【第五話】 『ずれた台本』
放課後。
静かに、学園の空気が変わる時間。
昼間の喧騒が嘘のように消え、
残るのは――
“イベントが起こる時間”。
(……確か、この時間)
一人で歩きながら、記憶を辿る。
放課後。
人気のない場所。
そして――
ヒロインが、攻略対象と出会う。
(最初の好感度イベント)
(ここで関係が始まる……はず)
木陰の先。
人影が見える。
(いた……!)
息を潜める。
視線だけで、様子を追う。
そこには――
一人の令嬢と、王子の姿。
(あれは……)
確かに、イベントの構図。
距離。
立ち位置。
空気。
すべてが一致している。
そして――
令嬢が口を開く。
「……私、まだ未熟ですが」
「それでも……努力して、追いつきたいんです」
(……え?)
思考が、止まる。
(今の……セリフ……)
(それ……ヒロインの……)
違う。
そこにいるのは――
ルナじゃない。
(なんで……?)
(どうして別の子が言ってるの!?)
心臓が、不規則に跳ねる。
何かが、おかしい。
明確に。
(イベントが……ズレてる……?)
見てはいけないものを見たような感覚。
背筋に、冷たいものが走る。
(……一度戻ろう)
(ここは危険)
踵を返す。
静かに、その場を離れる。
廊下へ戻る途中――
聞こえた。
「ちょっと、あなた」
「いい気になってるんじゃない?」
(……この声)
足が止まる。
角の向こう。
数人の令嬢たち。
そして――
一人の少女。
淡い髪。
不安げな瞳。
小さく縮こまる姿。
(……ルナ)
「平民のくせに」
「この学園にいること自体がおかしいのよ」
胸が、ざわつく。
(……これもイベント)
(ヒロインいじめイベント)
(ここで誰かが助けて――)
一歩、踏み出す。
(今なら……まだ間に合う)
(関わらない方がいい……でも……)
その瞬間。
「――そこまでにしろ」
低く、静かな声。
空気が凍る。
(……っ)
視線が、自然と向く。
そこにいたのは――
ラフリ・アステリオン。
令嬢たちが、息を呑む。
誰も、逆らえない。
ただ一言で、場が支配される。
「ここは学びの場だ」
「無意味な争いをする場所ではない」
静かに。
けれど、絶対的に。
令嬢たちは何も言えず、その場を去っていく。
残されたのは――
ルナと、ラフリ。
そして――
少し離れた場所にいる、私。
(……終わった)
(これでイベントは――)
そう思った、その時。
ラフリが、わずかにこちらを見る。
(……え?)
そして、ルナに向かって言った。
「礼は必要ない」
一瞬の間。
「礼を言うなら――あちらに」
彼の指が、示す。
(……え)
それは――
私だった。
心臓が止まりそうになる。
(ちょっと待って……何してるの!?)
(なんで私!?)
(いやいやいや、意味わかんない!!)
ルナが、こちらを見る。
戸惑いながら。
けれど、確かに歩み寄ってくる。
(来るな来るな来るな……!!)
逃げ場は、ない。
「……あの」
小さな声。
「助けてくださって……ありがとうございました」
(違う!!私じゃない!!)
(助けたのはラフリでしょ!?)
(なんで私が!?)
頭の中が、混乱する。
(でも……ここで否定したら……)
(流れがおかしくなる……)
言葉を探す。
焦る。
思考が絡まる。
そして――
口が、勝手に動いた。
「……あなたは」
(やばい、何言うの私!?)
「ここに来たのは、ただの才能だけじゃないわ」
止まらない。
「努力して、ここまで来たのでしょう?」
(……あ)
言った瞬間、気づく。
(それ……)
(それ、ダメなやつ……!!)
それは――
ゲームの中で。
ヒロインの心を掴む“鍵のセリフ”。
(なんで私が言ってるのよ……!!)
沈黙。
ルナの顔が、ゆっくりと赤くなる。
「……っ」
小さく、息を呑む。
その瞳が、揺れる。
不安でも、恐怖でもない。
別の感情。
(……え)
見つめられる。
まっすぐに。
(ちょっと待って)
(なんでそんな顔してるの)
「……はい」
小さく、でもはっきりと。
「……ありがとうございます」
その声は、さっきよりもずっと柔らかかった。
そして――
ほんの少しだけ。
嬉しそうに、笑った。
廊下に、静けさが戻る。
(……やった)
(いや、やってない)
(これ絶対ダメなやつ……!!)
何かが、完全にズレている。
イベントは崩れ。
セリフは奪われ。
そして――
(ヒロインの好感度……)
(……私に来てない?)
理解した瞬間。
背筋が、凍る。
少し離れた場所で。
ラフリ・アステリオンが、静かに立っていた。
まるで――
すべてを分かっていたかのように。
運命はもう――
元には戻らない。




