~九十八の巻~ 妨害
皇子様がお出でになられてから、と申すか、婚約が決まってから、と申すか、兎に角私の毎日は其れ迄の日々と一変した。
先ず、お父様が早速追加手配してくだされた宮廷内の仕来り等に詳しき教師達が、日替わりで参られては、真っ白な私の頭の中に(其れ迄入内する等と思うてもおらなんだ故、此れ等の知識は想定外だった)、最早時が足らぬという事で、付け焼き刃程度ではあるが、無理やり詰め込んでくだされておる。
苦手だった歌は、あの当時よりは、其れなりに形は出来ておるとは思うておるが、其れを察してくだされた皇子様が、ご多忙の中、毎日文をくださり、其れに返歌させて戴く形で添削して戴いておる。
人に知られたら何と申されるか、何とも恐れ多き事だ・・・。
何れにしても、其れ迄の、のほほんとした日々とは別れを告げ、私は多忙な毎日を送っておる。
そもそも、幾つもの事を同時にそつ無くこなせる程、私は器用では無い故、色々と懸案事項や懸念事項が有った筈なれど、他の事に頭を巡らす余裕など全く無くなってしまうた・・・。
今の私には、己の入内の準備だけで手一杯だったのだ。
其れ故、すっかり忘れておったのだ、この縁組みを快く思わぬ方々がいらっしゃるという事を・・・。
◇◇◇◇
皇子様が屋敷にお出でくだされてからふた月程経たある日の事、滅多に負の感情を面に出さぬ笹野が、珍しく険しい表情で私の元にやって来た。
「姫様、左大臣様が帝に、志摩姫様を大海皇子様のご正妃にと公の場にて言上なされた由にござります。」
「周知の事実でござりまするが、現帝のご正妃様は左大臣様の実妹にて、現皇太子殿下は甥に当たられます。」
「同席なされていらしたお二方も、其の場で其れは良いと賛同なされて、強引に決定事項の様にされてしまわれたとか。」
笹野の言を聞いておった侍女の一人がすかさず、
「何を仰っしゃいまするか!大海皇子様は既に珠姫様とご婚約なされておいでです。」
「其れは内々の事、正式なご結納はまだ取り交わしてはおりませぬ、其の僅かな隙を狙われたのです。」
皇子様と私の結納は、お父様が領地にて発生した税の横領問題を調査する為に急遽現地に赴かざるを得なくなった事もあり、繰り延べになっておった。
「然も珠姫様にも、己のご嫡男とのご縁談を申し入れて参られました。」
「ご嫡男?」
「はい、ご嫡男・禎親様にござりまする。」
「禎親様は御歳二十の若君にて、先の花見の折に、姫様を見初められたとか。」
(花見の折・・・、)
一気に珠には記憶が甦ってきた。
(蛇の様な目をした・・・、)
『斯様にお可愛らしい姫君が右大臣家にいらしたとは・・・。』
まるで全身を舐め回す様な目でねっとりと私を見てきた殿方。
私は居たたまれなくなり、気分が優れませんので、と申し上げてお父様を捜し出し、早々に引き上げて来たのだった。
「其の様にふざけたお話、あの大海皇子様が、黙ってお受けになられる筈ござりませぬ。」
興奮した侍女の言に笹野も同意して、
「私も其の様に思いまする、ただ、右大臣様ご不在の折、当家には表立って何も出来ませぬ、其れが口惜しうてなりませぬ。」
普段穏やかなあの奥方様さえ、
『右大臣家を蔑んだ仕打ち、殿のご不在の折、私が留守をお預かりしておる間に、斯様な事、有ってはなりませぬ!』
其の様に申されて、密かに状況を探らせておいででござります。
故に姫様も、お気持ちをしっかり持たれて、皇子様をお信じになられてお待ちくださりませ。
「私とて絶対にこのままには致しませぬ。」
笹野は口を間一文字に引き結び、確固たる決意を固めておった。




