~三十五の巻~ 呼称
其れからの毎日は、大抵一日を河原で過ごす事が多かったが、稀に少し足を伸ばして、あの野苺の園迄行く事もあった。
苺の季節が終わった其の野原は、今は色とりどりの可愛らしい野草の花々の楽園になっておる。
偶に遊びに来た野うさぎを、夕餉の馳走だ!と申して狩ろうとする風矢と、逃がそうとする笹野が揉めたり、相変わらず素直になれぬ風矢と和哉様が木刀で小競り合いをしたり・・・。
そんなこんなは有りながらも、私達は結局楽しく穏やかな毎日を過ごしておった。
◇◇◇◇
そんなある日の事、私はここのところ思案しておった事を思い切って青馬様にお願い申し上げてみる事にした。
『青馬様、お願い申し上げたき事がござります。』
『私にも剣の稽古をさせて戴けぬでしょうか?』
私は青馬様方のお稽古のご様子を拝見するにつれ、私も体を動かしてみたくなり、とうとう我慢出来ぬ様になってしまうた。
青馬様はじっと私の目をご覧になって、
『体は大丈夫なのか?最近は胸の痛みは無い様だが、医師は何と?』
『はい、大丈夫です、成長期には斯様な事も有るそうで・・・。』
◇◇◇◇
あの後、医師の診察を受けた私は、最後に胸が急に痛んだ時の状況を医師に尋ねられ、事細かにあの折の状況を説明した。
すると壮年の医師は・・・、
『お嬢様の心の臓は何も問題ござりませぬ、寧ろとても正常でござりますよ。』
斯様に申されて、にっこり微笑まれたのだった。
私が、では何故あの様に苦しかったのかと尋ねれば、其れは何れお解りになられる時が参りますよ、と申されて帰って行ってしまわれたのだった。
◇◇◇◇
『医師様は何も問題無いと仰ってくださりました、私は女人とて護身の為にも、武術の心得があった方が良いと思うのです、どうかお願い致します。』
と己の考えをお伝え申し上げると、
『和哉、木刀を!』
青馬様は和哉様から木刀をお受け取りになられると、私に差し出しながら、
『明日、私が幼き日に使うておった、より小さく軽い物を用意して来よう。』
『あ、ありがとうござります。』
『私の稽古は厳しいぞ!』
斯様に仰られると、私に向き合うてくだされた。
『其れから、今後私の事は“セイマ”で良い。』
『そ、其れは・・・、』
無理でござります、と続けようとした私に青馬様は、
『此処では、私達は只の“珠”と“青馬”だ。』
そうであろう?
『皆もそう心得よ。』
斯様に宣言された青馬様に、嬉しい筈なのに、私達の関係はこの狭い世界の中だけのものだと改めて宣告された様な気が致して、私は言い知れぬ不安を感じたのだった・・・。




