最終話 希望を抱いて
安里は都を一望できる小高い丘の上に立ち、特別な思い出の色濃く残る宮を眺めていた。
朝の穏やかな、しかし豊かな力を秘めた日差しがその横顔を照らす。
その顔に悲壮感はなく、充足した強い意志がその瞳に宿るようだった。
「さぁって、俺は行くぞ。俺にもお迎えがきてしまっては敵わねぇ。最後まで、俺は諦めないからな」
隣に立って同じように宮を眺めていたウーが、背伸びをしながら力強く言った。 その言葉からウーの不死への飽くなき追求を感じ、安里はため息と共に言葉を吐き出す。
「……まぁ、お前の様子じゃ、あと五十年はいけるんじゃないか?」
「殺しても死ななそうですからね、紅武は」
「ウー……はやいの…?」
安里はともかく、花幻の発言には声を大にして反論したい。そして焔火……。ウーは堪らずこめかみを引きつらせた。
「お前ら俺をどんな認識してんだっ? 殺してもしなないんだったら俺はむしろ万々歳だっ! 焔火はソレいいかげん忘れろっ!」
拳を握りしめ、それぞれの発言に物申す。この際だから自分に対する認識を改めておきたい。特に花幻に馬鹿にされているのが気に食わないウーは、すでに自分の発言がちょっと間抜けであったことにも気づかず臨戦態勢に入った。ところが横から安里が口にしたウーに対する“認識”が、彼に対する思わぬ攻撃となった。
「お前は……馬鹿が付くほどのお人好し、だ」
いっそ爽やかに言い放たれた安里の言葉に、振り上げる予定だったウーの拳は行き場を無くす。
「だーっ! 馬鹿は余計だぁ!」
地団駄を踏んで代わりに大声を上げれば、さらに天敵から追求の手が伸びる。
「あら、お人好しに関しては認めるのですね?」
「そのようだな、花幻。……だが、お馬鹿なところがウーのいいところだ」
くすくすと笑い合う女子ふたりに、すっかりいいように翻弄されていると、ウーはがっくりと肩を落とした。焔火はそんな主人を慌てて慰めようと傍に行く。
「あのね、ウーは、えっと、おばか…? なところが、いいところだって、ぼくもおもうんだ、よ?」
焔火のたどたどしく且つ完璧に的外れな励ましの言葉に安里はくすっと笑いを零し、ウーを真似て背伸びをしてみた。
優しい春の風に、花の香りを感じた。
もう梅の季節は終わり、とうとう暖かい新緑の春がやってきた。ふう、と思いっきり息を吐いてみたら、何だか体が軽くなった気がして笑いたくなった。……こんな風に感じる時がくるなんて。
もう訪れることもないであろう宮殿を見つめる瞳はこの上なく優しい色。
――蒼潤、お前がいなくなったのに、何故だろうな、この心にはお前が溢れているんだ。
この思いだけで、暗雲が垂れ込めていた自分の未来にも一筋の光りが射しているような、そんな希望を感じてしまうから不思議だ。
――ああ、光も、希望も、私と共にある。だからきっと、孤独にはならない。もう二度と。
長い間心の中に巣食っていた黒いもやが晴れていくように、安里は何かに納得した。そして決める。この先をどう生きるのかを。
「ウー」
未だにしゃがみこんでぶつぶつと落ち込んでいたウーに呼びかける。
「お前、この先どこへ行くんだ? ……私も一緒に行ってもいいか?」
その安里の言葉に、ウーも花幻も過剰に反応した。
「えっ! 安里、一緒に旅してくれるのか? 本当に? やった!」
「えっ! 安里様、本気ですか? この男と一緒に? 嫌です、馬鹿がうつります!!」
同時に言い放った二人が、それぞれの言葉ににらみ合うように目線を合わせる。背後に龍と虎でも飼っているのかと思わせる鋭い気配を醸し出すふたりに安里は声を上げて笑った。
「ふふ、いいじゃないか、誰かと一緒に過ごすのも悪くないかな、と思ってな」
そういうが早いか、安里は小さな荷物を背負い直し、ゆっくりと坂道を下り始めた。
花幻との睨みあいを止めたウーは、慌ててその小さな背中を追いかけた。精霊ふたりはお互い顔を見合わせてこれからよろしく、とくすりと笑い合い、ふわりと飛んで主人たちの後を追った。
珍妙な一行が遠ざかっていくのを見守っていた木々の精霊たちが祝福の声を梢に伝え、新しい葉を茂らせた緑萌える木々はさわさわとその旅の始まりを祝うように揺れた。
風も水も陽の光も、全てが彼らの旅立ちを祝福する。
軽快に先頭を歩く安里の目には、世界の全てが輝きを増したように見え、その稀有なる紫の瞳を笑みの形に細めて清廉な緑の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
<了>
最終話は短くなってしまいましたが、『精霊姫の初恋』にお付き合いいただきましてありがとうございました。
お気に入り登録してくださった皆様、ありがとうございました!
毎日読みに来てくださった皆様、ありがとうございました!
このお話はここで完結となりますが、安里を主人公にシリーズ物としてまた作品を投稿していきたいと思っていますので、できましたらまたお付き合いいただければ幸いです。
よろしくお願いいたします!
蔡鷲娟