~三十三の巻~ 歌詠み
暫くすると、
『和哉、交代だ、代わってくれ。』
と和哉様をお呼びになる青馬様のお声が耳に入ってきた。
『はぁ?何故私がこの者の相手など・・・!』
其方に目をやると、不満を述べておいでの和哉様を無視なさって、青馬様が此方に向かうていらっしゃるところだった。
青馬様は其のまま近くの岩場に膝を着き、川の水で気持ち良さそうに顔を洗われると、袂から布巾を出して顔を拭いながら私の方にやって来られて、隣に腰掛けられた。
『何をしておるのだ?』
『歌を詠む練習をしております。』
『本日の講義で、先生からお題を戴いておりまして、次の講義迄に、何首か詠んでおかねばなりませぬ。』
『どんな題目だ?』
『はい、“月”でござります。』
『青馬様は歌はお好きでいらっしゃいますか?』
『私は不得手で、先生に褒めて戴いた事がござりませぬ。』
そう泣き言を申し上げると、
『ははは、そうか、珠は歌が苦手か。』
『では私と同じだな、故に私に尋ねても良い手解きはしてやれぬぞ、ははは・・・、』
其の様にに申されて笑うていらしたが、
『難しく考えず、珠が感じたまま、思うたままを其のまま言葉にしてみれば、其れで良いのではないか?』
『感じたまま?でござりまするか?』
『ああ、別に気取った言葉など入れる必要はない。』
『私も出来ぬしな、ははは。』
自信に満ち溢れた快活な笑顔で斯様に仰る青馬様の言葉を伺っておると、私もそれで良い様に思えてきた。
私は難しく考え過ぎておったのやも知れませぬ。
『珠は月を見て何を感じる?』
斯様に青馬様に問われて、私は月を思い浮かべてみた。
まあるい月、欠けた月、夜空に浮かぶ月、昼の空に浮かぶ月、様々な月・・・。
『三日月は儚なげで美しいと思いまするが、満月は食べてみたくなりまする。』
『はぁ?食べて?』
『ははは、そうか!珠は満月が食べてみたいのか!』
『はい、とても美味しそうなお菓子の様です!』
『私はどの様な姿の月も、大好きでござります。』
『夜空に大きく浮かぶ満月は、天つ国におわしますお母様が、私を優しく包み込んで見守うてくだされておる様な、其の様な温かさを感じますし、細く欠けた三日月は、この手に掴めそうな気が致しまして手を伸ばしたくなりまする。』
『然らば其の気持ちを其のまま詠んでみたら良い。』
青馬様は斯様に仰ると、其の場に腕を枕に寝転がられて、
『私は少し休む故、後で出来上がった歌を、私に詠んで聞かせよ!』
其れだけ申されて、其のまま目を閉じられた。
其の途端、心の臓が大きく一つドクンと跳ねて、私は思わず胸を押さえた。




