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序章:砂漠の老獅子

えー、と・・・・・本編を更新しておりませんドラキュラです。


今回はゼップ・ジハーナルをモデルにしました。


リカルドの短編物もあるので、彼の物語も着手した次第です。


アガリスタ共和国は名前の通り共和国だ。


共和国とは国家という存在が、国民全員に所有されている国の事を言う。


つまり国王などが居ない。


逆に国王、皇帝などが居る国を君主国家と言う。


五大陸の中で共和国と名乗っているのは、この砂の国と言われるアガリスタ共和国だけだ。


五大陸には全てで5ヶ国ある。


ムガリム帝国、シャインス公国、サルバーナ王国、クリーズ皇国、そしてアガリスタ共和国だ。


何で、この国だけが共和国となっているのか?


それは多民族国家だからだ。


しかし、それはクリーズ皇国、ムガリム帝国、シャインス公国、サルバーナ王国も同じ事であるが、4ヶ国が大なり小なり部族は居ても、それほど数は多くない。


何より建国者の血筋を受け継ぐ者達が居り、自然と君主国家となっている訳だ。


所がアガリスタ共和国は違う。


何時の日も血で血を洗い続ける戦争が部族内で起きていた。


それを一つに纏めたのが国教であるブライズン教である。


現在の歴史家達の間では、ムザーという建国者は共和国内でも一番人数の多い部族出身者ではないか?


と言われており、彼がブライズン教を広げたのも意図的に部族の領土拡大ないし人心掌握にあったのでは?


そう推測されている。


その根拠と言えるのに、共和国の長---共和将は歴代全員では語弊があるも、殆どの者が人数の多い部族達から出ているのだ。


しかも、極端に偏りがある、とさえ影では言われている程で、少数民族たちから言わせれば陰謀と思えてしまう・・・・・・・・・


だが、共和将は世襲制ではない。


民達の票でなる物だ。


ここで大事なのは・・・・部族の人数である。


部族の人数が多ければ、必然と票も多い。


逆に人数が少なければ、必然と票は少ない。


だから、ある意味では仕方ない事である。


それを納得しろ、と言われても簡単ではないが。


話を変える。


共和将は世襲制ではないが、現共和将に息子などが居たら、その息子が共和将に推薦される可能性は高い。


何故なら父の下で英才教育を受けて、育って来た事から必然と能力なども高いからだ。


とは言え、最終的に決めるのは民達にあるから絶対、とは言えない。


そして現在の共和将はシャー・ジハーナルだ。


御歳70を越える老人だが、政務はこなし民達の要望にも出来る限り応えている。


若き頃は「砂漠の荒獅子」と言われており、多くの戦いを制して来たが、特筆すべき点は彼が異教徒、少数民族に寛大であり理解がある、という点であろう。


過去の共和将達は少なからず異教徒ならびに少数民族に非寛大であった。


それは彼等が多数民族の出で、ブライズン教の信者だからだ。


だが、そこはシャー・ジハーナルも同じである。


シャー・ジハーナルも例に漏れないが、彼は共和将という政治家であるのだ。


だから、宗教と政治は切り離している、と周りから見られていた。


ブライズン教は建国以来、常に国民の隣に居り何時も導いてくれていたが、あくまでも一宗教と言う形であれば問題ない。


政治に口を挟まなければ良いのだが、何時しか彼等は政治にも口を挟むようになった。


それこそ聖書---ブリズンの教えを自分勝手に湾曲した面もある。


異教の神を崇める事を認める代わりに税金を取る制度が、それを物語っている。


通称ジャズヤ、と呼ばれる制度は異教徒たちから定期的に金を取る仕組みだった。


ある意味、定期的に税金が懐に入るのだから国家としては嬉しい事だ。


あくまで国家であり、ブライズン教徒たちの“間”では・・・・・・・・・・・


逆に異教徒達から言わせれば、信仰の自由を妨げており差別と見える。


シャー・ジハーナルはジズヤを廃止した。


共和将になって直ぐの事である。


『異教徒、というだけで税を取るのは間違っている。宗教は自由であり、如何に国教と言えど強制させるなどあってはならない』


そう彼は言い、強引にジズヤを廃止した。


当然の事だが、ブライズン教の者達は激怒した。


特に司祭たちが急先鋒だった。


政治に口を出すようになってから共和将達は頭に瘤が出来た気がした、と史書には書かれている。


ここで史書の1ページを出してみよう。


『ブライズン教は建国以来、常に我々と共にあった。しかし、それは政治と切り離した存在であったからである。

 政治に口を出すようになってからは・・・・・我らにとって瘤となった。元来、宗教は民達の心を癒し、人として正しい道を示す存在である。

 それなのに・・・・政治に口を出しては最早、宗教とは名ばかりの政治集団でしかない』


特に強調されていたのは2つの宗派だ。


『ブライズン教に2つの宗派があるも、互いに嫌悪し合い共存する見込みがまるで無い。そして互いに自身の思想を政治に口出す。

 これは骨が折れて民達の事も考えると実に・・・・骨が折れて折れて仕方ない。

 まるで全身の骨を槌で砕かれて、更に地面へ強く叩きつけられた感じである』


と、記されており・・・・如何に共和将達が頭を悩ませたか解かるだろう。


だが、司祭たちとは逆に民達は寛大である、と素直に評価した。


彼等も今まで共和国で生きてきた身だ。


この国が他国に比べて複雑、という壺であるとは理解している。


だからこそ、彼等は共存を出来る限りしていた。


それはブライズン教の教えを授かっていようと、だ。


その為、シャージハーナルを素直に評価したのだろう。


かくしてジャズヤを廃止した事で定期的な税金は懐に入らなくなったが、シャー・ジハーナルという老獪な政治家は抜け目が無かった。


先ず手に入り難い物などに対して“関税”をして、特定の税金を得る事にしたのだ。


そして公共施設と言えるような物なども建てる事で、民達の不満を解消させつつ国の発展に全力を傾けた・・・・・・・


だが、彼も訪れる老いには勝てない。


何より最愛の妻が死んでから、彼は仕事に打ち込む事で忘れていた。


身体に無茶をさせ続けたのだろう。


一時は病に倒れ、共和将の仕事を放棄せざるを得なかった。


そこで登場したのが彼の長男---ダハル・マサナである。


御歳35歳、と働き盛りである彼はシャー・ジハーナルの傍に何時も居た。


それは長女であり・・・・・・亡き妻の面影を残し、シャー・ジハーナルの“妾”と渾名されるジャナラ・マサナも同じである。


2人はシャー・ジハーナルが妻を亡くした時から“子供を捨て、大人”なった、と言われている。


ダハル・マサナは父の下で政治と武勇を学び、次期共和将と名も高く知られた。


未だに独身で子は居ないが、それでも近い内に嫁を貰う・・・・とは言われている。


一方で長女の方も政治的手腕は高く、同時に武勇の腕も誉れ高い。


容姿も「砂漠の花」、と言われたマサハナと瓜二つで30歳、という脂が乗り切っている。


しかし、シャー・ジハーナルには後2人息子が居た。


もっと正確に言えば、子は男女合わせて14人も居る。


全員、マサハナが一人で産んだが・・・・・長女ならびに長男、次男、三男を残し後の者は早死にしてしまったのだ。


これは砂漠という環境と当時の衛生管理に原因があった。


先ず生まれた赤子は砂漠の風に当たらせられる。


砂漠という荒野で逞しく生きられるように、と願っての事だ。


平民にもやる行事なので、特に問題は無いのだ。


ただ・・・・砂漠の風は害を呼ぶ、とブライズン教の教えではある。


護る為には赤子の身体全体に油を塗る事だ。


それを行えば、風は寄り付かない・・・・と言われたが、逆に害を呼んだ。


油に砂塵が付いて口、耳、鼻などを襲う。


一夜も明ければ・・・・・赤子は砂塵塗れで息絶えている。


これをブライズン教は「悪魔の仕業」と言い、あくまでも行事を続けた。


しかし、シャー・ジハーナルは疑問に覚えて、即座に調べ上げたのだ。


油を塗れば当然の事だが、砂塵などが付く。


誰だって常識的に考えれば分かる事だが、誰もブライズン教の教えに異議を唱える事が出来なかったのだ。


だが、シャー・ジハーナルはこれにより子を失った。


それは民達も同じであり、時代に合わせて行く多数宗派ジナーズ派から言わせても・・・・・余りに前時代的過ぎて固執している。


ここで彼らは儀式を中止させた。


当然の如く少数宗派で、あくまでもブリズンなどの教えを重視するスジール派は猛反発した。


それでもジハーナルは決断を変えず、断行をしたのだ。


これにより大勢の幼い生命は救われたが・・・・後に彼自身の生命が危うくなる。


既に・・・その策という矢は放たれていた。


リカルドのモデルはハンニバル、ヴィクターがスキピオです。


ゼップの場合は2人居ります。


先ず1人がインドのムガル帝国第6代皇帝であるアウラングゼーブ

です。


続く2人が備前の国(岡山県の東南部から、香川県小豆郡、直島諸島、兵庫県赤穂市の一部)だった国の大名である宇喜多直家です。


どちらも謀略を駆使していますが、正攻法でも強い所が特徴的です。


私的に調べた結果・・・・2人の相違点を上げるなら「勝ったか負けたか」という基本的な物です。


そして、どちらも謀略などを駆使しつつ戦いました。


ただ・・・・本当は普通の幸せとか、青空の下で暮らしたかったのでは?と考えます。


ですから、彼の場合も・・・・そんな風に考えて描きました。

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