~四十九の巻~ 父上
あの日初めてこの洞窟の中に足を踏み入れて、あの一家の墓標と、(後で判った事ではあるが)恐らく父上が供えたであろう水や朽ち果てた野の花の残骸を見付けた時、荒れ狂うておった私の心は、不思議と凪いでいった。
母上が父上の側近だった暁房と再婚されるという事実は、あれ程私達を大切にしてくだされた父上を、父上の存在を、消してしまう事の様に思われて認めたくなかった。
然れど其れ以上に私の心を引き裂いたのは・・・、
『若君、若君には、いずれ元服なされた暁には、我が娘・菫と祝言を挙げて戴きます、そうお心得ください。』
という続けて暁房が申した一言だった。
『何を申す!私には珠がおる!我が妻は生涯、珠唯一人だ!』
『青馬、珠姫様の事は諦めよと申した筈、お前達の道は最早交わらぬのです。』
『母上!母上とて申されておられたではありませぬか、父上は生きておいでだと!』
『父上がお戻りになられるのを、此処でお待ちになられていらしたのでは無かったのですか?』
『青馬、暁房殿も申された筈、お父上が私達の元に戻られる事はありませぬ。』
『何故かお解りですか?』
『此処には貴方が居るからです。』
『此処に居って、もしも万が一見付かったら、直系の男子である貴方も無事では済まされぬ、其の為にお父上は姿を隠されたのですから。』
『然らば私が!私が父上の元へ参ります!』
(私から全てを取り上げようと申すのか!)
(珠へのこの想い迄も!)
其の途端、私の中で今迄堪えていた様々な物が、堰を切った様に溢れだし、最早止められなかった。
気が付けば屋敷を飛び出して闇夜を走っておった。
そうしていつの間にかあの森の中をさ迷っておったのだった。
◇◇◇◇
今思えば、初めから父上がお導きくだされておったのやもしれぬ。
そうだ、恐らく父上と父上が手厚く葬られた此処に眠る先人の魂が、私をこの場所に迎え入れてくだされたに違いない。
後に発見した父上がこの洞窟内に残された日記により私は様々な事実を知る事になった。
父上はお祖父様との考え方の違いから諍いが絶えず、其れから逃れたくて、左大臣家の姫と婚姻なさる迄、暁房に縁のこの地を毎年訪れる様になった事。
そして私と和哉同様に暁房と剣の稽古であの河原に通われる様になり、ある時偶々一人で森に迷い込み、この洞窟を発見なされた事。
以来、密かに一人で参られては、静かな時を過ごされていらしたらしい父上は、其の時々に感じられた事、誰にも申せずに悩んでいらした事を、克明に日記に綴られておった。
私は父上の日記を読む事で、父上が私と同じ様に悩み苦しんでいらした事実を知り、より父上を身近に感じられる様になったのだった。
此処には、父上が確かにこの場にいらしたという痕跡が、其処かしこに残されておった。
珠が着ておる毛皮も其の一つだ。
此処に来れば、父上とお会いして語らい、共に過ごす事が出来た。
私は最早孤独では無かった。
父上が最後に申されていらしたお言葉の意味が、其の時漸く解ったのだった。




