第5章最終章
エルダは腕を組んだ。
「ここに住む長寿の男がいると聞いた。」
老人は笑う。
「長寿、か。」
そして静かに言った。
「人間の言葉ではそうなるだろう。」
エルダの目が細くなる。
「……やはりな。」
同じ匂い。
天の気配。
老人は言った。
「お前を待っていた。」
エルダは洞窟の奥へ歩く。
「私を導くためか?」
老人は首を振った。
「お前がどこへ行くかを見るためだ。」
沈黙が落ちる。
やがてエルダは言った。
「私は間違っていない。」
洞窟の空気がわずかに震える。
「村を守り、町を作り、港を築いた。
人を導き、秩序を与えた。」
エルダの声は強かった。
「私は正しいことをしてきた。」
老人は静かに見つめている。
エルダは続ける。
「神は喜ばれるはずだ。」
そして言った。
「私は神の神殿を作る。」
その言葉は、宣言だった。
老人は目を閉じる。
長い沈黙。
やがて言った。
「お前は……神の道を歩いていた。」
エルダは鼻で笑う。
「いた?」
老人は続ける。
「だが今は、力の道を歩いている。」
エルダの表情が硬くなる。
「違う。」
強く言った。
「私は秩序を作っている。」
老人は答えない。
ただ、静かに言った。
「ならば行くがよい。」
エルダは振り返る。
「アレティアの地へ。」
洞窟の外から、風が吹き込む。
「そこで、お前の道は決まる。」
最後にエルダは老人に聖なる書を手渡した。
それは自分の意志で生きるエルダの決意だった。
セレーネス島を去ったエルダは、
再び帝都アウリシアへ戻った。
巨大な城壁の内側では、
市場が広がり、
兵の足音が響いている。
かつて小さな平原だった場所は、
今や帝国の中心になっていた。
エルダは城の高台から町を見下ろした。
川には船が並び、
東西南北へと物資が流れていく。
「よく育った。」
小さく呟く。
だが彼は知っていた。
帝国は、まだ脆い。
支配者が必要だった。
エルダは一人の男を呼んだ。
ヴァレンチノ。
若く、強く、
兵士たちからも慕われる男だった。
エルダは彼を見つめる。
「この国を治める者が必要だ。」
ヴァレンチノは驚いた。
「私が、ですか。」
「そうだ。」
エルダは短く答えた。
「お前を皇帝にする。」
ヴァレンチノはしばらく黙っていた。
やがて言った。
「……ですが。」
「私には、愛する人がいます。」
エルダの目がわずかに動く。
その女は、町の外れに住んでいた。
静かな目をした女性だった。
ヤハを信じる者。
エルダはすぐに分かった。
この女は危険だ。
信仰は、権力の邪魔になる。
エルダは二人を呼び出した。
「別れろ。」
その言葉は冷たかった。
ヴァレンチノの顔が変わる。
「なぜです。」
エルダは答えない。
ただ静かに言った。
「皇帝には、皇帝の妻が必要だ。」
女は何も言わなかった。
ただヴァレンチノの手を握った。
その手が震えている。
エルダは見ていた。
そして、言った。
「この女とは終わりだ。」
その夜。
二人は引き裂かれた。
女は去った。
その腹には、すでに命が宿っていた。
エルダは知っていた。
だが止めなかった。
数日後。
エルダはヴァレンチノに新しい妻を与えた。
貴族の娘。
帝国に忠実な家の血。
「国のためだ。」
エルダはそう言った。
ヴァレンチノは逆らえなかった。
やがて月日が流れる。
最初の女は、男の子を産んだ。
ルキウス。
そして皇帝の妻も、子を産んだ。
ガイウス。
二人の誕生は、わずか数ヶ月しか違わなかった。
同じ父。
だが違う母。
二つの血が、この時生まれた。
エルダは城の窓から空を見上げた。
雲が流れている。
彼は小さく呟いた。
「これでよい。」
だがその声には、
かすかな迷いが残っていた。
彼の目は、もう神の光を宿してはいない。
ただ帝国の未来だけを見ていた。
やがてこの二つの血が、
帝国の運命を大きく揺らすことになる。
まだ誰も知らなかった。
南の海を渡り、
アレティア地方へと向かう。
そこは広い荒野だった。
乾いた大地。
岩と砂の世界。
だが交易の道が交わる場所。
エルダは軍を率いた。
戦いが始まる。
剣が鳴り、
槍が突き、
血が流れる。
エルダは強かった。
誰も彼に勝てない。
まるで嵐のように戦場を駆ける。
兵たちは叫ぶ。
「エルダ様!」
だがその目は、もう光を持っていなかった。
神の灯は、見えない。
ただ力だけが残っていた。
その時だった。
空が割れた。
黒い雲が渦を巻く。
風が止まる。
そして――
雷が落ちた。
轟音が荒野を裂く。
兵たちは地に伏せる。
その中心に、エルダがいた。
光の中に立つ影。
エルダは顔を上げる。
そこに、一人の少女がいた。
長い髪が風に揺れる。
その手には、稲妻の光。
魔法使いリリ。
エルダは静かに言った。
「……そうか。」
少女の目は悲しんでいた。
次の瞬間。
天から光が降りた。
それは罰ではなかった。
呼び戻す光。
エルダの体が浮き上がる。
鎧が砕け、
光に包まれる。
人間の姿が消える。
そこに立っていたのは――
天使ザーケンだった。
彼は最後に荒野を見下ろした。
帝国の始まりの地。
戦いの地。
そして遠くの空。
ザーケンは何も言わなかった。
光は天へと昇る。
荒野に残ったのは、沈黙だけだった。
こうしてエルダは姿を消した。
だが彼が築いた町と帝国は、
地上に残り続ける。
そして長い年月の後――
その世界に、
ひとりの少年が生まれる。
クリス。
ヤハの灯を継ぐ者。
完




