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第三話 襲撃



 すっかり人気がなくなった深夜。薄い雲が空を覆い、細い三日月が頼りない光を放っている。薄暗い夜であった。


 離宮の傍の池、その向こう岸、竹林の中に数人の男が潜み機会を窺っていた。それぞれの手に弓を握り、緊張した面持ちで指示が出るのを待っている。


「陛下が呪符に気づかれたのは誤算であったな。呪術師から我らのことが知れるかも知れぬ」


 低い、独特の擦れた声で陸亮(ルーリャン)は唸るように呟いた。自分たちが新たな計画を練っている間に、陛下主導で大々的にお祓いが行われた。陛下に自分たちのことが知られると厄介だ。だが……。


「今晩こそ、あの小娘の最期だ」


 娘さえ消してしまえば、後はどうとでもなる。陸亮は長く伸ばした自慢の白ひげを自信に満ちた表情で撫でた。



     *



 同時刻、蒼潤(ツァンルン)はまだ執務室で書類と格闘していた。労う様にお茶を運んできた女官から、盆を受け取り、呉晴(ウーチン)は蒼潤に声をかけた。


「陛下、少し休憩なされてはいかがですか? むしろもうだいぶ遅いですし、明日になさったほうがよろしいのでは?」


 蒼潤は呉晴の方を見ずに、絹布(けんぷ)をばさばさと捲りながら答えた。


「いや、今日は離宮のお祓いで夕方の時間を割いたからな。安里がいるために執務が滞っているなどと臣下に言われてしまっては情けない。安里のことはすべて私のわがままである以上、職務はまっとうせねばなるまいよ。今日の分は今日やっておかねば、明日困るのだ」


 ぶつぶつ言いながらも楽しそうに布を捲っていた蒼潤は、内容に不備があることを目ざとく見つけ、眉をひそめて筆を取った。


「お前は先に帰って休むがいいよ、呉晴。何も私に付き合うことはない」


 絹布にさらさらと書き付けながら側近を気遣う言葉をかける。だがその側近は言葉を返すこともなく、茶器を見つめたまま、黙りこくっていた。


「……? どうした、呉晴よ。具合でも悪いのか?」


 蒼潤は、様子のおかしい呉晴に気付き、筆を止め、彼が佇んでいる方を見る。

 考え込んでいる様子だった呉晴は、意を決したようにぐいっと顔を上げ、勢い込んでいった。


「陛下! 大変不躾な質問ではありますが、陛下は何がどうあっても安里殿をお后に望まれるおつもりなのでしょうか?」


 見開いた瞳で蒼潤の顔をじっと見つめ、大きな体を緊張させて蒼潤の返答を待つ姿は、熊のようなのに小動物のような何かを感じさせ、蒼潤は心の中で思わず吹き出した。


「何を改まってそのようなことを。私のことはいつも傍にいるお前がよく知っているであろう? 私の想いは深い。……だが反対する者がいることも分かってしまった。私の希望を叶えるのは少し……難しそうだ」


 最後は苦笑しながらもそう答えた蒼潤に、呉晴は思いも寄らぬことを口にした。


「あの方には……安里様には、陛下の知らぬ重大な秘密があります」


 ひどく緊張した表情で、だが真剣にそう言った呉晴に、蒼潤は首を傾げた。


「重大な秘密……? 何だ、それは?」


 蒼潤は既に執務を忘れ、呉晴との会話に集中している。問われた呉晴は、唸る様に苦しそうな表情で言った。


「……それは……。あの方が御自分から陛下におっしゃらない限り、私めの口からお伝えすることはできません……」


「何だと?」


 気色ばんだ蒼潤を前に、呉晴は更に身を縮めて平伏した。


「も、申し訳ありませぬ、陛下。自分からこのようなことを申し上げておいて、言えぬなどと……。ですがこのことは、安里様にとって本当に重大なこと。それをまだ陛下にお伝えしていないのに、私めが脇からしゃしゃり出ることなどできませぬ。……私めが今晩申し上げたかったのは、つまり、安里殿はもしかすると、陛下のお后になられることを考えてはいないのではないかと……」


「……呉晴」


「はっ」


 いきなり声が低くなった蒼潤に、びくりと身を震わせ、どんな叱責が飛んでくるかと呉晴は平伏したまま身構えた。


「今日はもう下がるがよい。私ももう、休むことにする」


 それだけ言って、蒼潤はふいと身を翻し、執務室を出て行ってしまった。

 拍子抜けした呉晴は、座り込んだまま全身に冷や汗をかきつつ、ひどく乱れた心を落ち着かせるように目を閉じた。余計なことだとはわかっていたが、蒼潤の先を考えれば決して避けて通れない問題であると呉晴は思っていた。

 呉晴は離宮に滞在する安里に思いを馳せ、大きなため息をついた。自分の考えが正しければ、安里殿はきっと……。


「陛下……。安里殿……」


 苦しげに呟いた名前は誰に聞かれることもなく、静まり返った部屋に消えた。  

 

    *



 蒼潤が寝室に辿り着き、臣下に告げられた意味深な言葉に頭を悩ませている頃。


 離宮にいる安里は、なぜか屋根に上がっていた。洗ったあとでまだ乾いていない髪を無造作に風にたなびかせ、白くも見える、細かな刺繍の入った薄紫色の衣を纏っている。


「花幻、結界の準備を」


「はっ」


 短い返答で命令を了承した花幻は、その姿を空気に溶け込ませ、消えた。


「さて……そろそろかな」


 裾をなびかせて、くるりと振り返った紫の瞳が静かに見つめるその先は、殺気を隠し切れない男たちが潜む、竹林であった。


「陸亮様、小娘がなぜか屋根の上に!」


 薄暗い中、目ざとく安里を発見した男が、驚きながらもすぐに陸亮に知らせた。


「何っ! ……まさか、我々の計画に気づいて……?」


 動揺とざわめきが男達の間に広がる。ふいに池の向こう、安里の立つ離宮の方から強く吹いてきた冷たい風が、精神の乱れに拍車をかける。各々困惑した表情で互いを見合う男たちを見ずに、陸亮は気合を入れるかのように、大きく息を吸い、盛大に吐き出した。


「……どちらにせよ、今夜仕留めればそれで済むことだ。相手が狙いやすい場所へ出てきてくれたなら逆に好都合。皆、弓の準備を」


 その言葉を聞いて男たちは弓に矢をつがえる。行動は素早かった。

 きりきりと弓がしなり、闇夜に白く浮かび上がる標的を正確に打ち抜くために狙いを定める。


「……射よ」


 静かに告げられた陸亮の言葉に、竹林から覗く数本の矢が、池の向こう、離宮の屋根に立つ少女に向かって一斉に放たれた。


 風を切り標的に向かっていく矢。男たちは狙い通りの線を描いて飛んでいく矢に、少女の死を確信した。―――その時だった。


 矢が少女の体へ届こうとするあとほんの少しのところで、何かに阻まれるようにその動きを止めた。更にはその矢が中空で向きを変え、自分たちのいるところ向けて戻ってきたのである。

 ……一瞬の出来事に、男たちは何が起こったのか正確に把握することはできなかった。

 ひゅんひゅんと音を立てて次々に足元へと突き刺さる矢の軌道を、目で追うことすらできなかった。ただ、自分たちの理解の届かない何かが起こったことだけが分かり、あるものは尻餅をつき腰を抜かして驚き、あるものは足元の矢を見つめ恐怖を顔中に張り付かせて固まってしまった。


「……い、今、一体何が?」


 多くの戦場を駆け抜けてきた経験を誇る陸亮も、今、目の前で起こったことを冷静に判断することはできなかった。頭の中に飛び交うのは疑問符ばかりで、次の一手をどうしたらいいかなど考える余裕すらなかった。


 腰を抜かし、口をぱかりと開けたままの男達に、安里は不敵な笑みを浮かべて言った。


「矢は持ち帰るがいいよ。残していっては持ち主が分かってしまうだろう?」


 大きな声を上げているわけではないのに、耳元にしっかりと届く少女の声に、男達は戦慄した。風の精霊である花幻が、安里の声を空気に乗せて届けているのだが、そんなからくりを男達は知らない。少女の声はさらに続く。


「……そちらの言いたいことは分かっている。だが、残念だが私はそう簡単に殺されはしない」


 少女期の少し高めの声が、しかし落ち着いた調子で響く。薄紫の衣と銀の髪を風になびかせた安里は、いっそ高貴な雰囲気を纏っている。だが紫の鋭い眼光が、やましいことだらけの男達にとっては狙いを定めた肉食獣のように感じられ、命の危険を感じるほどに一斉に竦み上がった。安里の言葉以上に、今、その存在に圧倒されていた。


「……心配することはない。私は后になどならん」


 静かに発せられたその言葉に、男達はざわめいた。

 安里の真意が分からぬまま、すこし冷静さが戻った陸亮がどうでるべきか、と考えている時だった。

 仲間の一人が極度の緊張状態からついに錯乱してしまったらしい。全身をがたがたと震わせ、安里に向かって叫んだ。


「もっともらしいことを言って、我々を乱そうとしてもそうはいかん! ……先ほどの所業、人間ではないっ!」


 叫びながらすばやく弓につがれた矢は、安里に向けて放たれた。


「おいっ!」


 陸亮の制止も間に合わず、矢はまっすぐに安里目掛けて飛んでいく。


 次の瞬間、矢は安里の肩をかすった。

 矢が確かにかすった証拠に、白い衣はぱっくりと破れていた。だが……血は出ていなかった。衣が大きく裂けるほどの矢に射られたのに、体は避けたとでもいうのだろうか。傷が、できなかったなど。

 安里はすぐに肩口を手で押さえ、体の向きを変えて男たちの視界から遮った。だが視線だけは動かさず、ただ一人立っている陸亮をじっと見つめた。


「……やれやれ、忠義深くて結構なことだ。だがこれ以上の手間はかけさせぬよ。もうすぐ出て行くからな……」


 意味深な言葉を吐き、風に舞い散る花びらを体に纏わせ、安里は姿を消した。


 化かされたような分けの分からなさに、大の男達が一様に放心していた。座りこんだままの仲間を一瞥し、陸亮はひとり、先ほどの安里の肩の傷のことを考えていた。安里もすぐに肩を押さえはしたが、怪我に表情をゆがませることもなく、平然としていた。


「かすったのでは……なかったのか?」


 その疑問に答えるものはおらず、ただ竹の葉が風にざわつくだけだった……。



     *



 あくる日の朝。いつものように朝議を終え、離宮へやってきた蒼潤は、そわそわと落ち着きがなかった。


「どうした? 蒼潤。目が腫れぼったいようだが、眠れなかったのか?」


 熱い茶を淹れながら、安里が声をかけた。


「い、いや、その……。なぁ、安里。そなた、私に言いたいことは……ないか?」


 意外と直球で聞きにいった蒼潤に対し、夕べの騒ぎが早速伝わったのかと、安里は無表情の下で思う。


「うん? 特には……」


 夕べのことは極力誤魔化そうと口を開いた安里は、途中ではっと何かに気付いた様子で、窓から身を乗り出した。

 次の瞬間、ひゅるるるる……という耳慣れない音の後、どしーんと何かが地面に落ちてきた。一面に土埃が広がる。


「安里! 危ないよ、下がって!」


 蒼潤は慌ててそう言ったものの、落ちてきたものの正体も分からない。だが安里は窓の外を見つめたまま、動かない。安里には珍しい、驚きの感情がその顔に広がっていた。


「安里……?」


 怪訝に思った蒼潤が、安里の名を呼んだとき。土埃の中から、声が聞こえた。


「っつたぁ……! ひでぇな、もう!」


 全身の埃を叩きつつ現れたのは、年のころ十台後半とおぼしき青年。

 元の色がすでに分からないほど着古した綿の衣をまとい、額にぐるりと巻かれた布から、茶色の髪が見えている。頭全体がまるで嵐が通り過ぎたかのようにぐちゃぐちゃで、さらに木の枝が刺さっていた。


「……ウー」


「え?」


 呟いた安里に、蒼潤はそちらを見る。


「お、安里! 良かった、目的地は合ってたか」


 にかっと笑った青年は、確かに安里と呼んだ。


「あ…安里……。か、彼は……」


 わけがわからずも尋ねた蒼潤に、安里はウーを見たままでぎこちなく答えた。


「幼馴染だ。……ウー、こちらは皇帝陛下だ。挨拶くらいしろ」


 安里は開け放した窓越しに、視線を逸らしつつ冷たく言った。


「お~! これが噂の皇帝陛下か! 思ったより若いんだなぁ! あ、俺、紅武ってんだ! よろしく!」


 元気よく笑いかけられ、蒼潤は思わず頷いた。


「あ、ああ……。私は蒼潤だ。よろしく」


 勢いで窓越しに握手しかけたところに、呉晴が息急き切って走ってきた。


「陛下! ご無事ですかっ!」


 どうやら突然空から何かが降ってきたと報告を受けたらしい。


「俺、昨日玉門関(ぎょくもんかん)の辺りにいたんだ! 崑崙(こんろん)山脈から出てきたところで! で、夜寝ようとしてたら、花幻が結構大きな結界張ったろ? それで安里の居場所がわかったんで、風の子精霊に頼んで飛んできたんだ! やー、さすがに子精霊じゃ速度の制御がうまくないみたいで、早く着いたのは良いけど、体力取られちゃって! おまけに上空で落とされるしさ! だから俺、すっごく疲れてるの~! あ、このお茶もらっていい?」


 突然話し出し、しかもどこまでもマイペースな青年に、誰も口を挟むことができず、一同は沈黙した。が、蒼潤と呉晴は、青年の言った「玉門関」という地名に異常な反応を示した。


「ぎょ、玉門関って、ここからどれだけ離れてると……! それを一晩で?……信じられない……」


「いや、彼の話全体がにわかに信じがたいものでいっぱいですぞ。うーむ……」


 二人の常識人は、しげしげと目の前の青年を見つめ、黙り込んでしまった。

 ごくごくとお茶を飲み干し、少し休まったのか、青年はようやくその場にいる者を見渡した。


「で、なんでここに皇帝陛下がいるんだ?」


 更に場を混乱させる一言を放ったウーに、一同は凍りつく。だが意外なところから救いの手が差し伸べられた。


「なんでって、ここが国の都で、皇帝陛下の住まう宮だからですわ! どこまで呆けているの? 紅武!」


 あまりのウーの暴走に我慢ができなくなったのか、花幻(ファーファン)が中空に姿を現し、大声で怒鳴りつけた。蒼潤たちはいきなり吹き荒れた風に驚く。


「お、花幻じゃないか! 久しぶりだな! 相変わらずぷりぷり怒ってるのな!」


 嬉しそうに中空を見上げて話し出す青年に、蒼潤と呉晴は、ようやく花幻が怒ったのだと悟った。と、同時に、精霊が見えるこの天然系不思議青年が、ますますわからなくなった。


「安里……。そなた、彼は幼馴染だと先ほど言ったな……?」


「…………ああ」


 疑問と不安を隠さずに安里を見遣った蒼潤に、これまでにない不機嫌でかつ苦い顔をした安里は、嫌そうに短く答えたのだった。




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