13. 幻のファーストキス 1
13. 幻のファーストキス 1
その日ジンは、複雑な面持ちでテレビの前に座っていた。
標高が高く春の訪れが遅いラベンダーハウスはまだ雪に閉ざされたままだったが、テレビの画面には各地から届けられた春の訪れを告げる花が咲いたというニュースや、春ならではのイベントの話題が流れていたのだ。現にリビングの窓から差し込む日差しは日に日に輝きを増していて、確実に春が近づいていることを感じさせた。
春が来る。
それは、耐え忍ぶように長い冬をすごしている者にとってはこの上もなく嬉しいもので、いつもならフローラもラベンダーも春の訪れを告げるニュースを心待ちにするはずなのだが、今年は違っていた。春が来ることはそれだけジンとの別れの日が近づくことを意味していたからだ。そのせいか、ここのところ二人とも口数が少なかった。ラベンダーも自室にこもっていることも多く、リビングは人気がなくいつも静かだった。ふうと大きなため息をついてジンはテレビのスイッチを切ると自室に向った。
「春が来ちゃったわね」
部屋にはルナが来ていた。ジンは突然訪問したルナに驚くこともルナの問いかけに答えることもせずに、ベッドにごろんと横になる。
「で?大学の結果はいつわかるの?」
「あともう少ししたらだと思う……」
「そっか……」
「余り良くないニュースなんだけど」
しばしの沈黙の後、ルナが重い口を開いた。
「例の黒い霧がまた出始めているの」
「え?」
「だから……そろそろ覚悟しておいて」
「……」
「後、わかってると思うけど。あんたがココを出るときには彼女たちの記憶は消去するから」
「う……ん」
それじゃあ、と言うとルナは姿を消した。ジンは黙って天井を見上げたままココに来てから今日までのことを思い返していた。ルードの里に居た頃は外界の人間は恐ろしいと教えられてきた。多分、魔法使いと人間が持つ悲しい過去を忘れないために里ではそう教えてきたのだろう。外界の人間達だって、魔法使いは人食い鬼だと思っている者がいると聞く。しかしジンは外界に来てはじめて、自分以外の誰かを大事だと思えたり、護りたいと思うことが出来るようになった。家族や友達の存在の大切さも実感することができた。平穏な日常を送れることが、こんなにも幸なことだと思えるようになった。その想いは、ルードの里に暮らす魔法使い達も外界に暮らす人間達も違いはないはずだ。そして、そのことに気づくことができたのは、外界に来てラベンダーやフローラ達と出会うことが出来たからだ。
そっと目を閉じると、浮かんでくるのは何気ない日常の一こまばかりだ。そしてそこには必ず、ラベンダーの姿があった。笑顔も怒った顔も涙にくれる姿も、そのすべてが抱きとめて離したくないと思っている自分がいた。
しかし、自分がココに居続ければいつかはエルドラに狙われることになり、それはラベンダーを危険に巻き込むことになる。そして、ココを離れる日には、自分がココに存在したというすべての記憶を、あの二人から奪わなくてはならなくなるのだ。できることなら、自分の手であの二人を護ってやりたいと思う。でも、今の自分にはそんな力はないことは明らかだ。あの二人を護るためには、ルードの里に戻って力をつけなくてはならない。しかも、エルドラに対抗できるだけの能力と力をつけて外界に戻ってくるとすれば、ファイナルステージをクリアしなければならずかなりの時間が必要だ。それまで、二人は無事でいられるように何か手を打たなくてはならないだろう。ただ、二人から自分の記憶を消された上に長い時間が経ってしまったら……。
「俺はもう一度戻ってこられるのか?」
不安な気持ちがつい独り言となってこぼれてしまう。今のココでの生活のすべてを手放してしまったら、自分が自分ではなくなってしまうような気がする。それほどジンは、ラベンダーハウスでの生活になじみ、そのすべてを愛しいと思うようになっていた。