第40話『静かな航海と、潜む違和感』
穏やかだった。
あまりにも——
穏やかすぎるほどに。
青い空。
静かな海。
ゆっくりと進む船。
まるで、
何も起きないとでも言うように。
(……そんなわけないでしょ。)
アリアは小さく息を吐いた。
甲板。
潮の香り。
風が、髪を揺らす。
生徒たちの笑い声。
いつもの学院とは違う、
少しだけ解放された空気。
だが——
(……違和感が消えない。)
アリアは手すりに手を置いたまま、
海を見つめる。
(イベント……)
(来る。)
確信に近い予感。
タイミングは分からない。
だが——
確実に、
何かが起きる。
「アリア様。」
横からの声。
ルナ。
いつものように、
自然に隣に立つ。
距離が近い。
(……慣れてきた自分が嫌ね。)
「風、強くありませんか?」
少し心配そうに言う。
「大丈夫よ。」
短く返す。
「それより——」
視線を少し動かす。
「楽しんでる人たちの方が気になるわね。」
ルナも視線を向ける。
生徒たち。
笑っている。
騒いでいる。
何も知らない。
(……巻き込まれる。)
その確信が、
胸を重くする。
その時——
「随分と難しい顔をしているな。」
低い声。
(……来た。)
振り向く。
ラフリ。
相変わらずの無表情。
だが——
視線は鋭い。
「別に。」
アリアは軽く返す。
「少し考え事よ。」
ラフリは一歩近づく。
ルナがわずかに警戒する。
(……ほんと分かりやすい。)
「考えるなとは言わないが——」
ラフリが海を見る。
「周囲も見ろ。」
(……?)
その言葉に、
少しだけ意識を広げる。
風。
波。
音。
そして——
(……あれ。)
遠く。
水平線。
ほんのわずか。
黒い点。
「……船?」
小さく呟く。
ルナも目を細める。
「……見えます。」
だが——
違和感。
(あんな位置に……?)
航路的に、
不自然。
その時。
「警戒しろ。」
ラフリの声。
短く。
命令のように。
「来るぞ。」
(……確定ね。)
空気が変わる。
一瞬で。
さっきまでの穏やかさが、
嘘のように消える。
その瞬間——
ドンッ!!
衝撃。
船が揺れる。
悲鳴。
生徒たちの声。
「な、何——!?」
「攻撃だ!!」
誰かが叫ぶ。
(……早い。)
予想よりも。
はるかに。
「アリア様!」
ルナがすぐに手を掴む。
強く。
離さないように。
(……ええ、分かってる。)
その時——
空から、
影が落ちる。
複数。
黒いローブ。
甲板へと降り立つ。
音もなく。
(……来た。)
完全に。
敵。
その中の一人が、
ゆっくりと顔を上げる。
虚ろな目。
感情がない。
そして——
「対象、確認。」
冷たい声。
視線が——
アリアへ。
(……やっぱりね。)
背筋が冷える。
「捕獲を優先。」
「殺害は——後。」
(最悪ね。)
完全に、
目的がはっきりしている。
その瞬間——
「下がれ。」
ラフリが前に出る。
アリアとルナの前に。
自然に。
壁のように。
ルナも一歩前に出る。
守る位置。
(……この二人。)
言葉はない。
だが——
完全に噛み合っている。
その時。
別の声が響く。
「全員、戦闘態勢を取れ!!」
力強い声。
振り向く。
レオンハルト。
獅子座の王子。
剣を抜き、
前に出る。
「ここは学院の船だ!」
「好き勝手はさせん!!」
生徒たちがざわつく。
だが——
その言葉で、
少しだけ落ち着きを取り戻す。
さらに——
「……面白いですね。」
静かな声。
セラフィン。
水瓶座。
すでに状況を分析している。
「これは“偶然”ではありません。」
(……当然ね。)
アリアは小さく息を吐く。
そして——
前を見る。
敵。
完全に、
こちらを見ている。
(……始まった。)
(逃げ場はない。)
ゆっくりと、
口を開く。
「右、三人。」
小さく。
だが確実に。
「詠唱準備してる。」
ラフリがわずかに反応する。
ルナも。
(……そう。)
もう隠さない。
(私は——)
(“知ってる側”なんだから。)
船の上。
平和は、
完全に消えた。
剣が抜かれる音。
魔力が満ちる。
恐怖と緊張。
すべてが混ざり合う。
その中心に——
アリアがいる。
敵の標的として。
そして——
守られる存在として。
だが。
(……違う。)
目を細める。
静かに。
(守られるだけじゃない。)
その瞳には、
確かな意思が宿っていた。




