すみれ
「大雅! パス! パス!」
海棠 龍信の声が体育館に響く。石動 大雅は胸の前に構えていたバスケットボールを両手で押し出すようにパスすると、ゴール下まで走った。
龍信が、ディフェンスの股の間をバウンドさせるようにしてボールを戻す。
低空で拾ったボール持ったまま、一歩目で大きく飛び上がり、そのままリングへ向かって押し出そうとした大雅の前に、バスケ部の佐々木が立ちはだかった。
その一瞬、世界は色を失い、大雅の目には佐々木の今から数秒後までの行動がコマ送り表示のように重なって表示される。
空中で止まったまま、大雅はどうすればゴールを奪うことが出来るのか、何通りものシミュレーションを頭のなかでテストした。その思考にあわせて、目の前の映像が刻々と変わる。指の動かし方一つ、視線の外し方一つで全く変わる相手の動きを、大雅の目に入れられたECNコンタクトレンズが瞬時にシミュレートしているのだった。
ゴールを決めるパターンを2つ見つけた大雅の視界の端に、カウントダウンが始まる。
カウントが0を表示した瞬間、世界は色を取り戻し、正常に流れ始めた。
空中で、リングに向かって伸ばしていた左手をボールごと体の後ろに引き寄せる。
そのボールの勢いでくるりと一回転した大雅は、反対側の手で佐々木の脇の下からボールをひょいと放り投げ、そのまま着地した。
ふわりと浮かんだボールが、リングに触れもせずにその中心を通り抜ける。
体育館の端に座って観戦していた女子から、黄色い歓声が上がった。
「すげーな大雅! 超高校級かよ!」
駆け寄ってきた龍信が、拳と拳をぶつけてから肩を抱く。
その肩を抱き合う姿に、また一部の女子から黄色い歓声が上がった。
ライガンドに接続して『クオリア・コネクト』を繰り返すうちに、大雅の反射神経、反応速度、手足の先まで微細に調整する能力は、ありえないほどに向上していた。
始まりの活性者、水占 蒼紫との決戦に向けて、リアルでも体を鍛えはじめた事も相乗効果をもたらして、地味な存在だったはずの大雅の周辺状況は一変している。
一部の女子から告白されたり、大雅の体育の授業を見た同級生からバスケ部やサッカー部などいくつかの運動部に誘われたりし始めたのだった。
――僕は何も変わっていないのに
そんな思いはあったが、そんな状況に悪い気はしない。大雅は夏休みの終わりには壊れてしまうかもしれないこの世界を……高校生活を楽しんでいた。
しかし、告白については、まだ中学2年生ではあるものの、命をかけてこの人を守りたいと思う相手、双葉 撫子と言う存在が居るために全て断っていた。
それでも、その断り方の物腰が柔らかく、相手のことを思った言葉がやさしいと言うのも逆に評判になって、最近ではまるで断られることを楽しむかのように、告白される回数が増える傾向にあった。
その一方で、夏休みまでの仮入部と言う約束ながらも剣道部の練習には参加させてもらっている。大雅は、ライガンド内での黒雷の剣の扱いも上達していた。
放課後、1学期最後の剣道の練習は、他校との練習試合だった。もちろん、正式な部員ではない大雅に出場の機会などあるわけはないが、一応今日までは仮とは言え部員である。大雅はおとなしく道場の隅に正座して、声出しを続けていた。
ふと、視界の隅にECNレンズの反応が光る。
〈LIGAND-0104-すみれ-03〉
カーソルは確かに、見知らぬライガンド・ヴィタライザーの名前を表示していた。
振り向いた大雅と、防具をつけた女子部員の目が合う。
ECNレンズに黄色い〈WARNING〉のフレームで囲まれた〈会敵。戦闘を行いますか?〉の文字が浮かび上がった。
大きな歓声が響く中、反射的に「クオリア・コネクト」とつぶやき、戦闘を許諾してしまった大雅のECNレンズの表示は〈個人戦闘〉に変わる。
色の消えた空間がガラスのように砕け散り、破片が溶けるように消え去ると、そこは小さな紫色の花が咲き乱れる、谷間の丘の上だった。
「天を駆る黒き雷よ、全てを守る拳となれ! 黒雷の剣!」
天に向けて差し出した大雅の右手を中心に、黒雷が縦横に空を切り裂き、黒雷を撚り合わせるように棘々しい闇が質量を持つ。
振り下ろされたその黒い塊は、雷鳴を発しながら、ぬばたまの如く美しい漆黒の刀身を顕現させた。
「ちょいちょい! まってまって!」
元気のいい声がかけられ、大雅は毒気を抜かれたようにブリューナクをおろした。
それを待っていたように、花に覆われた丘の草の中から、ぴょこんと猫の耳が現れると、その下からベトナムの民族衣装、アオザイを身につけた可愛らしい女の子が立ち上がった。
「ありがとう! ボク戦う気はないよ」
女の子の口からボクという言葉が発せられたことの意外性と、殺伐としたライガンドの世界には似つかわしくない、ネコ耳に丈の短いアオザイと言う出で立ちに、大雅は思わず笑みをこぼした。
よく見れば、お尻の辺りからネコのしっぽも生えている。
大雅は興味を惹かれ、武器を仕舞うことに決めた。
「雷光とともに去れ。黒雷の剣」
大雅の手元で、雷光とともに剣が四散する。
初めて黒の武器を見たのであろう、すみれは興味津々といった様子で大雅に近づいてきた。
「あらためて、武器をしまってくれてありがとう! ボクは我妻 すみれ! 練習試合でヴィタライザーに会えるとは思わなかったから、思わず戦闘申し込んじゃった! ごめりん」
ぺろっと舌を出して、背中で手を組み肩をすくめる。愛くるしいその仕草にも、大雅は好感をもった。
「あ、僕は石動 大雅。よろしく」
「ふぅん、よろしくね大雅ちん!」
「たいがちん……?」
思わず聞き返す大雅のすぐ横に背中で手を組んだまま近づいてきたすみれは、大雅の周りをゆっくりと回りながら、顔をくっつけるようにして鎧や手甲を観察する。
大雅より20cmほど身長の低いすみれは、最後に、大雅の顔先まで顔を近づけて、もう一度「ふぅん」と言うとめを半分閉じたような半笑いのような表情を浮かべた。
「大雅ちん、彼女居るの?」
いきなりそう聞くと、ネコ耳をピクピクと動かす。どのような仕組みなのかは想像もつかないが、どうやら飾りでつけているものではなさそうだった。
「僕は……居るよ。彼女。まだ正式にOKはもらってないけど……」
「えー、めんどっちぃなぁ。なにそれ?」
不満気なすみれの顔を見ているうちに、大雅はなぜか、今まで誰にも言ったことがない撫子との馴れ初めを話してしまうことになった。
「――それもう付き合ってんじゃん! ごちそうさまっ! ラブラブですにゃー!」
小さな紫色の花の中に、すみれが両手を上げて倒れこむ。
「そうかな……? そうだよね? つきあってるんだよね?!」
花の中に体育座りで腰を下ろし、葉っぱを指先でこねていた大雅が、その草をポイと捨てて確認を求める。
考えてみれば、自分の恋愛について相談できる女の子の友達なんて、すみれが初めてだった。
自分では付き合っているつもりでも、撫子からちゃんとした返事はもらえていないし、同年代の女の子から見てもちゃんと付き合っている様に見えるというのは、大雅にとって何よりの福音だった。
「うれしそうにするなぁっ!」
弾けるように飛び起きたすみれは、そのまま大雅の頭を叩く。
「こっちはいきなり失恋だよー。心ない大雅ちんの一言で、ボクのガラスのハートは粉々ですにゃー」
えーんえーんとウソ泣きをするすみれに、どう対応していいか分からなくなった大雅は、とりあえずネコをあやすように頭をなでた。
ウソ泣きの声がピタリと止まり、ネコ耳がピクピクとせわしなく動く。ネコのしっぽが高々と持ち上げられ、興味を惹かれた大雅は、空いているもう一方の手でしっぽに触ってみた。
「ひゃっ」
ビクッと体を硬直させ、両手を胸の前に引き寄せたすみれが、ぴょんと大雅の横から飛び退る。
その顔は耳まで真っ赤になっていて、ネコのように大きなその瞳は、ちょっと潤んでいた。
「エロす! 大雅ちんエローすっ! いきなり女の子のしっぽ触るなんて変態かっ?!」
胸を触ったわけでもないのに、両手で胸を隠しながらすみれが叫んだ。
大雅としては何を怒られているのかよく分からなかったが、とりあえず、すみれの反応を見るにいやらしい行為をしてしまったのかもしれないと反省し、謝ることにした。
「ごめん、しっぽに触るのがそんなに悪いことだとは思ってなくて……」
「女の子のしっぽに触っちゃダメって学校で習ったでしょ?!」
「いや、ごめん、僕授業あまりまじめに受けてないから……」
大雅の返事にすみれは吹き出す。
「真面目かっ」
笑いながら大雅のおでこを叩くすみれを見て、大雅は安堵の溜息を突き、苦笑いを返すしか無かった。
お互いにヴィタライザー同士、同年代の異性としか話せないような会話を楽しみ、圧縮世界で2時間ほども笑いあった後、二人は圧縮世界を抜けることにした。
「後でSNSのID交換しよっ?」
「うん、いいよ」
「じゃ、圧縮されてない世界でね。大雅ちん!」
「うん、すみれも、後で」
立ち上がった二人は声を揃えてボイスコマンドを口にする。
「切断」
世界は収縮し、道場の喧騒の中に二人は戻った。
「石動! 部員が一人怪我しちゃったんだ、代わりに次鋒で出てみないか? 勝ち抜き戦じゃないから一試合だけだし、やってみろよ」
突然、剣道部の部長からそう言われた大雅は、話を受ける。初めての対外試合、しかも友だちになったばかりのすみれが見ている。
大雅は気合を入れて防具をつけた。
ECN圧縮の力で相手の動きを全て読み、ライガンドの力によって神経の反応速度が数倍に跳ね上がっている大雅に、高校生レベルの相手など、敵ではなかった。
相手の顧問と「急遽経験の浅い部員を出します」と会話している部長の話を聞いていたのだろう、不用意に面を打ってきた相手を軽く面抜き胴で一本に沈めると、大雅は剣道部の部員たちに喝采で迎えられた。
チラリとすみれの方に目をやると、気づいたすみれは他の部員に見つからないように、笑顔で小さなピースサインを作ってくれた。
「本気で剣道をやってみる気はないのか?」
そう引き止められたが、とりあえず夏休みが終わるまではやるべきことが有り、部活動をする事は出来ないと告げ、「ありがとうございました」と頭を下げると、大雅は帰路についた。
校門を出ようとした所で、大雅の視界にライガンドアプリからの〈友達申請 - すみれ〉の文字とSNSの友達申請が一斉に表示される。
学校の駐車場から走り始めた練習相手の学校のバスの窓から、すみれが大きく手を振っていた。
「大雅ちん! またね! ボク、やっぱり大雅ちんが好き!」
大きい声で叫びながら、バスは通りすぎる。周りの生徒達の視線を一斉に浴びた大雅は、顔を赤くして小さく手を振った。
――ライガンド・ヴィタライザー同士は、その生命をやりとりすると言うゲームの特異性から、基本的にコミュニティーを持つ事はない。
そんな説明をいつか聞いたことがあった。
しかし、大雅の周りには沢山のヴィタライザーが、かけがえのない友達として存在している。
生命をやりとりしようとも、それが本気の付き合いであるかぎり、友達にだってなれる。
ライガンドがそう言う絆を紡ぐ世界であれば良いのに。
そう考えながら、大雅はすみれのフレンド登録を承認する。
見上げた空は突き抜けるように真っ青で、しかし、遠い山の向こうには、白く厚みのある雲が立ち上がっていた。
本編のストーリーに直接関係はしません。
第一章と第二章の間の、主人公石動大雅の学校でのエピソードです。




