14.ヒーローの生還 1
14. ヒーローの生還 1
まだ空に星が瞬く中、ルードの里に降り立ったジンは直ぐにメディカルチェックを受けた。
これは、病原菌などを持ち帰っていないかを検査するためのもので、外界から帰ってきた者は必ず受けることになっているものだった。しかし今回ジンはそれ以外にも検査を受けることになった。 それは外界に放り出されたときに、エルドラに乗り移られたために、エルドラの魔波動や乗り移られたときの体の状態などを検査するために行われたのだ。エルドラに乗り移られたときのことは、ジンにとっては思い出したくもない記憶ではあったが、協力しないわけにはいかなかった。
催眠状態で意識の奥に沈んでしまった記憶を探り出される作業は、頭の中と心の中をグチャグチャとかき回されているような感じだった。検査が終わり起き上がったジンの気分は最悪だった。
病院の建物から表にでると、もうすっかり日は高くなっていた。ジンの頭の上には、外界とは違い、ルードの里特有の薄紫色の空が広がっている。ジンはそのその空を見上げた。この空のずっと先には、ラベンダーがいるのだ。ジンの記憶を消すための術をかけられたラベンダーも、もしかしたら今の自分と同じような目にあっているかもしれない。記憶が消されてしまっていては、その原因がなんであるのかもわからず不安なのではないだろうか?そう思うと、思わず大きなため息がこぼれた。
「なにをやってるんだ、行くぞ!」
後に続いて病院の建物から出てきたデュークに促されて、ジンは里の最高議会の建物へ向かった。里を出てから今日までの経緯を説明するためだ。デュークが大きな扉を静かに開けると、そこにはすでに里の最高議会の面々がそろっていた。ジンは緊張した面持ちで促されるまま用意された椅子の横に立った。
「どうした緊張した顔をして、疲れただろう?遠慮しないで座っていいぞ」里の長を務める父のアレックスがジンに声をかけてきた。
「あ、はい……」ジンは父の言葉に一言答えてから、椅子には座らず改めて一同に対して背筋を正してきちんとたたずまいを直して立つ。
「はじめに、里の皆様にご心配とお迷惑をおかけしたことをお詫びしたいと思います。申し訳ありませんでした。そして、ありがとうございました」深々と頭を下げるジンの姿に、一同が驚嘆のため息をつく。
「ご子息は、暫く見ない間に随分と大人になられたようですな。いや、まさか始めにこんな言葉が聞けるとは思っていませんでした」里の副長が、アレックス向かってそう口を開いた。
「こいつもそろそろそういうことが判ってもいい年になったということでしょう」アレックスは口元に少しだけ笑みを浮かべながらも謙遜してそう答えた。
「いやいや、立派なものです。さ、ジン、遠慮しないで椅子にかけたまえ」改めて副長に声をかけられたジンは、一同に会釈をしてから椅子に腰掛けた。
「改めて、ジン、生還おめでとう。そして、いろいろと大変な目にあったようだな。里につく早々に、メディカルチェックなどで疲れているとは思うが、今回のことを報告してもらわなくてはいけないので、もう少し頑張ってくれ。それでは、順を追って話してくれるか?」アレックスはジンの顔を見ながらそう告げた。
「はい」ジンは大きく息を吸ってから、静かに口を開いた。
その後、ジンは南斜面でエルドラに乗り移られた状況や、ラベンダーハウスでの生活の様子などを順を追って話した。そして、いかにフローラとラベンダーに手厚い看護を受けたか。ラベンダーハウスの二人や、ロジャーがいかに自分の事を大事に思ってくれていたかも話した。
「里にいたときには、気がつかなかったことをラベンダーハウスの人たちに教えてもらいました」
たぶんすでにルナから、外界でのジンの様子は報告が入っていたのだろう。ジンの言葉に、最高会議の面々は深く頷きながら静かに話を聞いていた。すべての経緯を聞き終わると、アレックスがジンに声をかけた。
「報告ご苦労だった」
「あの……」
「まだ何かあるのか?」
「今もお話しましたが、俺……いや私が今ここにこうしていられるのも、ラベンダーハウスの二人がいてくれたからです。外界では、すでにエルドラの仕業だと思われる黒い霧が発生し、森の木が枯れたりしています。つまり、魔法使いの末裔である彼女たちにもいつその魔の手が及ぶとも限りません。ですから、お願いです。是非、あの二人のことを、皆さんのお力で護って欲しいんです。私も出来る限りの努力をしますので、よろしくお願いします」ジンはそこまで言い終わると、また椅子から立ち上がって一同に向かって深々と頭を下げた。
「了解した。デュークその件についての手はずはどうなっている?」
「はっ。先日ルナが結界を設置しております。巡回警戒地点に設定しましたので、今後も引き続き監視を続ける予定です」
「そうか、よろしく頼む。ジン、聞いてのとおりだ、我々としてもできるだけのことをしていくつもりでいる。それで異存はないか?」
「はい。よろしくお願いします」ジンは改めて、父と兄に向かって頭を下げた。
「さてとジン。報告は以上だなご苦労だった。もうココはいいから、早く家に帰って母さんに顔を見せてやれ。今頃首を長くしてお前の帰りを待っているだろうから」父はそういって静かに頷いた。
隊に報告が残っているからというデュークと最高議会の建物の前で別れて、ジンは一人で家路についた。久しぶりの自宅を目の前にして、なんと声をかけて入ればいいのか、少しの間戸惑っていたが、結局、「ただいま」と一言だけ声をかけてドアを開けた。
「遅かったわねー!」
そういって玄関を開けてくれたのは、一足先に帰った姉のルナだった。
「お袋は?」
「え?あれ?ママ……」ルナは母親が当然自分の後ろについてきていたと思っていたらしい。ジンは、母親を呼びに行こうとしたルナを制してリビングに向かった。
「ただいま帰りました……」ジンは声をかけながらリビングを見回したが、そこには人影が無かった。
「今、私と一緒にキッチンにいたんだけど……」後ろからついてきたルナの声を受けてジンがキッチンに出向くと、流しの前に母親の姿があった。
「ただいま、かあさん……」声をかけて近づこうとした瞬間、母親の肩が小さく揺れているのに気がつきジンは一瞬立ちすくんでしまった。母は流しの前で泣いていたのだ。ジンはそっと母のそばに歩み寄ると、改めて声をかけた。
「母さん、ジンです。ただいま帰りました」母は、直ぐには振り向かずに黙って静かに頷いた。
「いろいろ、心配かけて本当にごめんなさい」ジンは、母に向かって頭を下げる。すると、ジンの肩にそっと手が置かれた。
「お帰りなさい。もういいから、頭を上げて……。思ったよりも元気そうでよかった」その声に顔を上げると、母のノエルが優しく微笑んでいた。ジン周りを懐かしい匂いが包んでいた。
(俺、本当に家に帰ってきたんだな)
そう思うと、胸の奥のほうから熱いものが込み上げてくるのを止めることはできなかった。
「母さん、いろいろ心配かけてごめんなさい。俺、ごめんなさい……」思わずジンは、母を抱きしめて泣いた。腕の中の母の体は、ジンが思っていた以上に小さく感じて、ジンの胸の中にはまた切なくて熱いものが溢れて一杯になる。
「ほら。ジン。あなたが元気で帰ってきてくれたんだから、それだけでいいんだから。もう泣かないで」母は小さな子供をあやすようにジンの背中をポンポンと叩いた。