第29話『静寂の茶会と、三人の距離』
香り。
紅茶の、柔らかな香りが広がる。
豪奢な部屋。
磨かれた床。
整然と並ぶ椅子とテーブル。
だが——
人はいない。
(……空っぽ。)
アリアは、静かに周囲を見渡した。
「……予想はしていましたが。」
隣で、ルナが小さく呟く。
「ここまでとは思いませんでしたね。」
誰も来ない。
本来なら、
貴族たちで賑わうはずの茶会。
だが今は——
静寂だけ。
(まあ、当然よね。)
あの決闘の後だ。
誰が好き好んで、
この空間に入るか。
「準備は整っております。」
ルナが丁寧に頭を下げる。
その姿は、
完全に“メイド”だった。
(……似合いすぎでしょ。)
アリアは一瞬だけ視線を逸らす。
自分も同じ格好。
慣れない。
非常に。
(なんで私がこんなことを……)
内心でぼやく。
だが——
役目だ。
逃げるわけにはいかない。
その時。
コツン。
足音。
一つだけ。
(……来た。)
扉が開く。
そこにいたのは——
ラフリ。
静かに、
何事もないかのように入ってくる。
周囲を見ることもなく、
そのまま席へ。
まるで最初から、
ここに来ることが決まっていたように。
(……本当に来た。)
アリアは小さく息を吐く。
ルナは無言。
だが視線だけが、
ラフリを捉えている。
ラフリが椅子に座る。
優雅に。
そして——
一言。
「……客は俺だけか。」
静かな声。
「ええ、そうなりますわね。」
アリアが淡々と答える。
ラフリは少しだけ目を細める。
「随分と、寂しい茶会だな。」
(誰のせいだと思ってるのよ。)
内心で返す。
だが口には出さない。
「紅茶を。」
ルナが一歩前へ出る。
「かしこまりました。」
丁寧に注ぐ。
香りが、さらに広がる。
静寂。
カップの音だけが響く。
(……気まずい。)
アリアは思う。
(なんでこんな空気になるのよ。)
ラフリがカップを持つ。
一口。
静かに飲む。
「……悪くない。」
短く評価。
ルナの目がわずかに細くなる。
(……褒められても嬉しくない。)
「当然です。」
淡々と返す。
「アリア様のために淹れたものですので。」
(ちょっと。)
アリアが内心でツッコむ。
(なんでそうなるのよ。)
ラフリの視線が動く。
ルナへ。
一瞬。
そして——
「……そうか。」
それだけ。
だがその一言に、
わずかな温度が混じる。
(……何、この空気。)
アリアは頭を抱えたくなる。
完全に——
“静かな戦争”。
その時。
外から、ざわめき。
「……?」
ルナが振り向く。
次の瞬間——
—バンッ!!!
扉が、乱暴に開かれる。
「見つけたぞ——!!」
複数の生徒が、
なだれ込んでくる。
怒り。
嫉妬。
不満。
全てが混ざった顔。
「調子に乗るなよ……!」
「悪役令嬢のくせに——!」
(……来たわね。)
アリアはため息をつく。
だが——
違和感。
(……あれ?)
視線が動く。
扉の、すぐ内側。
その位置。
(そこって——)
次の瞬間。
—ゴンッ!!!
鈍い音。
「……え?」
空気が止まる。
ドアがぶつかった先。
そこに——
ラフリ。
ちょうど、
扉の真後ろに座っていた。
完全に直撃。
沈黙。
誰も動かない。
誰も、呼吸すら忘れる。
ゆっくりと——
ラフリが立ち上がる。
静かに。
あまりにも静かに。
その動きだけで、
空気が凍る。
「……ノックもできないのか?」
低い声。
冷たい。
底の見えない声。
生徒たちの顔が青ざめる。
「す、すみません……」
「いや、その……!」
ラフリは一歩進む。
それだけで——
全員が後ずさる。
「礼儀を知らないのか。」
淡々とした言葉。
だが——
圧が違う。
「ここは——」
さらに一歩。
「“茶会”だ。」
その瞬間。
空気が、沈む。
重く。
逃げられないほどに。
(……怒ってる。)
アリアが直感する。
(これ、かなりまずい。)
ルナも動かない。
ただ静かに、
その光景を見ている。
そして——
ラフリが言う。
「……教えてやる。」
一歩踏み込む。
「“入室の仕方”をな。」
誰も、動けない。
逃げ場はない。
ただ——
静かに始まる。
“教育”。
紅茶の香りが残る中で。
優雅さとは程遠い、
冷たい時間が流れ始めた。




