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第五話 過去




 ウーと安里が育ったのは、ある山の奥に開かれた「里」と呼ばれる場所だった。


 そこは街で居場所をなくしたものたちが、自然と寄り集まってできた場所だった。精霊と意思を疎通する能力を持ち、そのことによって異端視された者たちが、風や水や木の噂話を頼りにひとり、またひとりと仲間を求めてやってきてできた場所。

 六歳の安里は、当時既に人型を取れるほど力を持っていた花幻(ファーファン)に連れられて里へやってきた。

 里へ来たとき、安里はそれまでの記憶を一切失っており、何も覚えてはいなかった。年が同じだったウーはすぐに安里と仲良くなり、血のつながりはなくとも優しい大人たちの下で、二人は兄妹のように育った。


 十歳のとき、連れ立って街へ出かけた二人は、こんな噂を耳にした。……いわく、この辺りを収める領主が、不老不死の薬を探している。もし持ってきた者には、何でも褒美をとらす、と。

 記憶を失い、山で質素に暮らしていた安里は、とにかく街に憧れ、特に可愛らしく着飾った貴族の少女に夢中だった。安里は、自分もあんな風に美しくなりたいと思っていた。

 そんな中でのこの領主の噂は、幼い少女を突き動かす原動力としては十分だった。不老不死の薬を手に入れ、そして自分はお姫様のようになる。これが安里の望みだった……。



「俺たちの住んでいた里に、ずっと昔から伝わる秘伝の書があったんだ。俺たちはそれを偶然、洞窟の奥で見つけて。……それが不死の秘薬の秘伝書だった。秘伝書って言ってもぼろっぼろで、内容も信じられないだろう? 大人達は面白半分で俺たちにくれたんだ。だが安里は信じてた」


 幼い日を振り返り、語るウーは、淡々と話し続けた。蒼潤(ツァンルン)は黙って聞いていた。


「誰も本当に薬が完成するなんて思っていなかった。……でも安里は作ってしまった。本物を」


「……不老不死をもたらす秘薬をか?」


 驚きに思わず蒼潤は目を見張った。

 重々しく頷いたウーは、その目を伏せて続けた。


「六年かかった。安里は材料を求めてあっちこっち行って、俺も一緒にくっついてった。材料そろってからも練成に時間がかかった。俺は何してるかさっぱりわかんなかったし、まさか秘伝書の通りに出来上がったとしても、本当に効果があるなんて信じてなかった。でも安里は薬にかけてはすごい才能持ってて。何より信じていたんだ、自分の作っているものが本物だって。……そしてそれは完成した」


 重い空気で満ちた空間が、一層の緊迫感を帯びた。息苦しさを感じ、窓の外を眺めるも、細かい雨は降り続いており、どんよりとした灰色の雲が、さらに重苦しさを増していく。


 深いため息をついたウーは、ふいに部屋の扉を見て、低く鋭い声で言った。


「……で、あんたはいつまで立ち聞きを続けるつもりだ?」


 はっとして扉の方へ振り向いた蒼潤は、そこに自分の側近…呉晴(ウーチン)がいることに初めて気づいた。


「呉晴……なぜそこに?」


「陛下、そして紅武(ホンウー)殿、立ち聞きなどという無礼な行い、お許しください。ですが……私もこのお話、全く無関係というわけではないのです」


 その場で跪き、頭を下げてそう言った呉晴に、蒼潤は首を傾げた。


「どういうことだ? 話が見えん……」


 目線を上げ、卓を挟んで座る二人を遠慮がちに見遣り、呉晴は言った。


「……その先は、私から話させてもらえないでしょうか、紅武殿。私は安里殿が不死の秘薬を作る原因となった領主に仕えていたのです……」


 驚愕に目を見開き、音を立てて立ち上がった蒼潤は、信頼する側近を疑惑の目で見つめた。


「なぜ……。…………いや、話せ、呉晴」


 一瞬で自分を立ち直らせ、椅子に座り直した蒼潤は、さも落ち着いているかのようにゆったりと足を組んだ。

 ウーを見遣り、何も反応がないことを知ると、呉晴はおずおずと二人に近寄り、低い姿勢のまま語りだした。


「私が十二の頃です。私は地元の領主の元へ、役人の補佐として出入りしておりました。紅武殿の語られた通り、当時の領主は自分の老いを恐れ、不老の法をあらゆる方面から探していました。そして多くの人間が、褒美目当てに怪しげな物品を持って来た。ですが本当に効果を発揮したものはなく、時が経つにつれ、年老いていった領主もその興味をだんだん無くしていきました。……そんな時です。安里殿が現れたのは」


 低頭したままで話し続ける呉晴に、蒼潤もウーも何も言わずに耳を傾けた。



    *




 不死の秘薬を持ってきた、と、門前で宣言した少女の訪問を領主に伝えると、すぐに彼女は三階建ての高楼の最上階へ通された。


「……不死の秘薬です。これをお渡しすれば、私の望みを叶えてくださりますか?」


 漆黒の瞳を輝かせ、問うた安里に、年老いた領主はにたりと笑った。


「……そうじゃのう、そなたの望みはなんじゃ?」


 尋ねられた安里は素直に答えた。


「私の望みは、貴族の娘になることです、領主様。美しい姫になりたいのです」


 ほう、と目を細めた領主は、目の前の少女を見つめる。黒く輝く髪に、意思を宿す黒い瞳。純粋さが滲み出た様なあどけない表情。

 ――一体どこの誰にだまされてのこのこやってきたのやら。

 にたりと再び口元を歪めた領主は、笑顔で告げた。


「簡単じゃ、わしの娘になればいい。………ただしその薬が本物ならな」


「……?」


 領主の意図することが分からず、笑顔を貼り付けたまま、安里は瞬きをした。


「飲むのじゃよ、そなたの薬を。そうでなくば、効果を証明できまい?」


 ようやく意味を理解した安里は、一気に顔色を変えた。……まさか自分が飲むことになるなどと考えてはいない。自分で作ったのだ。本物かどうかは自分が一番よく分かっている。

 蒼白になった安里を追い込むように、領主は非情に言った。


「別にいいのじゃよ、飲まずとも。飲まなくば、そなたの望みが叶わぬだけじゃ」


 その言葉に十六歳の安里は、望みを叶える為だけに奔走してきた六年間を振り返った。

 あまりに人と関わらずに育った少女は、世の中の悪を知らなかった。人を篭絡しようとする、醜い悪意の存在に、秘められた狂気に、気が付かなかった。


 望みが叶う……。それで自分が不死になろうと、それ以上に大切なものはない……。


 笑顔で自分を見つめる領主を前に、ただただ純粋な少女は、その行動による結果を、見極めることができなかった。

 意を決して薬を飲んだ少女を見、一気に高揚した領主は、醜い笑みを顔中に広げ、残酷な一言を放った。


「切れ」


「…………え?」


 言葉を理解する間もなく、反射的に顔を上げた安里が見たのは、きらりと光を反射した、白刃だった。

 

 ばっさりと二本の剣に切りつけられた安里は、おびただしい血を流し、そのまま倒れ付した。


「はっ、どうせ贋物であると分かっておったわい。ここのところたかりに来る貧乏人どもが少なくなったかと思ったが……。わしはもう飽き飽きじゃ」


 むせ返るような血の匂いの中で、老いた領主の笑い声だけが響いていた。

 ひとしきり笑った領主は先ほどと打って変わった侮蔑の視線を安里に投げつけ、死体の処理を下の者に指示し、部屋を出ようとした。


「りょっ、領主様!」


 慌てて自分を呼び止める部下の声に、気だるげに振り返った領主が見たものは、先ほどまで血の海に横たわっていた安里が、幽鬼のようにふらりと立ち上がる瞬間だった。


 まだ乾きもしない鮮血を、体中から滴らせたまま立ち上がった安里の、その瞳はなぜか紫の鈍い光を放っていた。安里は首をもたげ両手をだらりと垂らしたままま、動きはしなかった。

 驚愕に目を見開いてその姿を見ていたその場の者たちは、突如吹き荒れた暴風の中、少女の真っ黒な髪が、根元からだんだん銀色に変わっていくのを声もなく見つめていた。



    *



「……と、言うことは、元々安里は、黒目、黒髪だったのか? そのときに紫と銀に変化したと?」


「そうだ。安里は精霊の力を持ってるってこと以外は、普通の女の子だったさ。秘薬の力は中身だけじゃなく、外見も変えちまった。あんな色持ってるやつ、少なくともこの国にはいない」


 驚きと衝撃に顔を引きつらせたまま、蒼潤は呟き、ウーは普段の調子で答えた。

 眉を寄せながら話続けた呉晴は、小さく、重苦しい息を吐き出し、また口を開いた。


「上で騒ぐ声が聞こえ、ものすごい風が急に吹きました。それで私は上に上がっていきました。……そこで、銀の髪を風になびかせ、体中を赤く血で染めた安里殿を見たのです」


 そこで苦しい表情のまま押し黙った呉晴に代わり、ウーが言葉を紡ぐ。


「……飲み下した瞬間から、秘薬は効力を発揮した。それで安里は助かった。血は流れたが、傷は一瞬で修復した。ただ……安里の精神の糸は切れちまった。すぐに治ると言っても、血は出るし、痛みを感じてたんだ。体の痛みと、心への衝撃で、安里は動けなかった。……ひどい有様だった、実際」


 一見無表情なウーも、その体から発せられる気配は、怒りと苦しみを帯びていた。


「俺は安里と一緒には行かなかった。だから事が起こってから、初めてわかった。花幻が暴走したからな。すぐに風の子精霊を捕まえて、領主の高楼へ行った。血塗れの安里を見た瞬間、全部理解して……なんで一緒に行かなかったのかって後悔した。でもその時は安里をあの場から連れ出すほうを優先した。何しろ……」


「……その時あの場にいた者たちは、かなりの錯乱状態でした……。刃物を持った何人かが、動かない安里殿を……更に切りつけました。鬼だ、化け物だ、と叫びながら……」


 ただ話しを聞いているしかできない蒼潤も、あまりに凄惨な安里の過去に、こぼす言葉もなかった。

 切りつけられては再生していく傷が、安里の精神に与えた打撃はいかほどのものだったろう。想像でき得るだけの痛みが心の中を渦巻き、苦しさに思わず両手で顔を覆ってしまった。

 一体どのくらい長い時間、陰惨なこの出来事を胸に秘め、反芻し、後悔したのだろう。ウーは感情を顔には出さなかった。


「花幻もすでに自分を失ってて、暴走状態だった。俺の守護精霊は火だから、その場の相性としては最悪だった。焔火は花幻を宥めに行ったはずなのに、同調して火事になっちまった」


「……そうです、突然どこからともなく火が起きて、それで場は更に混乱しました。混乱の中、少年が外から飛び込んできて、安里殿を抱えて、再び飛び出していくのを見ました。あれは紅武殿だったのですね……」


 ウーの言葉に、そのときの不思議な現象の答えと少年の正体を知った呉晴は顔を上げてウーを見た。


「そうだ。炎と混乱に紛れて、安里を抱えて空に飛んだ。安里はぴくりとも動かずにじっとしてるだけで、生きているのに死んでいるみたいだった。花幻が風を起こして俺たちを運び、里までたどり着いた」


 ウーはぎしりと椅子の背もたれにもたれ掛かり、ひとつ息を吐いて続けた。


「里は大騒ぎさ。秘伝書の通りに薬を完成させたまではまだよかった。誰も効力を信じてなかったからな。だが、安里は己の身を持ってそれを証明してしまった。生きてるのが不思議なくらいの出血で、体中血塗れなのに、傷はひとつも付いてない。髪と瞳の色も変化して、ごまかしようがなかったんだ。しかも……俺たちが逃げるときに起きた火事で、領主と数人の官吏たちが死んだ。それが里で変な噂になった。安里はそいつらの命を吸い取って、不死になった……って」


 一度言葉を止め、また嘆息したウーは、首を軽く振った。


「それから里の人間も安里に近づかなくなった。誰だってわけわからず死にたくないもんな。……しばらくの間、安里は眠り続けた。目を覚ましてからも、一言も発せず、ぼんやりしたままで里にいた。だけどある日、気付いたらいなくなってた。花幻と一緒にな。気配も辿れず、俺は途方にくれたよ。大人たちは追うなって必死に止めるしな」


 ウーは長い物語の終わりに、ふっと苦笑いをした。


「……それから十二年。あいつが死ぬことはないって分かってたけど……。あちこちずっと探し続けて、今ようやくの再会ってわけだ」

 

 そこで言葉を切って、立ち上がったウーはぐいっと背伸びをした。そして蒼潤に背を向けたままで言った。


「さて……これが俺の知る安里のすべてだ。このことを知ってるやつがこんなところに居るなんて思わなかったが……」


 ちらりと呉晴を見遣るも、そのまま続ける。


「安里が、この話をお前にしなかった理由を俺は知らない。だがこのことを知った今も、お前はさっきみたいに言えるか? 安里が欲しいと。あいつはもう年を取らない。永久にあの姿で……、そしてお前はあいつより先に、老いて、死ぬ」


 非情な現実をそのまま言い切ったウーは、先ほどからまったく動くことのできない蒼潤を見ることもなく、部屋の奥、廊下へ向かって歩き出した。


「ま、よく考えろや。……俺はもう長いこと考えたんで、結論は出てる」


 少しだけ振り向いて右手をひらひらさせながらそういい残し、さっさと出て行ってしまった。


 そのまま部屋に取り残されてしまった蒼潤は、同じく床に座り込んだまま微動だにしない呉晴を見遣り、ゆっくりと口を開いた。


「……これが……呉晴の言っていた、安里の重大な秘密……か?」


 感情のこもらない声で囁く様に呟いた蒼潤に、呉晴は申し訳なさをいっぱいににじませて答えた。


「はい。あまりに……、あまりに悲惨な出来事で……。安里殿が陛下に連れられて宮に現れた時、あの時の少女だと、すぐに分かりました。ですが陛下といらっしゃる時、あの方は普通の女の子のようで、笑っていらしゃって……。あのような体験をされて、それでも乗り越えてきたのだと思い、私は……」


「そうか……そう、だったのか…………」


 それきり、黙り込んでしまった蒼潤に何も言う言葉が見つからず、ただ、この場にいるのも辛かろうと気を遣った呉晴は、蒼潤を促して静かに離宮を辞したのだった……。



    *



 一方、廊下に出たウーを迎えたのはそこに佇んでいた安里だった。腕を組み、壁に寄り掛かって目を瞑っていた。


「……これでよかったんだろ?」


 ウーは静かに低く囁くように言った。


「…ああ……。話してくれて、助かった」


 澄んだ紫の瞳に、辛そうに顔を歪ませた幼馴染の顔が映った。

 自嘲のように笑みの形を作った小さな唇から、呟くように小さく響いた安里の声は、まだ降り止まぬ灰色の雨の中に、静かに溶けて消えていった。





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