた表情の二人。
「今日はこの辺りにして帰るわよ」
「了解です。ボス」
「次、言ったら公開処刑ね」
「ーーはい」
少しでも笑ってもらおうと冗談で言っただけなのに、凄い睨まれた。しかもただの死刑じゃないとか、流石飾霧。
ボスとは二度と口にしないとここに誓う。だって俺コーヒーはボスより、ファイア派だからなっ。