13. 幻のファーストキス 9
13. 幻のファーストキス 9
「うわぁっすごっ!」
絶句して立ち尽くすジンの横顔を、ラベンダーはまぶしい笑顔で見つめていた。新月を迎えた漆黒の夜空とは対照的に、満月をそのまま地上に下ろしてきたような透明な輝きが風に揺れていた。廊下で鉢合わせした二人は、そのあとそろってリビングのフローラの元へ行った。そろって顔を出した二人にフローラはあえてなにかを尋ねることもなく、普段と同じようにマグカップを差し出した。何も尋ねてこないフローラの様子に、その後も三人は普段と同じように過ごし、いつものように夕飯のテーブルを囲んだ。ただ違っていたことは、ジンは二人にルードの里のことやココに来た日のことなどを話したことだった。しかし、二人を不安にしないためにエルドラのことだけは口にしなかった。そうして穏やかに最後の一日を終えようとしていた三人が、リビングでお茶を飲みながら話していたときのことだった。
「ジンは帰ったらまたステージアップ試験をうけるの?」ラベンダーがジンに尋ねてきた。
「うん」
「難しい?その試験」
「いや、そんなに難しくないよ。この前は……その、俺がガキだったんだよ……」
「えっ?なにそれ?……子供だと落ちちゃう試験なの?」
「まあね。里では、その試験に受かって一人前って認められるからね」
「そっか、じゃあ試験頑張ってね」
「もちろん!そうしないとお前に会いに来るっていう約束も果たせないしね」
「絶対受かってね、待ってるから!」
「おう、約束しただろ?」
「そうだね」少しうつむくラベンダーの横顔を見ていたジンが、あっと小さな声を上げる。
「なに?」
「約束っていえば。帰る前に、お前との約束を実行しなきゃ!」
「え?」
「ほら、宵待草見に行くって言っただろ?」
「言ったけど……。だって、あれが咲くのは明日の晩っていうか、明後日の明け方頃だよ?」
「あれ?ラヴァン、俺が誰だか忘れちゃったの?」ポカンとした顔をするラベンダーに、ジンは含みのある笑いを返す。
「へ?」
「俺これでも、ルードの里では魔力が強いって有名な魔法使いなんだけど?」
「魔法で今日でも見れるってこと?」
「うん、多分そんくらいはいけると思うけど?」
「ほんと?だったら行く!見に行く!」
「よし、じゃあ二人とも支度して!」
「あ、私は遠慮しておくわ」
「え?なんで、フローラも一緒に行こうよ!」
「年をとるとね、夜風に当たるのは体に堪えるのよ。だから、二人で行ってきて。ジン頼んだわね」
「え、はい……わかりました」
「じゃあフローラ行ってくるね」
そうして二人は今、ラベンダーハウスからそれほど遠くない宵待草の自生地にやってきた。満天の星明りの下、風が吹くと何かがぞわぞわと波打って見えた。
「ココ?」
「うん。そこの窪地に生えているのがそうだよ」
「わかった、じゃあラヴァンこっちにきて」
ジンはラベンダーを自分の腕の中に引き寄せ、ラベンダーの体を覆うようにして腕を伸ばして手のひらを合わせた。向かい合わされた手のひらの間に光の玉が浮かび始めると、ジンとラベンダーの体を光が包み込んだ。そしてジンが光の玉を空に投げ上げると、空中でとどまった玉が光の帯を周囲に放つ。その光のまぶしさにラベンダーは思わず目を瞑った。
「ラヴァン、目を開いてみて?」
ジンに声をかけられ、おずおずと目を開くと、目の前の窪地に夜空の星が降りてきたかのように無数の小さな光が揺れていた。開花直前の宵待草のつぼみだった。小さな光は、少しずつ輝きをましていき……やがて端のほうからまばゆいほどの光を放って開花していった。
「感動するでしょう?」宵待草の開花に感嘆の声を上げるジンの隣に並び、座るように促しながらラベンダーが声をかけた。
「うん。すげえよ!驚いた!毎年楽しみにする気持ちがわかるよ」
「でしょ~?」ラベンダーは、また満足げな笑顔をジンに向けた。
「本当はね、宵待草はね夜明け前に咲くんだよ」
「ふう~ん」
「ねえ?ジン。夜っていつが一番暗いか知ってる?」
「え?日が落ちちゃったらみな暗さは一緒じゃないの?それか真夜中?」
「へへへ、そう思うでしょ?それが違うんだな~」
「?」
「光って物に回り込む性質があるんだって。それでね、大気も光を反射するでしょ?だから、太陽の反対側にあるときよりも、その後から夜明があける直前までのほうが暗いらしいよ。それほどはっきりとした違いはないんだろうけどね。だから多分、夜明け前の夜空が一番暗く感じるんじゃないのかな?でね、宵待草はその夜空が一番暗く感じる時間に咲くから、輝きが目立って見えて、花が放つ光はそれほど強くないんだけど、すごく明るく感じて見えるんだってさ」
「へぇ~そうなんだ……」
ラベンダーが言うように、宵待草の花の一つ一つが放つ光はそれほど強いものではないようだが、群生していて花の数が多いせいか、他に何も光源が無いにもかかわらず、二人の周りは、お互いの姿や顔がはっきりと見ることが出来るほど明るかった。
「それにしても、毎年見てるけど、本当にキレイだよね~」
ラベンダーが、独り言のように呟く。ジンは、宵待草の明りに照らし出されたラベンダーの横顔をみていた。ラベンダーの髪と瞳は、普段太陽の光の下でみると黒に近い深い紫色をしているが、宵待草の放つ光のなかではセピア色にみえた。
「なに?」視線に気づいたラベンダーが、ジンに向かって少し首を傾げる。
「え……あ……、えっと……ラヴァン、手を出して」
「え?手?」ラベンダーは、少し戸惑いながらおずおずとジンの前に手を差し出す。
「あ、片手じゃなくて、両方」
「え、あ、はい」ジンは差し出されたラベンダーの手をとると、手のひらを上に向けさせた。
「ちょっとの間じっとしてて」
「う……ん」
ジンは、ラベンダーの手のひらの少し上に自分の手を重ねる。そして少しだけ撫ぜるような仕草を数回繰り返してから、
「はい、いいよ」そう言って、ラベンダーの手の上から自分の手をどかした。
「え?なに?あ、あーーー!!」自分の手を顔の前にかざしてなんども見返しながらラベンダーが声を上げる。
「ジン!ジン!あの……私の手!!私の手が……」ラベンダーはそのまま言葉に詰まってしまったように黙り込んだ。
「どう?気に入った?」ジンが尋ねると、ラベンダーは俯いて黙ったままこくこくと頷く。
「覚えててくれたんだ……」
ラベンダーの手は『女優さんの手のようだ』といった、ジンの姉のルナの手のように、水仕事など一回もしたことの無い人の手のように滑らかでキレイになっていた。
「俺からのささやかなプレゼント」
「え?」
「俺、お前に記憶もなにも残してやれないけど。でも、その手はラヴァンの手だから、俺が消えてもその魔法は消えないから……」
「ありがとう、すごく嬉しい」
「喜んでもらえて、良かった。これでも一生懸命考えたんだぞ!」
「そっか……。それはお世話かけました」
「いいえ、どういたしまして」お互いに顔を見合わせてはははと笑ったあとふいに沈黙が訪れ、二人は宵待草のほうに顔を戻しうつむいた。