13. 幻のファーストキス 8
13. 幻のファーストキス 8
ベランダで膝を抱えてうずくまっていたラベンダーに、春先特有の強く冷たい風が吹き付ける。ラベンダーは思わず顔を覆っていた手を自分の肩に回して抱きしめた。体にまとっていたジンのぬくもりが奪い去られてしまうような気がしたからだ。ギュッと自分の肩を抱くと、胸元に下げた小さな袋から微かなぬくもりが伝わってきた。その途端にはっと我に返る。
- ジンの羽だったんだ-
小さな羽根から、布越しに自分に伝えられる温もり。それはまさしくジンのものと同じだった。それを実感した時、さっきジンに抱え上げられたときに脳裏に走ったものがなんだったのかを思い出した。
-ラヴァン?ラヴァン!-
身も凍るように冷たく強い風の音と、自分の名前を呼ぶ声。そしてしっかりと自分を包み込むあの温もり……。そうだ、前にも同じようなことがあった……。そのときの微かな記憶が、自分の中にあることに気がついたのだ。途切れ途切れの微かな記憶の中で、ジンが自分を助けてくれたこと。そして、遠くなっていく意識の中で交わされていた、ジンと誰かの会話。
「確かその人が、『魔法使いのジン』って……」
まるで絡まった糸がするすると解けていくように、自分の中でなにかが解けて一つにつながっていくのを感じた。まほろばの花が咲いたのも、テレビが直ったのも、あの冬の嵐の中で自分が助かることが出来たのも、ジンが魔法使いだったからなのだ。胸元にある羽は、多分、ジンが自分を助けてくれたときにコートのポケットに紛れ込んだのだろう。あの嵐の晩の会話は、夢の中のことだと思い込んでいた。まさかジンが魔法使いだなんて思いたくなかった。それは、ジンが人間ではないということを恐れたのではなく、いつか手が届かないところに行ってしまうのでは?ということが怖かったからだ。
「私、ジンに言わなきゃ!」
ジンはいつでも、自分を包み込むような優しい笑顔で支えてくれた。別れが来たことを寂しがっている場合じゃない!一番大切なことを忘れていた。ジンにありがとうって言わなきゃ!ジンによかった。出会えて嬉しかったって伝えなきゃ!ラベンダーは、グッと自分の胸のぬくもりに手を当てて立ち上がった。
「コーヒーでも入れるから、落ち着いたら下にいらっしゃい」
フローラがそうジンに声をかけて部屋を後にしてから、暫くしてからジンも自分の部屋を出た。そしてラベンダーの部屋の前に差し掛かったとき、ドアから飛び出してきたラベンダーと鉢合わせした。
「……!」
「……!」思わず顔を見合わせて立ち尽くす。
「……ラヴァン……」口を開きかけたジンの胸に、ラベンダーが飛び込んできた。ジンは驚きの表情のまま、ラベンダーの体を受け止める。
「……」ラベンダーは、ジンの胸に顔をうずめて泣いていた。
「ラヴァン?俺のこと怖いんじゃなかったの?」ラベンダーは黙ってフルフルと首を横に振りながらジンの胸に縋りついた。
「ごめんなさい……」
「え?」
「ジン、ごめんなさい。私……」
「ううん。謝るのは俺のほうだよ。もっと早くにちゃんと本当のことを言えばよかったんだ。黙っててごめん。魔法使いだなんて怖いよね?」
「怖くなんかない……」
「え?」
「ジンが魔法使いでも、人食い鬼でも、私は怖くなんてないよ!だってジンはジンだもん」
ラベンダーはジンの胸に顔をうずめたまま、それでもしっかりとした口調で言った。その様子をみて、ジンはふっと小さく息を吐いてから、ラベンダーの背中にゆるく片手を回して、もう一方の手でなだめるように軽く頭を撫で、出来るだけ静かにゆっくりと名前を呼ぶ。
「ラヴァン」
「ジンはいつだって優しくしてくれたし、手にこんなに豆を作ってまで薪割りだってやってくれたじゃない……」
言い終わってから顔を上げたラベンダーは、ジンの手を優しくとって自分の前に持ってくると、いとおしそうに見つめながらそういった。
「魔法を使えば、手をこんなに荒らすこともなかったのに……。早く言ってくれればよかったのに」
「ごめん」
「なんでジンが謝るの?謝るのは私のほうなのに。ごめんね……それとありがとう」
「え?」
「私、ジンと会えて本当によかった。本当にありがとう」
ジンは、ゆっくりと目を閉じてから小さく首を横に振った。
「お礼を言うのは俺のほうだよ、ラヴァンに会えてよかった。ありがとう」
「私忘れないから。絶対、ジンが忘れても私は忘れないから」ラベンダーの言葉を聞いたジンは、ふっと寂しげな表情を浮かべて微笑んだ。
「俺がお前のことを忘れる日なんて絶対に来ないよ。でも……ごめん、だめなんだ」
「だめって?」
「俺がココを離れるときに、二人の記憶から俺のことは消さなくちゃいけないんだ……」
「え?どうしてそんな!私、誰にもジンの秘密のことなんか話さないよ?」
「そういう……そういうことじゃないんだ。これは決まってることなんだ。魔法使いが人間に接触したら、その人間から記憶を消さなくちゃいけない決まりになってるんだ。だから……、ごめん……」
「そんな……」ラベンダーの瞳から、また大粒の涙がぼろぼろと零れ落ちる。
「俺、お前のこと裏切ってばかりだな……。ほんと、サイテーなヤツだよな……」
「ジン……」
「ほんとに俺。自分が情けないよ……」ギュッと目を瞑り唇を噛み締めるジン。ラベンダーはそんなジンの背中に腕を回し、グッと力を込めて抱きしめた。
「ジンは」
「ん?」
「ジンの記憶は消さないでいいんでしょ?」
「え?」
「ジンは、ずっと覚えていてくれるんだよね?私の事」
「え?うん。もちろん、当たり前だろ?絶対忘れない!忘れるわけ無いじゃん?」ジンが顔を覗き込むと、ラベンダーは黙ってこくんと頷く。
「いつか……、いつか必ずまた会いに来てくれるよね?」今度はジンが黙って大きく頷く。
「だったら……、だったらさ約束して」
「約束?」
「必ずまた会いに来て」
「え?……うん。わかった約束する」
「私も約束するから……」
「え?……」
「また次に会えたときも、ジンのことを好きになるから……ジンが、ジンでいてくれるなら、私は何度でもジンの事を好きになるから……」
「ラヴァン……」ジンは何度も約束するからと何度も繰り返しながら、自分の胸に顔をうずめたままのラベンダーを体を抱きしめた。