~十二の巻~ 幼き日
『如何なさりました?』
急に俯いてしまうた私を案じる様にお声をお掛けくだされた其の御方に、
『何でもござりませぬ。』
と私は笑うて見せようとしたが、上手くいかなかったようだ。
『何でもないというお顔ではありませんね。』
『私は何か余計な事を申し上げてしまったようですね・・・。』
そう仰る其のお声には、私への謝罪の気持ちが含まれておった。
『いいえ違うのです、本当の事を教えてくださりましてありがとうござります。』
『危うく私は父の意のままに、知らぬ間にお見合いをさせられるところでござりました。』
『貴女も婚姻を望まれていらっしゃらないのですね?理由を伺っても?』
と仰る其の御方に、
『はい。』
と一言お応えして、私は楽しかった日々に想いを馳せて目を閉じたのだった。
(珠の回想・幼き日)
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私のお母様は私が二つの時に身罷られたらしい。
私にはお母様の記憶は全く残されておらぬ。
私を産んでから臥せってしまわれたお母様に代わり、私を育ててくだされたのは、お母様の乳母であった弥生の娘、春野だ。
お母様の喪が明けても、塞ぎ込まれていらしたお父様を心配したご友人の方の勧めもあって、お父様は私が四つの時に新しいお母様を迎えられた。
然し、其の時既に乳母の春野にすっかり懐いてしまうておった私は、新しいお母様に馴染む事が出来なかった。
斯様な事情もあり、六つの時に新しいお母様が弟の隼人を身籠られた折、私は伊勢の片田舎にある春野の実家にお世話になる事となった。
春野の実家は代々其の地方の官吏を任されておる裕福な家柄だったので、片田舎に在りながらも、都から教師を招き、私と乳姉妹の笹野は、都に住まうのと変わらぬ教育を受ける事も出来た。
其の上お父様も、お忙しいお身の上にも拘らず、私の様子を度々時間を作っては見に来てくだされたので、私は都に暮らしておった時よりも遥かにのびのびと、何不自由無く過ごしておった。




