隠し絵、児雷也(かくしえ、じらいや)〜デコだっちゃね〜‼︎②〜
旅館業も変わっていく。
自国の旅行者を待っても、減るばかりだった。
他国人向けに、リノベーションしたが、最近は新しい所に、持って行かれている。
金山旅館の女将、橘友梨佳も、これ以上、大々的な融資を銀行から受けられないでいた。
夫の直巳も息子の直茂も、嫁で最近女将見習いしている真尋も、真面目に頑張っているが、打開策が出てこない。
なんとかしなければと、気だけ焦る。
ここは古くからの湯治場と、ここいら辺の奥座敷を兼ねていて、流行ってきた温泉街だ。
立ち込める硫黄の匂いが、湯量の多さをものがっている。
春先の山桜から新緑へ、秋の時期には、渓谷を紅葉が彩る。
その岩肌に沿って川の淵を歩ける遊歩道も整備されているだ。
途中、可愛い橋も掛かっている。
昨今のトレッキングブームにも乗って、色々な場所から色々な国の人が来ている。
ただし、どうしても渓谷の上流に温泉街があるので、この遊歩道を歩く人たちは、下に行ってしまう傾向が強い。
人間、景色を見ながら、軽く降りて行きたいものだ。
泊まってる旅館が無料で遊歩道の下の出口に
、迎えに行ってるが、やはりそのまま降りてしまう人たちが、俄然多い。
中には、バスで来て、そのまま降りてしまう人もいるのだ。
何とか、泊まっていってもらいたい。
東北二県にまたがる山の温泉旅館街は、寂れる一方だったのだ。
間欠泉もあったが、かなり離れているし、昔の金山後も落盤があったので、封鎖されていた。
ランチ付き日帰り温泉は、温泉街の入口を、潤したが、中の方の老舗旅館まで、客を連れては来なかった。
そんな最中、孫の直哉が、大学を終えて帰って来た。
真尋の祖母の住む離れの二階が空いていたので、そこに収まった。
ヘンテコなシャム猫も一緒に来たのを知ったのは、かなり後だった。
真尋の祖母の中本つるに、『デコ』なんて、ヘンテコな名前で呼ばれていたが、女将の友梨佳が目にした時には、ガリガリの身体もふっくらとし、なかなかの美猫になっていたが、デコが、出ている。
笑えるシャム猫なんて、デコぐらいだ。
つる婆さんとデコは、散歩仲間だった。
オッドアイのシャム猫は、ここいらには居なかったので、すぐに有名になった。
金山のデコと、呼ばれている。
孫の直哉は、チョイチョイ出かけていて、夜も遅かったから、デコのご飯はつる婆さん任せだった。
デコは、ドライフードしか食べなかったから、87歳でも、なんとかなっていた。
死なず殺さずの経営の中、待ちに待った、紅葉の季節が来た。
客足も伸び、金山旅館にも、活気が戻ったのだった。
忙しければ猫の手も借りる。
つる婆さんもデコもお迎え要員として、駆り出されていた。
旅館の受付の横に畳と囲炉裏がある。
その囲炉裏端で婆さんが、お茶を注いでもてなせば、それだけで絵になる。
昔、三味線なんか弾いてた粋な人だから、この歳でも、シャンとしていて、客受けも良い。
居眠りしてても、かえってそれを写真に収める物好きもいるぐらいだ。
デコは、館内を歩くだけで良い。
人の手が嫌なら、太い梁が逃げ場になっている。
梁の上のシャム猫も、なかなかの被写体だ。
で、おデコを笑われてるのは、お約束。
今年の紅葉は、殊の外、深い。
その年その年で、紅葉の色合いも変わるのだ。
秋の長雨もなく、程よい湿り気と天気に恵まれ、行楽気分は盛り上がっていった。
外をシャナリシャナリ歩く、デコの長いクネクネした尻尾を、金山旅館に着いたばかりの泊まり客の子供が、ギュッと握ったのは、仕方のないことだった。
最近のペットショップで売られている洋猫は、ニャアと鳴かないぐらい、おとなしい。
野良猫も人懐っこい仔ばかりなのだ。
デコも子供には手を出さなかったが、全身の毛を逆立てて、ギャっと叫んだ。
その子の親が子をかばって立ちふさがると、デコは、旅館に入られなかった。
踵を返して、デコはそのまま、遊歩道にかけて行ってしまったのだ。
つる婆さんが見ていたが、到底追付けるものではない。
お迎えに出てきた真尋に、つる婆さんがデコの事を話した。
その頃には泊まり客もその子供も、旅館の中だった。
「婆ちゃんは、お客様にお茶を出して、私が見てきます。
女将さんに言っておいてね。」
最近外勤めを辞めた、見習い女将の真尋は、トレーナーにGパン、エプロンとジャンバーっていう、格好で庭掃除をしていたのだ。
紅葉は落ち葉も運んでくるからだ。
デコは、どこに入ってしまったのか、かなり下の紅い欄干の橋まで来ても、姿が見えなかった。
とうとう出口についてしまった。
ここから先は、探しようがない。
本気で隠れた猫ほど、捜し出せないものもないだろう。
真尋は、息子の直哉に、電話した。
珍しく、もう帰宅途中だという。
待ってると、直哉の軽自動車が、オレンジの車体と丸い目を光らせて、登ってきた。
「ありがとう。
お袋は、これ、乗って帰ってくれ。
俺は、ここから、デコ呼んで、歩いて登るからさ。」
「わかったわ。
気をつけてね。
可哀想に、デコちゃん、凄い声を出していたのよ。」
黄色のデカい懐中電灯を片手にぶら下げて、直哉は遊歩道を、登って行った。
時々、デコを呼ぶ直哉の声がしてる。
それも聞こえなくなった。
真尋は、エンジンをかけ、金山旅館に戻って行った。
直哉がマメにデコの名を呼びながら、上がっていくと、何人かの観光客とすれ違ったが、誰一人、オッドアイのシャム猫を見ていなかった。
シャム猫の気性は、気高い。
そこに油断があったのかもしれない。
大事にされすぎたのだ。
旅館の中なら、梁に逃げてしまえたのだが、外では勝手がちがう。
夕闇が迫っていた。
心細いデコだった。
やがて、名前を呼ばれてるのが、わかった。
張り付いた喉で、ニャアと鳴いた。
そばを明かりが、2度3度と通り過ぎていく。
デコの眼が光る。
やがて、崖の上に、木の枝を頼りに、直哉が上がってきた。
デコは直哉に飛びつくと、ギュッと爪を立てた。
「痛たた。
わかったよ。
帰ろうね。」
甘えん坊のデコが、ミャウミャウと鳴いた。
デコを肩に乗せて、下に降りると、懐中電灯を、拾った。
そこは、遊歩道の入り口で、金山旅館から、目と鼻の先だった。
猫は意外と近くに潜むが、何せ隠れるのが上手いから、デコがかぼそいながらも鳴いてくれたのは、良いことだった。
金山旅館に着くと、デコは直哉の肩から降りて、サッサと梁の上に登った。
パタパタと真尋が早足でやって来た。
「いたの、良かった〜。
婆ちゃん、心配してて。」
女将の友梨佳も顔を出した。
「お客様に、知らせておいてね、真尋さん。
走らないのよ。」
「はい。」
それでも、少し早歩きで、泊まり客の部屋に真尋は、急いで行ってしまった。
「聞いた。」
「うん。
タイミングが悪かっただけだよ。
きょうは、気持ちの良い日だったから、デコも油断したんだよ、きっと。」
「お腹空いてないかい。
事務所で、ご飯用意できるけど。」
「うん。
なんでも良いから、食べさせて。
結構歩いたんだ、デコ呼びながらだから疲れた〜。」
二人は連れ立って事務所に入った。
つる婆さんは、晩御飯も早いし、もう寝ている時間だ。
梁から、軽いトンと、デコの足音がした。
二人の後を尻尾を揺らしてついてきた。
直哉がドライフードをデコにあげると、カリポリと食べ始めた。
直哉の刺身定食も来た。
ご飯は丼入りの、寿司飯。
それを刺身で半分食べて、残りはお茶漬けにした。
塩辛も沢庵も全部入れて、掻っ込む。
デコは生魚も煮魚も焼肉もハムも嫌いだ。
そんな、野蛮な物は食べません、と、ツンとする。
缶詰をやった時は、ハンストされた。
まあ、旨ければ良いから、それっきり、デコは、ドライフードだった。
食べ終わると、直哉の足に絡みつき甘えた。
抱き上げると、手足がダランとさがる。
「じゃ、婆ちゃんも心配だから帰るから。」
やっと顔を出した真尋に、またねと、直哉とデコは離れに帰って行った。
「真尋さん、所で、直哉って何してるのかしらね。」
「あれは、ほら、なんとかデザインってので、デザイナーだって、言ってました。」
チンプンカンプンな仕事をしているのだ。
「そう、美大って、何習ってきたのかもわからない大学だったわね。
さて、デコちゃんも無事だったし、もう少し、頑張ったら、呑みに行きましょうよ。」
中居の林さんや佐藤さんも俄然やる気を出す。
カラオケスナックに、女達は繰り出した。
次の日、直哉はデコとつる婆さんとやって来た。
「良かったっちゃね〜デコちゃん。」
と、婆ちゃんはご機嫌だった。
デコはトントンと、梁に登って、悠々と下を見ている。
直哉は、あまり旅館の方には、顔を出さないのだが、祖父の直巳と父の直茂に、用があったのだ。
直哉は、自作の絵を襖に、使ってくれないか、相談に来たのだ。
「ひと部屋だけ、貸してくれないかな。
綺麗にするから、親父達にも損はないはずだよ。」
爺ちゃんはなかなかのやり手だ。
孫が、部屋を綺麗にするなら、手間賃は省ける。
父は板前だったので、そこまで旅館業には、のめり込んではいない。
「北の死に部屋、どうにか出来るか。」
「日当たりなんて、どうにでもなるさ。
じゃ、任せて。」
それから、二週間。
部屋は整った。
北の死に部屋は、広さはあるのだが、まとまりがない。
直哉は、畳を上げて、板の間に張り替えて、可動式の高床式の畳を2つ置いた。
一つは、畳ベッドになり、一つは掘りごたつになった。
広縁の屋根を半分、スケルトンにして、日差しを入れた。
広縁との境には、可動式の雪見障子を入れ、障子の桟をベンガラで染めた。
天井もベンガラを塗った。
部屋の床材にも、艶出しをし、市松にして、コントラストを出した。
床に置いた間接照明には、シワのよった和紙と金属の組み合わせの物を選び、金属は漆のように見えるのをえらんだ。
床の間と飾り棚は、沈んだ緑に金をあしらって、房飾りのついた模造刀の大太刀を、飾った。
開けるとクローゼットになってる戸には、直哉の襖柄が描かれている。
大胆な構図で、化け蛙に乗ってる児雷也だ。
ケレン味たっぷりな盗賊とも忍者とも取れる児雷也は、紙では無くシールなのだ。
襖の大きさに合わせてあるので、違和感は無い。
ここを、外国人向けに、ネットに載せた。
陽のあまり当たらない方には、幽玄な竹林の壁紙シールが貼ってある。
その上、リクエストがあれば、何十種類の中から、下地を作ってある襖に、張り替えることが出来る。
花魁道中や東海道五十三次。
富嶽三十六景でも日本の四季でも、張り替えることが出来る。
そして、その壁や襖に貼れるシールも、大小揃えて売るのだ。
壁紙クロスが貼れる場所なら、どこでも良いし、襖柄なら廊下の壁に襖が現れるから、襖大の大きなのが売れた。
縁なしなら、額に入れれば絵画の様にもなる。
シャワールーム用も、人気があった。
それでも何故か、児雷也人気は衰えなかった。
これが、直哉の収入になった。
児雷也の部屋は、アッと言う間に、予約で満杯になった。
まずは、児雷也の部屋で泊まり、次の日、観光をしてる間に、舞妓さんや赤富士が現れるから、連泊も増えた。
金山旅館は、児雷也の部屋を5部屋にしたが、まだ足りない。
「いやはや、貧乏旅行しかしない様なリュック背負ったのが、ポンと五万も十万も払って泊まって、その絵を何枚も買っていくなんて、信じられん。」
孫に投資した爺ちゃんは、事の成り行きに、ついていくのが精一杯だったが、そこは商売人。
これ以上、児雷也は、増やさないと宣言した。
「価値ってのは、ほれダイヤや金と一緒で、多けりゃ下がるからな。」
直哉の絵は、丸っ切りの浮世絵を写した物ではないのだ。
直哉のタッチが生きている。
それに、児雷也の着物の柄のある場所に、描かれたのはデコだった。
他の絵にも、デコが隠れている。
竹林の影にも、デコがいた。
おデコがチョイと出てるシャム猫は、彼の創作意欲を掻き立てるのだから、仕方ない。
囲炉裏でつる婆さんが、お茶を振る舞うそばで、デコがウーンと伸びて、座布団に丸まって昼寝をする。
金山旅館の児雷也の部屋に泊まり、お土産に、襖シールを、持って帰り貼る。
そこにあのオッドアイのシャム猫デコを見つけるのは、誰だろう。
このおデコが出てて、クスッと笑えるシャム猫は、見つかっていないらしく、ネットの世界も静かだ。
児雷也の中に、デコは上手く隠れていた。
身を隠すのは、猫の十八番たが、直哉が愛情込めて、隠していたのだった。
今は、ここまで。