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私的哲学

自己犠牲とは。

作者: 羅志

これはわたしひとりの考えであって、真実ではない。

ゆえに、信用する必要はなし。

これは、ただの意見である。

自己犠牲とは、基礎代謝だ。


人間は何かしろの形で自分を犠牲にしている。


例えば。

他人の指示に従うことで自身の意志を犠牲にする。

例えば。

他者の行動に連れ添うことで自身の行動を犠牲にする。


そして、それらを犠牲にしていると、人間は気付かない。

それらを当り前として受け止めている。

それらを意識すらしていないからだ。


犠牲になっていると、人間は気付けない。

それらが、人間が成長する中で当たり前となっているからだ。

それらが当り前となる以前を、人間は覚えていることができないからだ。


ゆえに、自己犠牲とは、基礎代謝であると、わたしは考える。

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― 新着の感想 ―
[一言] なるほど、そう言う考え方もありますね。でも、それで周りの人と円滑な関係が結べるなら、それはそれでありだと思います。  もちろん限度はありますけど。 余談ですが、僕の自己犠牲は、他…
2012/12/31 05:55 退会済み
管理
[一言] なるほど。それでは、私共、福祉従事者は自己犠牲の精神に乗っ取って仕事をしている訳ですから、仕事そのものが基礎代謝ということですね。 まあ、私も自己犠牲など所詮、偽善だとは思っているのですが…
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