13. 幻のファーストキス 2
13. 幻のファーストキス 2
「ふう」
ジンは大きなため息をついて寝返りを打った。 自分がラベンダーハウスを離れることをラベンダーにどう伝えたらいいのかを考えていたのだ。ラベンダーは自分が魔法使いであることを知らない。しかし、自分がココを離れるときには彼女の中の記憶も消去しなければならない以上、自分の正体を彼女に告げなくてはならないのだ。ラベンダーは魔法使いのことを迷いの森に住む悪魔のことだと思っている。もし、彼女が自分の正体を知ったら、彼女は自分の事を恐れ嫌うかもしれない……。そう思うと、どうしてもジンはラベンダーに本当のことを告げる勇気がもてなかった。
いくら悩んでも答えは出ず、ここを離れなくてはいけない時は少しずつ近づいてきている。ジンはもう一度大きなため息を吐いてから、ベッドから起き上がると部屋を後にした。人気のないリビングで調合室の前に立つと、もう一度大きくため息をついてからノックをする。中からフローラのどうぞという声がした。
「お邪魔します」
ジンの顔を見ると、フローラは椅子に座るように促した。
「ごめんなさいね」
ジンの前にコーヒーの入ったマグカップを差し出しながらフローラが言う。ここ数日のラベンダーの様子のことを言っているのだろう。
「いいえ」ジンはうつむいたまま返事をした。
「やっぱり、もう近いのかしら?」手元のマグカップに視線を落としたままフローラが口を開く。
「ええ」
「そう」
きちんと話をしなくてはとジンは思ってはいるのだが、上手く次の言葉が捜せない。暫く二人は黙ってうつむいたままだった。
「やっぱり、行ってしまうのね」フローラが独り言のように呟く。
「すいません」
「ジンが謝ることではないでしょ?仕方がないわ、ここは本来のあなたがいるべき場所ではないんだもの」
「……」
「ラベンダーのこと赦してやってね。あの子はあの子なりに、あなたのことを笑顔で送ろうと思っているはずだから」
「笑顔で?」
「ええ。お姉さんがいらした後にね、あの子が言い出したのよ。ジンが帰るときには笑顔で送ってあげようって。そうしないと、ジンが安心して家に帰れないだろうからって……」
「え?」
「でもこの前、電話の音に取り乱した様子を見られてしまったでしょ?多分それで落ち込んでいるんだと思うの」
「そうだったんだ……」 だから、ごめんなさいって言ったのか、ジンは数日前のラベンダーの様子を思い出しながらそう思った。
その頃ラベンダーは、自分の部屋で机に向かっていた。大学に提出するレポートに取り掛かっていたときは、それに集中することが出来たのだが……。レポートを提出し終わってふと気がつくと、あちらこちらから春の話題が聞こえてくるようになっていた。春、それはジンがココを去ってしまう季節だ。
これは数日前のこと。リビングでテレビ講義を受けていたとき電話が鳴った。もしやジンのことを迎えに来るというルナからの電話ではないか?と思い、ついその電話の音に過剰に反応してしまった。電話がなったとたんに、ビクンと体を起こして電話に出るフローラを目で追う。そのラベンダーの視線に気がついたフローラが、電話に対応しながら首を横に振ったのを見て大きく安堵のため息をついてからテレビに視線を戻して我に返った。直ぐ隣にジンがいて、その一部始終を見られていたのだ。そっと横を見ると、ジンと目が合ってしまった。
「あのさ……」
困ったような顔をしてからふっと寂しげな笑顔を浮かべて口を開いたジンの姿にいたたまれず、ラベンダーは、ごめんなさいと言い残して慌ててリビングから自分の部屋に逃げ込んでしまったのだ。それから、ジンとは目を合わす事が出来なくなってしまった。今日も夕飯を終えて直ぐに、自分の部屋に逃げ込んでしまった。特にやることもなく、さっきからテキストを眺めているのだが、なにも頭に入ってこない。すると、隣の部屋からジンが出てくる足音が聞こえ、少しだけ体を強張らせてドアのほうに目を向ける。足音はそのまま階下へ向かった。ふっと息を吐いてまた机に向かった。
「なんであんなことをしてしまったんだろう。あんなことをしたら、ジンが困ることくらいわかっていたのに……」
- いつかジンが帰る時には、笑顔で送り出してあげよう! -
あんなに心に誓ったはずなのに。でも、春が来たというニュースを聞くたびに、その決心がグラグラと音を立てて崩れていく。
「笑顔、笑顔……」
そう呟いて机の上のテキストに戻した視界が、ゆらゆらと歪んでポタリと落ちた。ラベンダーは、顔を手で覆ってぐっと唇をかみ締める。脳裏には、ジンの困ったような寂しげな笑顔が張り付いている。
「しっかりしなくちゃ!ジンが安心して家へ帰れるようにしなくちゃいけないのに……」
手の甲で、グイグイッと頬を拭ってもう一度机に向き合おうとして、視線の端に何かを見つけて振り返ると、壁にかかった自分のコートに目が留まった。ポケットから微かに光が漏れているような気がしたのだ。
「なんだろう?」
コートの胸ポケットを覗き込んでみると、微かに青白い光の正体は小さな羽根だった。手にとってみると、微かなぬくもりとともに、心の中になんともいえない安心感のようなものが流れ込んできた。ラベンダーが思わずその羽を胸に抱きこんで目を瞑る。すると、まるで誰かにそっと抱きしめて護ってもらっているような感じがする。ラベンダーはその羽を手にしたまま机の引き出しをごそごそとあさり、手ごろな大きさの袋に羽を入れて首にかけて胸元にしまった。服の上からでもその羽に触れると、柔らかなぬくもりに包まれる気がしてくる。その温もりは、今一番自分が欲して、大事にしたいと思っているものにとてもよく似ているようにも感じた。