6. メリーベルの手紙 3
6. メリーベルの手紙 3
「ラヴァン?俺だけどもう寝た?」
そう声をかけてから、ジンはラベンダーの部屋のドアを開けた。
しかし、部屋の中にラベンダーの姿は見えず。ベッドもきれいにカバーがかけられたままだった。部屋を見回すと、壁にたくさんの絵や紙が貼ってある。それは、メリーベルからラベンダーに送られたものだった。ふと机の上に視線を落とすと、『メリーベル診療記録』と書かれたファイルと今日受け取ったばかりの手紙が置いてある。
それは、メリーベルという8歳の少女がこの世に存在しているという証だった。里でいつも大勢の人に囲まれて暮らしてきたジンとは違い、ずっと入院生活を送っているというメリーベルの存在は、きっと家族やラベンダーなどほんの一握りの人たちにしか知られていないはずだ。山奥で、フローラだけしか家族を持たず、時折たずねてくるロジャーやメリーベル達にしか存在を知られていないラベンダーも同じなのかもしれない。それはまるで、山奥で人知れずに咲き、散っていく野草のような存在だった。だからこそラベンダーは、メリーベルの命を、その存在を、自分の力で護りたいと思ったのかもしれない。
-あんたは、自分のために早く大人になろうってしてるけど、あの子は周りの人たちのために大人になろうとしてるって感じかな?-
(そうか、姉貴はこのことを言っていたのか)
ルナの言葉が脳裏に木霊し、メリーベルの写真を目詰めるラベンダーの寂しげな顔が浮かんでくる。ラベンダーがどんな気持ちでこの手紙を見ていたのかと思うと、ジンはいても立ってもいられない気持ちになっていた。すると、ベランダに続くドアが開きかけの状態のままになっているのに気がついた。ジンは静かにベランダに出てみるが、そこにもラベンダーの姿はなかった。 するとそのとき、上のほうでコトッと小さな音がした。
(ん?屋根の上?)とジンは、ベランダから上を見上げた。
ラベンダーハウスの一番北側にある丸い塔とそれに続く母屋の約半分程が、古びた石を綺麗に積み上げた石造りになっている。そして倉庫として使われている塔の上には、円錐形の屋根があった。ジンが見上げた視線の先で、ラベンダーは母屋の屋根にまたがって塔の屋根に顔を伏せて凭れかり、ほの白い月明かりを背にして、浮かび上がるようなシルエットを作っていた。 彼女の紫色の瞳よりも、さらに深い紫色を帯びた彼女の髪は、月明かりに照らされていつもよりもずっと蒼く見える。そして、彼女の体は薄っすらとオーラのようなほのかな光に包まれていた。それはまるで、蒼のグラデーションで描かれた一枚の絵のような光景だった。そしてそのシルエットは、今にもその背中に天使のような羽をはやして、どこかに飛び去ってしまいそうな儚さを纏って佇んでいた。 その光景を見たジンは、身じろぎもできずに息を呑んでその姿に見惚れていた。
ラベンダーは、ただ塔の屋根に顔を伏せて肩を震わせて泣いていた。この前メリーベルに届けた薬は、効果を上げているようだという連絡が彼女の主治医から入っていたので、彼女の病気はそのまま治るのではないかという期待があった。昼間アンソニーが届けてくれた写真の彼女の笑顔も元気そうだった。でも、部屋に戻って彼女の診療記録のコピーを見たとき、不安がよぎった。メリーベルは微熱が続いていたのだ。しかも、食欲があるにもかかわらず体重も少しずつ落ちている。 もっと、もっと勉強して、私がメリーベルの病気を治せるようになるようにならなくちゃ……。そう思うと、焦燥感で胸が一杯になっていた。
それでも、そんな気持ちをフローラやジンに知られたくなくて、精一杯冷静を装って講義を受けていた。しかし、ジンの「不治の病」という言葉を聞いたときに、胸の中にあった不安と焦燥感が一気に溢れてきてしまったのだ。
「どれくらいココにいたんだろう?」涙に濡れた頬を撫でる風の冷たさに、ふと我に返ったラベンダーは思った。
「こんな風に泣いてたって、なにも変わらないのに。もっとしっかりしなくちゃいけないのに……」
そう呟いたとき、下のほうで誰かのくしゃみが聞こえてきた。
「え?」
驚いて下を向くと、ばつが悪そうに自分の鼻を押さえたジンが自分を見上げているのが見えた。
「ジン?……なにやってるの?」
「え?聞こえない……」
小さな声で呟いたラベンダーの声は、下にいるジンにまでは届かなかったのだろう。ジンは自分の耳に手を当てて聞き返してきた。その仕草が可笑しくて、ラベンダーは思わず笑ってしまう。
「今降りるから……」そういうと、ラベンダーは屋根伝いにベランダまで降りていく。
「なにやってるの?こんなところで」
「え、なにって、その」
「ん?」
「ごめん、ほんとごめん」
「え?」
「何も事情をしらないのに、軽はずみなこと言って、ごめんなさい」と深々と頭を下げて謝るジン。
「こっちこそ、ごめんね」
「……」
「そうなの……」
「ん?」
「メリーベルの病気は治る見込みがないの」
「そんな……わかんないじゃん?」
「分かってるの。本当は分かってたの」
「ラヴァン……」
「この前の薬が効いてるみたいだったから、治るかなって期待してた。でも、今日診療記録見たら、微熱が、ぶり返してて……。やっぱりだめなのかな?力になれないのかな?って思ったら、なんか自分が情けなくて……」
「…………」
「あ、ごめん。さっきくしゃみしてたでしょ?もう寒いし、中に入ろう」
「あ、うん」
まだ濡れた瞳のまま、ココアでも飲もうか?尋ねてくるラベンダーを見ていると、ジンはなにも言えなくなって、ただ黙って頷いただけだった。