8. アンソニーの幻 5
8. アンソニーの幻 5
結局、ロジャーはずっとご機嫌のまま、終始アンソニーの話をして帰った。
「ふう。ご機嫌なのはわかるけど、嵐みたいだったな」ロジャーを見送った後、疲れた様子でジンはソファーにぐったりと倒れこんだ。
「ほんとね、あんなロジャーをみるのは私も始めてよ。ジン、今日は本当にお疲れ様でした」
「あ、まあ俺はいいけど……、ラヴァンは?」
「さっき、ロジャーさんを送ってそのまま部屋に行ったみたい」
「そっか……」
ジンは黙ったまま天井を見上げる。ラベンダーがどんな気持ちでいるのかは容易に察しがついたが、今はかける言葉も持たずそっとしておくほうがいいように思えた。それはきっとフローラも同じだったのだろう、気がつくとフローラも心配そうに天井を見つめたまま佇んでいた。
もうとっくに夕飯の時間が過ぎているにもかかわらず、ラベンダーは姿を見せなかった。
「ジン、お腹空いたでしょ?あなただけでも先に食べて頂戴」フローラはそういってジンの夕食を用意しようと腰を上げた。
「まだいいです。それに、俺一人で食べても美味くないですから」
「え?」
「どうしても食べたくないって言ったらしょうがないけど……。ちょっと見てきます」ジンは何か言おうとしたフローラの言葉を待たずにリビングを出た。
「ラヴァン?飯食わないの?」ラベンダーの部屋の前で声をかけてからドアを開けたが、部屋にはラベンダーの姿は無かった。
「また、あそこか……」ジンは息を吐きながら天井を見上げる。それから壁にかけられたラベンダーのコートを手に取って自分の部屋に向かった。アンソニーからもらったコートに手を伸ばしてかけて手を止め、きびすを返してベッドに向かうと毛布を手にしてベランダに出た。
見上げるとこの前と同じ場所にラベンダーが佇んでいるのが見える。ジンはベランダの端にあるはしごに手をかけて屋根の上に昇って行く。音を立てないように、絶妙にバランスを保ちながら屋根の上を歩いてラベンダーの直ぐ横までくると、そっと屋根に腰掛けてラベンダーの肩にコートをかけた。一瞬、ラベンダーはビクンと体を強張らせたようだが、またそのまま塔の屋根に体を預けて泣き続けていた。ジンはラベンダーから視線を前に戻すと、隣に置いた毛布を広げて自分の体をくるっと包む。
ラベンダーは小さく肩を震わせて泣いているので、コートがずれてくる。ジンはそれに気がつくと、そっとまたコートを元の位置にもどし、それからまるで赤ん坊をあやすように、ラベンダーの背中をトントンと叩き始めた。本当は、今ラベンダーに触れてはいけないのかもしれないとジンは思った。それでも、なにか彼女のためにしてあげたくて、自然とそうしている自分がいた。ラベンダーは、暫くの間そのまま泣き続けていたが、次第に鳴き声が聞こえなくなり、時々しゃくりあげる声が聞こえるようになっていった。それからまた暫くしてから、小さな声で「ありがとう」と言ってから、塔の屋根から体を起こして前を向いて座りなおす。
「ありがとう」今度はさっきよりもしっかりとした声でラベンダーは言った。
「うん」相変わらずジンは前を向いたまま答える。ラベンダーはすこし俯きぎみにジンのほうに顔を向けて、ジン?と呼びかけた。
「ん?」その声に、ジンもラベンダーのほうに向いた。
「こんなところまで来てもらっちゃって、ごめんね」
「え?あ、いいよ。俺が勝手にきたんだから。迷惑じゃなかった?」
「ううん。コートありがとう」
「さすがに寒いだろうと思ってさ」うん、そうだねとラベンダーは小さい声で答える。
また暫く沈黙が続いたあと、ラベンダーが口を開く。
「それとさ・・・、気を使わせちゃってごめん」
「ん?」
「その……毛布」
「……」
「アンソニーにもらったコート着ればよかったのに」
「いや、なんかはしご昇るのに、コート着てると昇りづらいと思ったから」
「ジン、相変わらず嘘下手だね」
「え?そっか?」
「うん、でも嬉しかったよ。ありがと」
はははと笑うジンの息が、すこしだけ小さな白い雲になる。
「やっぱ寒いな」ジンは肩にかけた毛布をギュット体に巻きつけるようにしてそう言った。
「うん。でもね、寒いと星がきれいに見えるンだよ、ほら」いつの間にかコートに袖を通してフードをすっぽりとかぶったラベンダーが空を指差さす。その指先に導かれるようにジンが視線を上げると、そこには息を呑むほど見事な星空が広がっていた。




