呪い
暗闇。
いつか見たような、朧気にそんな感触がある、何もない、ただただ広がる、漆黒。
光も、音も、何も感じることが出来ない。
ただ、体が闇に沈んでいくような、奇妙な浮遊感だけが、体にまとわりつく。
意識がぼんやりする。頭、考えようとしても、思考がほどけて消えていく。ひどく眠たいような、動こうとも、考えようとも思えない、微睡みの中。
ここがどこか、どうしてこうなったか、自分は、どうなっているのか……
何もわからない。わからなく、なっていく。
溶けて流れていく意識。だが、そこに、ふと、体に染み込むように、感じる波が届いた。
それは、どこかから、うっすらと聞こえる、何かで。
徐々にはっきりと、認識できる音へと、変わる、その音。
声が、聞こえる。
それは囁くような、しかし、体中に流れ込むように、はっきりとした意志の波で。
聞こえる。
襲え……もっと……襲え……襲え……
響く。
頭に染み込むように、流れ続けるその思念は。
ぼんやりとした、俺の意識に流れ続け、そうして。
何、この声?
そこを起点に、はっきりと、目覚めていく。
目に、力が戻る。
はっきりと認識する。何も見えない、只々広がる漆黒。サンに呼び出された時のような、真っ黒の世界。
暗闇に、ただ、意識が浮かんでいるような感覚。体の感覚がはっきりしない。意識も、まだ濁り、まとまらない。
ただ、唯一、はっきりと、聞こえ続けるものがある。
襲え……戦え……戦え……
聞こえ続ける、声。中身の物騒さの割に、柔らかな、女性の声。
疑問が襲う。
何この状況?
何処だここ。どうしてこうなった。どういう状況だどうなってる。
何も分からない。そのことが分かる。
徐々に、クリアになっていく思考と感覚。
おそえ……おそえ……
寝ぼけた体を、起こすように、声に揺られる度に目が覚めていく。
既に、はっきりと体の感覚が戻った俺は、声に耳をこらす。
少し高い、間延びた感じの、少女のようなその声は。
「おそえー……おそえー……」
俺の、直ぐ耳元から、聞こえていた。
振り向く。
「たたかえー……おそ……あれ?」
そこにあったのは。そう、あった、のは。人ではなかったそれ。そこには、そう、剣が。
魔剣ディス・フィアが、俺の耳元に浮かんでいた。
目の前に浮かぶ、今周では初めて見る、石にも何にも刺さっていないディス・フィア。
丁度耳元の辺りにあったのが、柄頭にはめられていた宝石、やはりあれが力の本体だったのか、声もそこを中心に発せられている。柄と鍔は黒を基調として、紫の装飾が所々入っているが、飾り気は少なく、シンプルなデザインになっている。
目立つのはその刀身。
刃渡り八十センチ程、金属の光沢が無い、不思議な、真っ白の刀身。至って普通のロングソードのような形状。
それを、縦に真っ二つに割り、半分にした、そんな謎の形状の片刃剣。
それがふわふわと浮かび……俺を何か洗脳しようとしてなかったか、今。
「…………なにきみ?」
「完全にこちらの台詞なんですけど……え、魔剣ディス・フィア?」
その姿を目にして、やっと状況を思い出した。
何故か解けていた封印。溢れてきたよく分からない黒いの。呑み込まれて……つまり呪いの浸食中……ということなのか、今、もしかして。
……あれー? 前はこんな事無かったんだが……?
あげく、しゃべってまでいる。一体全体どういう事だ。
「魔剣……? そんな呼び名知らない。ディス・フィアは私の名前だけど」
しかも、若干、魔剣と呼ばれたことにイラっと来てるようだ……少し早口になったし。結構感情豊かなのかもしれない。
……この感じに、心当たりがある。
まさか、あいつと同じなのか……?
「ええと、魔剣はイヤだったか」
「確かに魔族のための私だからー、ある意味魔剣だとは思うけどー……そういう意味じゃ、ないよねー?」
「完全に呪いの剣的な意味だな。まあ、気に障るなら今後は呼ばない。すまなかったな」
「ううん……? 本当に……何この人ー……?」
「ところで聞きたいんだけど……もしかして、アリア……聖剣アルフェ・ディアとかって知り合いだったりする?」
言った瞬間、表情も何もない、ただの金属の塊であろうところのディス・フィアさんは、しかし、誰にでも分かるだろう、圧倒的なプレッシャーで感情を表現していた。
激おこだった。
「…………何で、私は魔剣呼ばわりされてるのに、ディアみたいな、のーたりんが、聖剣……あの腐れ脳筋お馬鹿が……………………」
「悪かった落ち着いてくれ、その言い分には全面的に同意するし気持ちは良く分かったから、何なら土下座もするから落ち着いてください」
……とても良く知っているようでした。
「ふぅ……で、本当に君何なの……? しゃべるし、ディアのことは知ってるし、何なの……?」
「二回言われても。しゃべるしアリアの知り合いなお前に言われても困るし……」
彼女……彼女? でいいんだよな? ディス・フィアはどうも、あのしゃべり、やかましかった聖剣……聖剣と呼ぶとキレるか、ただの良剣アルフェ・ディアさんと知り合いのようだし、あいつと似たような存在なのだろうか。それなら、あの強さも、しゃべるのも……いや、待て。だからお前、前周でしゃべらなかったし呪いも俺には来なかったじゃん。何があったんだ前周。何したんだ侵入者。こいつに聞いても、今の時空に存在しない事件の話だしなぁ……まあ、今はそんなことは気にするべき話題じゃなかったか。一端置いておこう。
「あー……それで、ディス・フィア? 今どういう状況なのか聞いていい? どこここ? これはお前の仕業なんだよな?」
「聞きたいのはこっち……? ここは君の精神の中……ちょっと浸食して、体貰おうとしてたんだけどー」
「おうちょっと待てや?」
「何でか効かないしー……? 精神に入り込めてるから抵抗する力があるわけじゃないと思うんだけどー? 君何なの?」
「待ってくれない……俺の方が何なんだって言いたい……何してくれてんだ……いや何でとか俺が知るかっていうか、むしろ聞くが乗っ取るって具体的にどういう?」
「持った人を狂わせてー、支配してー、味方襲うようにしてー、精神弱ったところで魔力ごと体を支配……」
「まごう事なき魔剣の所行だよ!? それでさっきよくアリアに文句言えたな!?」
「むぅー、私だって魔族からしたら聖剣だしー、君が人族だからそう見えるんだよーっ」
「そういや魔族の為の剣とか言ってたか、じゃあなんだ、その物騒な所行は魔族のためだ、と?」
「そうだよー。魔族を守るための剣だものー。みんなして魔族を無意味に憎むのが悪いんだよー……?」
そこで、ディスフィアは何かに気づいたように言葉を切った。
「そういえば君、魔族全然憎んでない? 人族なのに?」
「うん? まあそうだが」
混沌大戦の頃から、人族と魔族は対立している。現在でも、戦争こそしていないが、人と魔族が出会えばほぼ争いになる。
あのクソヒゲも言っていた。魔王が諸悪の元凶だと言ったあの時、魔族が原因ではないかと、奴らが手引きしてるかもしれないと、悪感情ありまくりだった。
その雰囲気に流されて、俺も魔族は悪いものだと思っていた時期もあったが。
「魔物操れたり、見た目悪いせいで誤解されるが、あいつ等別に人とそんな変わらないしな。むしろエルフとかの方が取っつきにくい」
一周目、旅の途中で魔族たちと出会う事になったが、本当に普通の奴らだった。あれが悪だとか、敵だとか、言いがかりも甚だしい。そう、学んだ。
「……そっかー、そのせいで呪いが効かなかったのかな……?」
「おい中身も気になるが今自分で呪い言ったな?」
スルーされた。
「私の力ってー、魔族への敵意を反転させるものだからー、そうやって味方襲わせるんだけどー……魔族に友好的だとー、精神狂わせるくらいしかー……それでも普通ー、自意識も無くなって暴れるんだけどなぁ」
……なるほど、魔族の為の剣というのも頷ける能力だ。魔族への敵対心が世界から消えるまで、この剣の呪いは他種族を襲い、効率よく敵対者を減らしていく。
まあそこはいい、それよりその言葉の後半。
「おいこらそこの魔剣本当に何しようとしてくれやがってんだ!?」
さらっと狂わせて暴れさせるとか言ってんじゃねぇよ!? 俺にそんな事してたのかさっきのあれ!?
「ううん……? 封印されて力でも弱くなったかなぁ? ずっと吸われ続けてたしー、力戻ったのもさっきだしー……」
スルー力が高い。完璧悪口で言った魔剣呼びを流すとは、出来る。
置いといて、
「そういえば封印が解けてたみたいだが……あれは、まさか自分で内側から?」
「うんー、何か急に力が抜けていかなくなったからー、ちょっとため込んで、えーいっ、てー」
……あー、なるほど?
あの祠は、この魔剣から魔力を吸い上げてトラップの動力に利用していた。おそらくだが、それは祠の機能の為だけではなく、強すぎる魔剣の力を弱体化して、封印を保つ為でもあったのだろう。
俺が魔力供給の中継地点であった魔石を吸収した段階で、その吸い上げが止まり、ディス・フィアに力が戻り始めた。
それから、抜こうとしたり、歌って踊ったり、穴を掘ったり、外に出たら出たでゴーレムと戦ったりしてる間に、封印を破るだけの力が戻った、と。
……その時間が、『あと30分』だった訳か。
というか、今自分で言ってて、何か引っかかったような?
ゴー、レム?
俺、今、あいつ等に囲まれてなかったっけ?
「解放されてー即座に持ち主まで付いてきてやったーっ、と思ったのに……こんな意味不明な人だなんて、びっくりすることばかりだよー」
「俺はお前以上にびっくりしっぱなしだよもっとツッコミの余裕をくれ片っ端にツッコませろスルーすんな。っていうか聞きたいんだが、俺の精神の中って言ったな。じゃあ、今俺の体はどうなっている? 時間は? 俺外でゴーレム軍団のど真ん中にいた筈なんだけど生きてんの!?」
事ここに至るまで、そんな最重要事項がすっぽ抜けてた。大層間抜けである。
「うんー? ああー、それなら気にしなくても大丈夫だよー。それにー、持ち主がいなくなったら困るのは私も一緒だしー」
「あ、ああ、それもそうか。どう大丈夫なのかが気になるんだが」
「まあー私は持つ人みんな死んでくからー、別にいつもと変わらないと言えばそうなんだけどー」
「おいそこの呪いの魔剣!? アリアと違って持ち主の記録無いのやっぱりそういうことなのか!?」
「それでー、君は何なのかな?」
スルーされた。
そして、もう何度目かの、その問いが放たれた。
「こんな事初めてだからー……私に呪い殺されなくて平然としている人なんてー。しかも人族だしー、普通の人っぽいしー……?」
呪いを弾く理由なんて、俺にも答えようもない。ので、適当に、投げやりに言った。
「あー、ただの世界を救う勇者だ?」
「何で人の勇者が私なんか引っこ抜くの……?」
ついに剣本人にまでツッコまれた。
「まああれだ、あー、ほら、えー、お前だって言ってたじゃん、魔族を守る剣だって。じゃあいいじゃん。勇者の剣だろ。あってるあってる」
「……? 君はー……人族を救うもの何じゃないの?」
「うん? そりゃ救うとも、人族というか世界全部」
別に俺は、クソヒゲに人を救ってくれなんて頼まれた訳じゃないしー? そんな勘違いをした事なんて無かったしー! ああ、そんな事実は残ってないさ!
「神様から世界を頼むって言われてんだ。人もエルフも竜も妖精も亜人も獣牙族も、魔族も全部、俺に出来る限りで救うさ」
「――――ぉー」
勇者が魔剣を求めるなんて謎な状況を、勢いでそれっぽく言っただけだが……彼女には何か、大きな意味があったようで。
「そっかー……うん、そっかー……そうかー……」
何かに、とても納得したような、そんな声。
「君はー……私を使ってくれるんだー?」
「何でかは分からないが、呪いは効かないみたいだし。使えるみたいだな。使わせて貰うとも」
「そしてー……私を、魔族のために使ってくれるんだねー?」
「まあ、一応そういうことではあるな?」
「うん……わかった。じゃあ、私はー、君に使われてあげるー」
突然の宣言と共に、ふわりと、俺の手の中へと収まっていくディス・フィア。
「私、ディス・フィアは、貴方を主として受け入れますー、ねー?」
その言葉と共に、闇の世界はヒビ割れ、崩壊し、光に包まれた。
「……ァ? …………ィ……?」
世界に光と、色が戻る。
ぼやける視界。焦点は定まらず、意識もはっきりしない。
「……ィア! ガイアってば!? ガイアさん!? ちょっと、ガイアー!?」
とても騒がしくうるさい声。その声に意識が呼び起こされていく。
ハヅキ。ああ、そうだ、そう言えば一緒に闇に包まれたと思ったが、無事だったのか。
「ちょっと! いい加減正気に戻ってってばー!? ガーイーアー!? 戻ってきてー!?」
……その声は、若干泣きそうで、非常に必死で。うん、とても様子がおかしい。
目に気合いを込め、視界をハッキリさせる。
「……………………ぁ?」
だが、見えた世界、その意味がよく理解出来ず。
「…………え、えー……?」
「ガイア!? 意識が戻ったの!? 分かる!?」
視界に舞い込む、泣き出しそうな妖精の姿。
「ハヅキ……えっと……何があった……?」
「や、やっぱり覚えてないの? ガイア、ずっと私の声も聞こえないみたいで、暴れ続けてて……」
「……え、じゃあやっぱ……これは俺が?」
これ。
そもそも、今の俺の姿勢からしておかしかった。
足下に、ゴーレム。それも、剣を抜こうとした時に立っていたキモゴーレムの足ではなく、普通のタイプの。
右手にはディス・フィア。
その切っ先を、膝を突いて地面に突き立て……つまり、ゴーレムの頭部に突き刺さし、魔石を貫いていた。
そしてその周囲、見える範囲の地面全てに。
同じように刺され、斬られ、魔石を貫かれたゴーレムの残骸が、広がっていた。
動くゴーレムは、いない。
全滅だった。
というか、俺が殲滅したらしい。
…………俺が、っていうか。
「ディス・フィアぁぁあああ!? お前何が乗っ取れないだ!? それなら気にしなくて大丈夫ってお前人の体使って何してんだコラぁぁああああ!?」
どう考えても、こいつの仕業だった。




