~五十八の巻~ 魂の伴侶
『む・・ほん?』
『お祖父・・様・・が?』
『な・・に・・ゆえ?』
『何故謀反など!?』
『お祖父様・太政大臣様は、以前より権力に執着されておいででした。』
『其れに目をつけた左大臣からの甘言に、惑わされてしまわれたのでござります。』
『然れど、企みが漏れたと知るや否や、左大臣一派は掌を翻し、卑怯にも罪を全て太政大臣様に押し付け・・・、元々左大臣は狡猾で用心深き男なのです、物証など一切残しておらぬでしょう、早々に別宅に逃げ込み、息を潜めておると聞き及びました。』
『お父上・郁馬様は以前より太政大臣様のご様子を案じられて、幾度となくお諌めになられておいででござりましたが、お祖父様は聞く耳持たれず・・・、』
『故に郁馬様は、安芸家を出られて、此れからは若君と青湖様と水入らずで、此方の庵にて静かにお暮らしになられるお心づもりで有らせられたのです。』
『然れどお祖父様の企てが露見してしまい、最早その夢叶いませぬ。』
『お二人の事は公にはなっておりませぬ故、この場所迄追っ手が掛かるかは判りませぬが、万が一の事を考えますると、やはり、より人目につきにくい地方の山里に移られた方が宜しいかと思われます。』
『都には、珠がおる!』
『此処を離れる訳には参らぬ!』
『私は珠の夫となり、何があろうと生涯守ると誓うたのだ!其の誓いを違える事は出来ぬ!』
『郁馬様は、青馬様が唯一の安芸家の希望だと申されておられました。』
『安芸家の血を絶やさぬ為に、青馬様には生きぬいて戴かねばなりませぬ。』
『青馬、珠姫様の事は諦めよ、最早二人の道は交わらぬ・・・。』
母上の言葉が私を打ちのめする。
(道・・は・・交わら・・ぬ・・と?)
(私と珠の道は逸れてしまうたと申されるのか!)
『支度全て整いましてござりまする。』
其の時、侍女が知らせにきた。
私達は目立たぬ様に幾人かずつに別れて、それぞれ別の道を闇夜に紛れて、暁房の母方の実家が在るという、伊勢の片田舎を目指して旅立ったのだった。
(珠・・・、許せ!)
(然れど、然れど私は絶対諦めぬ!)
(必ず、必ず、再びお前の元に戻うて来る、どうか私を忘れないで居てくれ!)
私は珠に初めて逢うた日に感じた己の“想い”を信じておった。
初めて逢うたあの日、最初に浮かんだ言葉は、
(やっと逢えた・・・。)
其の事を不思議に思い、帰り道に父上にお尋ねした。
◇◇◇◇
『父上、私は珠に会うて、思うたのです、やっと逢えた、と。』
『初めて会うたのに、おかしいですよね?』
『何故?何故おかしいと思う?』
『然れど、珠は生まれたばかりの赤子で、私達は初めて会うたのですよ?おかしいではありませぬか。』
『初めてでは無いとしたら?其れなら何もおかしい事など無かろう?』
『初めて、では無い?』
『其の様な事、珠は生まれたばかりなのですよ?』
『今は・・な?』
『えっ?』
『お前がもしも珠姫に会うてやっと逢えたと感じたのなら、永い時の中で、お前の魂がずっと珠姫の魂を捜しておったのだろう。』
『たましい?』
『たましいとは何ですか?』
『魂とは私達の根本、心の基だ、青馬のこの体はただの器に過ぎぬ。』
『お前にはまだ解らぬかもしれぬが、この世に生を受けるという事は、青馬の体に青馬の基となる魂が宿るという事なのだよ。』
『お前達は、悠かな時の流れの中で出逢いと別れを繰り返してお互いを捜し続けておる、この世に生を受ける前から魂が結ばれた伴侶なのだよ。』
『私も青湖に、母上に初めて会うた時、お前と全く同じ気持ちがした、直ぐに解ったよ、私の魂の伴侶なのだと。』
◇◇◇◇
私達の魂は深いところで結ばれておる。
『母上、母上は父上と再びお逢いになれると思うておいでですか?』
伊勢に向かう旅の途上、母上に斯様にお尋ねすると、
すると母上はにっこりと微笑まれて、
『もちろんですよ。』
『例え二度とこの世ではお逢い出来なくとも、私はお父上に何度でも巡り逢えるのです。』
『私はお父上とお過ごしさせて戴く中で、漸く其の事を思い出しました。』
『故に私達は離れておっても大丈夫なのですよ。』
其れに、と母上は私をご覧になられて、
『今生では、郁馬様は私に青馬を授けてくださりました、郁馬様にそっくりの青馬を・・・。』
『私は一人ではありませぬ、だから私は生きてゆける。』
そう申された母上の瞳から、屋敷を出て初めて、大粒の涙が一筋流れ落ちていった・・・。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
珠は幼き日と変わらず、私の腕の中で、安心しきって安らかな眠りの中におる。
(珠・・・。)
実に不思議に思う。
斯様に様々な荒波にもまれてきた私だったが、やはり珠へのこの想いだけは変わらなかった。
珠は私の事を覚えていてはくれなんだが、其れでも再会したあの日、珠は申してくれた、又会えぬかと。
あの時思うたのだ、やはり父上が申された通りだったと。
然れど、其れにも拘らず、私は酷き男だ。
こうして再び逢えた大切なお前に、私は都に行けぬ己に代わり、都で何をさせようとしておるのか。
都で一番の姫になるという事、其れ即ち必然的に左大臣家から疎まれる事に他ならぬ。
左大臣家、怨んでも怨みきれぬ、我が安芸一族の宿敵!
私達家族の幸福な日常を踏み躙り、私と珠の未来を切り裂き、一族を滅した。
無論お祖父様にも非は有れど、然れど決して許す事など出来ぬ!
本心を申さば、我が腕に眠るこの小さき少女には、世の闇など何も知らずに常に笑うていて欲しい。
珠はまだ何も知らぬのだ。
あの頃と代は替わったが、今も変わらず都で権勢を欲しいままにしてのさばっておる左大臣一族の欲の深さを。
然れど口惜しいが、今の私にはこの地に潜み、我が一族の血を絶やさぬ事しか出来ぬ。
珠お前は、左大臣家に勝るとも劣らぬ、名目柿本家の息女。
私は私の腕の中にすっぽりと納まる程小さきお前に、何と過酷な道を歩ませようとしておるのか。
私には傍に居て守うてやる事も、共に生きる事も何一つ出来ぬというのに・・・。
然れど私には、お前のこの小さき肩に託す以外、我が心に今も消える事無く渦巻くこの怨念を晴らす道が、最早残されておらぬ。
私は斯様に酷き男なのだ。
其れでも、どうかお前の未来に、幸多からん事を!
矛盾しておると言われようが、其れが、私や、お前のご両親、私の両親の願いだ。
珠、お前は私達に残された唯一の希望なのだ。




