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第十話 物語の結末を




 翌朝。昨夜の幸せな気持ちを反芻しながらまどろんでいた安里の元に、日の出と共に大勢の侍女が押し寄せ、わけもわからず安里は目を白黒させた。


 問答無用の入浴の後、贅の粋を凝らしたような重たい衣装に着替えさせられ、化粧を施された。髪は一部だけを結い、残りは背中に垂らすように整えられ、頭には顔を隠すような薄い布の付いた帽子が落ちないように留められた。

 着せ替え人形になっている間、安里が何を聞いても侍女たちは質問に答えず、「後ほど説明がございますゆえ」という台詞を繰り返すのみだった。


 安里のイライラが頂点に達しようかという頃、涼やかな音を鳴らしながらその人が現れた。ウー曰く“策士”の、先の皇后だった。


「ごきげんよう、『銀の方』様」


 華やかに寸分の隙なく着飾りかつ完璧な化粧を施した皇后から、高圧的に投げられた挨拶に、安里は口汚い言葉で返してやろうかと口を開いた。しかし次の瞬間。


「ああん、やっぱり素敵ですわ! 急いで作らせた甲斐があったというものですわ、なんて素晴らしいんでしょう、よくお似合いよ!」


 黒曜石のような瞳を一層きらきらと輝かせ、頬を桃色に染めて抱きつかんばかりに安里に突進してきた皇后は、体をくねらせ興奮しながら言った。その勢いに安里は思わず固まって声を失った。


「まったく陛下ときたら一度しか会わせてくださらないんですもの。私が可愛らしいものが好きだとご存知なのにもう……!」


 撫で回す、という言葉がしっくりくるほどにべたべたと触られ、安里は目が回って倒れるのではないかと本気で思った。声には出せない悲鳴が心の中で大きく喚く。


「皇后様、一体これはどういう……?」


 やっとの思いで先ほどからずっと気になっていたことを口にすると、皇后は大輪の花が咲くように輝かしい笑顔で安里を見た。


「うふふ。物語の最後の一幕を飾るため、よ」



    *



 にこにこと終始ご機嫌な先代皇后に強引に連れてこられた先は、宮殿の玄関、大門の上部にある開けた場所だった。周囲にはたくさんの警備兵が立ち、物々しい雰囲気を漂わせていた。未だに納得できる理由を聞いていない安里は、一体何が始まるんだろうとその光景に首を傾げた。


「おーい、安里」


 暢気な声の出所を探ってそちらを向けば、煌びやかな衣装に身を包んだウーがいて、その隣に豪華な正装を身に纏った蒼潤がいた。蒼潤はともかく、まったく見慣れないウーの凛々しい姿に、安里は知らず知らずのうちに口をぽかんと開けていたようだ。


「おいおい、そんな綺麗なカッコしててその顔はないぞ、安里。ちゃんと立っとけ、な?」


 仕方ないな全く、というような口ぶりで安里のところまで歩いてきたウーに、安里は噛み付くように言った。


「お前何が起こるのか知っているなら私に分かるように説明しろっ!」


 朝から積もりに積もっていたイライラは、ようやく捌け口を見つけて吐き出された。


「全く皇后と言い蒼潤と言い、ウーと言い、私をからかって遊んでいるのか?」


「おや、安里、まだ話を聞いていないのかい?」


 ぷりぷりと腰に手を当ててウーに怒りを発散させている安里の元に、いつの間にか蒼潤が歩み寄っていた。そのまま慈しむように頭を撫でられた安里は、頬を染めてそっぽを向いた。


「だから、誰も……」


「あら、ですから先ほども言いましたとおり、物語を素敵に飾るためですのよ」


 どこかに行っていていつの間にか戻ってきた皇后が、当たり前のように安里の手を取った。


「さぁ、時間ですわ。陛下、安里様、紅武様、参りましょう」



 手を引かれて大門の端まで来れば。


 とたんにわぁとあがる歓声とざわめき。門の前の広場を埋め尽くす人の群れが一斉に声を上げてこちらを見上げていた。

 

 驚いて足を止めた安里を促すように蒼潤がそっと背中を押してきた。

 皇后と蒼潤に挟まれる形で立った安里の耳に、人々の歓喜の声が飛び込んでくる。


「陛下ー! 皇后様ー!」


「陛下ー! おめでとうございます!」


「銀の方様ー! おかえりなさいー!」


 広場に詰め掛けた民の前にいるのは、長年善政を布いてくれた人気の高い先の皇帝。黒の地に精密な刺繍が煌めく正装が威厳と貫禄を讃える。その良き伴侶である先の皇后は、春らしい萌黄と薄桃の衣にたくさんの生花を飾り、まるで本人が咲き誇る花のような絢爛さを振りまく。


 そしてふたりの間にいる小柄な姫君。銀地に紫の糸で流れるような刺繍は施された衣が太陽の光をきらきらと反射する。頭に載せられた帽子で顔は見えないものの、下ろされた髪が風にふわりとなびく様は、上質な細糸を束ねても遠く及ばない艶と輝き。本物の、銀。


 長年親しんできた物語の登場人物がそのままに存在している姿を目の当たりにした人々は、その感動と興奮を堪え切れずに手を振り、叫ぶ。




 嬉しそうな顔で手を振ってこちらを見上げてくる民衆を見つめ、安里は言葉を失った。『銀の方』、というのが自分を呼ぶ名だということに、しばらくしてから気づいて隣に立つ蒼潤をそっと見上げる。蒼潤はにこやかに手を振っていたが、安里の視線に気づいて更に柔らかく微笑んだ。


「安里、手を振ってあげるといい。みんな安里を歓迎している」


 そう言われても、どうしたらいいか分からずに戸惑っている安里に、反対側から皇后が顔を寄せて囁いた。


「安里様、ね、素敵だと思わない? 陛下は待ち焦がれていた『銀の方』と再会できました、なんて幸せな終わり方をする物語を皆が見届けるの。陛下の恋の行く末を一番気にしていたのは民達なのだもの、私達のなかだけで完結してしまうなんて、物語を広めた人間としては心苦しいでしょう?」


 相変わらずの綺麗な笑顔で同意を求めるように囁かれ、安里は苦笑するほかなかった。そしてふと、この皇后に、蒼潤はきっとずっと勝てなかったに違いない。けれどもこんな人だったからこそ、自分は蒼潤とこうして再会し、想いを通わすことができたのだ、とそんな風に思った。


「大丈夫さ、安里。みんな陛下の愛した本物の『銀の方』の登場に夢中で、若すぎるとか小さいとかそんなん気づかねぇよ。顔も隠れてるしさ」


 いつの間にか背後に立っていたウーがそう囁いてきた。物語に従うなら、ウーはやはり某国からの使者という役割か、と思い至って安里は笑った。本当に準備と手回しがいいことだ。


 広場に集まった人々の歓声は止まず、むしろさらに熱気を増してきている。皇后も蒼潤も、そしてウーも調子に乗って嬉しそうにその声に応えている。

 集まった人々の顔には笑顔が満面に広がり、口々に頭上の人々の名を口にする。


「……この国は、平和だなぁ」


 思わずそう漏らすと、蒼潤が微笑を安里に向けた。


「本当にな。そしてこの平和は、安里、そなたのお陰でもある」


 その言葉の意図するところに首を傾げていると、別の方向から新たな声が聞こえた。


「全く、現皇帝は私だというのに父上の人気は衰えないですね。私も面白い話でも民に流してみようかな」


 蒼潤の隣に颯爽と立ったのは、当代皇帝である蒼潤の息子、蒼飛(ツァンフェイ)だった。涼やかな声には笑いが含まれていて、安里ににこっと笑いかけてから民衆を見下ろし手を振った。


 若く凛々しい現皇帝の登場に、民衆は更に大きな歓声を上げた。またとない拝謁の機会に驚いているようだ。


「『皇帝陛下の恋物語』のお陰で、父上は民衆に広く受け入れられる、愛される皇帝になりました。退位してもこの人気です、分かるでしょう?」


 蒼飛が民衆に手を振りながら、声だけを安里に向けてきた。


「皇帝には威厳も必要ですが、皆が皇帝を支持し、信頼してくれることが良い政の第一歩だと私は思うのです。そうでなければ、皇族はただの飾り、政治は民衆とはかけ離れた関係のないものになってしまう。それではいけない」


 息子の真剣な声に、蒼潤は感心するように笑って頷いた。


「いつのまにかこの国は風に守られているという話が定着した。それは安里、そなたの守護なのだと民は信じている。銀の方の精霊が、自分達を守ってくれる、とな」


 静かな落ち着いた蒼潤の声は、下から上がってくる大きなざわめきの中でも安里の耳にしっかり届いた。


「いや、でもそれは、私の力ではなく……」


 しーっと安里の唇に蒼潤が手を当てた、その動作に民衆は爆発的な歓声を上げた。もはや城門の上の高貴なる人々の一挙一動に大変な注目が集まっている。


「そなたの力だ、安里。今がこのようにあるのは全て安里がきっかけなのだから」


 その言葉に皇后は頷き、ウーも安里の背中を軽く叩いて応えた。



 視線をぼんやりと前に戻し、安里は思う。


 ああ、私は、疎まれ、恐れられるだけの化け物ではなかったか。

 永遠の孤独に包まれて流れていくだけの存在ではなかったか。


 目の前で声を上げる人々の表情は喜色、届く声は祝福のもの。傍で優しい笑顔を向けてくれる人たちは、全てを知っていて自分を受け入れてくれる。



 ああ、私は。


 薄い布で隠れた安里の紫の瞳から、一筋の涙が零れた。



 それはこれまで幾夜も流した悲しい涙ではなく、切ない涙でもなく、憎しみの涙でもない。愛することを、愛されることを知った心のうちから溢れる歓喜の涙。



「銀の方様ー!!」


 遠くの方から呼ぶ声に安里はゆっくりと瞼を上げた。


 意思を灯して光る紫の瞳に応えるように、ずっと傍で黙って付き添っていた花幻が宙を舞う。民衆の方へ向かって手をまっすぐに差し出し安里は祈りを込めて呟いた。


「……花の精霊よ、少し力を貸しておくれ」


 次の瞬間、民衆は精霊の巫女姫の力をその目で見ることになった。


 どこからともなく現れた花びらが、優しい風に乗って広場中を舞う。ひらひらと途切れることのない花と風の見せる美しい光景に、人々は感動のあまり声を失った。これこそが、私達の陛下を守護してくれる風の力。そして私達を守ってくれる風の力なのだ、と。


 一拍の間をおいて後、再び爆発した歓声は、花幻の起こした風に乗り遠く遠くへ流れていく。奇跡の花びらを掴もうとする人の手が、さざ波のようにあちらこちらで隆起する。



 奇跡に満ちた幸せな物語の幕引きは、民衆達の間でさらに脚色を加えられ、四方に語り継がれて行くだろう。国の繁栄を願う想いと共に。


 止むことのない祝福の花は、柔らかな午前の日差しと共に降り注ぎ、青く高い空が夕焼け色に変わってしまうまで、人々の興奮に満ちたざわめきが消えることがなかった。



 

   


 それから二週間後。

 彼の人生の物語も静かに幕引きの時を迎えた。


 日が昇る前の薄暗い空の下、愛する人の瞳と同じ色の空の下で。

 臣下や家族、友人達に見守られ、静かに永遠の旅路に旅立った。


 口元が優しく笑みの形を作った、安らかな寝顔だった。





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