番外~朔乃~
再投稿です。
金曜の夜、社会人3年目の朔乃は職場の同期にして年上の親友・宮坂ゆかりの愚痴を聞くため、とある呑み屋で夕飯を摂っていた。
短大出身の朔乃が四年制大学出身の宮坂と出会ったのは入社式の時。偶然隣同士の椅子に座っていたのが宮坂だった。入社当初は四年制出身で2つ年上の宮坂と話が合うか、と戸惑っていた朔乃だが、宮坂が意外とさばけた性格だったことが幸いしてか、昇給や異動を重ねて配属部署が異なってしまった現在も付き合いが続いているのだった。
「ね~サク~。水村君ホントどうしちゃったんだろう~? あたし厳しかったのかな~?」
水村君というのは今回の宮坂の愚痴のネタである新入社員で、宮坂の下に配属された青年だ。親友との関わりで、朔乃も同い年の彼とは面識があった。
「ミヤさんのせいじゃないと思うよ? なにか別の理由があったのかも」
「何かって何よ~? 何が理由で10日前から帰宅せず、5日連続で無断欠勤。しかも親御さんの方にも連絡行ってないって話聞いたんだけど~」
呑みながら食べながらの会話なため、宮坂の呂律が少し怪しいのはしょうがないとして、入社半年の新人がそんなことしていいはずはない。
「親御さん、とうとう失踪届出したらしいよ~」
失踪届。その単語を聞いた朔乃の肩がかすかに震えたが、あまり酒に強くないのにそこそこのペースで呑んでいる宮坂は気付かなかった。
そして親友につられるようにしたたか呑んだ朔乃は、前もって連絡しておいた通りに迎えに来た父の車で帰宅し、後始末もそこそこに酔いに任せた眠りに落ちていった。
朔乃はふと気が付くと奇妙な街並みの中に佇んでいた。
「なに、ココ? まるでRPGの世界じゃない」
何気に現代っ子らしくゲーマーな朔乃は、老若男女が行き交うその風景が中世ヨーロッパを模した世界観のRPGに似ていることに気づいて、奇妙に思いながら歩を進める。しかし、すぐにある商店の前で立ち止まった。
そこは薬屋らしく、薬液のようなものが詰まったビンが小さなショーウィンドウに映っていて奇妙な匂いに包まれている。しかし、朔乃が足を止めた理由はその歪んだガラス越しに見えた人影にあった。長い髪を無造作に括ってまとめ、店主らしき男性と比べても質素な服装の女性だ。
(あの子、私のよく知ってる誰かに似てる……)
しばらく立ちすくんでいるとその女性が表に出て歩き出した。つられて朔乃も歩き出し、何か引っかかるその女性の後を追う。その段になってようやく自分の服装―― パジャマに裸足という、現実の街中でも違和感しか生まない服装がこの世界そのものにマッチしていないことや、それでも行き交う人々の視線が自分に向かないという事実に目を丸くした。
(みんな、私のこと見えてないんだ……?)
それはどうやら後を追っている女性もそうらしく、背後を気にすることなく歩みを進める。そして朔乃は新たな事実にも気がついた。
(それに私、裸足なのに石畳が痛くない。もしかして足音もしてないとか?)
立ち止まって思考に没頭しかけた時、前を行く女性が細い路地の一つへ踏み入ったのに気づいて、朔乃は慌てて後を追う。
幾度か見失いかけながらも女性の後を追い続けた朔乃は、とある宗教色の強い建物の前に彼女を見つける。
「ドマ、いるかい? アタシだ」
入り口に向かい、女性は声を上げる。そこで初めて朔乃は彼女の声を聞いた。女性にしてはやや低いその声は中にいるであろう人物への呼びかけで、建物内に反響しながら奥へ届く。
少し待っていると、30代半ばくらいの男性が建物の奥から現れて女性に声をかけた。
「ああ、トーコか。しばらくぶりだね」
その言葉に朔乃は目を丸くした。
(トーコ? 知ってる人に似てる気がしてつい追いかけてきたけど、まさか桐子なの?!)
朔乃には実は妹がいた。2歳半下の彼女の名は桐子。10年前に突然姿を消し、親戚や友人など心当たりをあたっても一向に見つからないため、両親が諦め半分で失踪届を提出している。
「桐子! 桐子なの?!」
たぶん声は届かないと諦めつつも、建物内へ向かう背中に朔乃はつい声をかけてしまう。
トーコと呼ばれた女性は背後からの声が聞こえたように立ち止まって、視界の隅に映る、歪んだ窓ガラスにふと目をやった。ガラスに映りこむ彼女は少し強気で勝気そうな顔立ちをしていた。
(父さんに似てるって言われる私よりは母さんに似てるあの顔……! 間違いない、桐子だ。生きてた!)
朔乃はガラス越しに彼女と目が合ったような気がした。
「……サクちゃん?」
怪訝そうな顔で呟く彼女のその声に朔乃は確信した。あれは間違いなく行方不明になった妹の桐子だと。
「そうよ、桐子。私よ!」
だが、ドマと呼ばれた男性に促され、女性は再び正面へ目をやり、小走りに建物内へと入って行った。
翌朝。いつもより遅い時間に目覚まし時計を止めて起き出した朔乃は、手早く身支度を整えると朝食の匂いが漂うダイニングへ向かった。
父は休日出勤らしくもう姿がなかったが、そこでは母が朔乃が来るのを待ち構えるように着席している。
「おはよう」
「朔ちゃん、おはよう」
あいさつを済ませ席に着いた朔乃はテーブルに並ぶ献立に目を丸くした。
「フレンチトースト?」
「卵と牛乳を使っちゃいたくてね」
だったらトーストとスクランブルエッグか目玉焼き、アイスミルクでもよかったのでは……と内心で突っ込む朔乃だが、そんなことはおくびにも出さない。
食後のコーヒーで一息ついてから、朔乃はおもむろに口を開いた。
「桐子、生きてるみたい。もちろんこの世界じゃないどこかで、だけど」
その言葉に、母・沙耶はぽかんとした表情になる。そして体が強張った。朔乃から妹の名が出たのはいつ以来だろう。
「……視たの?」
母親の問いにうなずきで返す朔乃。その瞬間、母親の体から力が抜けた。朔乃がそう言うなら間違いない。母親はその勘で無条件に娘を信じたのである。
朔乃は物心ついた頃から不思議な子供だった。妊娠が発覚した頃はまだ2歳半だったはずだというのに「妹だ」と性別を当ててみたり、桐子が生まれた後も時々「不思議な夢」を母に語って聞かせ、数日後にはその夢と変わらぬ内容が現実に起こったり。
事実、小学生の朔乃は桐子がいなくなることも夢に見て、こっそり母親にだけ知らせていた。
「……今のあの子はどんな感じ?」
「母さんによく似てた。もともとそうだったけど、口調の強気な感じとかも結構似てきてたよ」
離れて10年も経つのに。親子って不思議だね。朔乃はそう呟いた。
そして、どうやら町の薬屋に薬の類を売ったりしているらしい、と知らされた沙耶は驚きを隠せない様子で言った。
「前に桐子を夢視たのって、朔ちゃんが高校生くらいの時だったね。あの頃はまだ簡単な薬も満足に作れなかったんだっけ」
「うん。必死に練習してる感じだった。場所もあの頃は片田舎っぽい村だったんだけど、今度はあっちの感覚だと結構都会な感じの場所だったよ」
多分、5年の間にいろいろあったんだろうね。でも元気そうなら良かった。そう呟いた沙耶に笑顔が宿る。
その様子を見て、朔乃はあえて桐子が短剣と思しきものを提げていたことを言わなかくてよかった、と思ったのだった。