9.同じ食卓
食堂に足を踏み入れた途端、長い食卓の向こう側で、ライネオス侯爵とクララ様が立ち上がっていた。
「本当に、遠いところよく来てくれましたね。旅の疲れは残っていない?」
最初に声をかけてくれたのはクララ様だった。
初めて会った時と変わらない、穏やかで心が落ち着く声。
「ありがとうございます。おかげさまで、大丈夫です」
そう答えると、クララ様はほっとしたように目を細めた。
「それなら良かったわ。今夜は無理をせず、ゆっくりしてちょうだいな」
「はい。それから、早速部屋の内装をしていただける職人の方を手配していただき、ありがとうございます」
「気にしないでちょうだい。あなたは私の、義理とはいえ娘になるのよ? 他に何かあれば、いつでも遠慮なく言ってね」
クララ様が私を既に家族の一員として迎え入れようとしてくれているのを感じ、胸の奥がじんわりと温かくなる。
一方のライネオス侯爵は、すぐにはなにも語らなかった。
けれど私と目が合うと、小さく一度だけ頷いた。
それだけなのに、不思議とクララ様と同じ温かさを感じた。
エヴァンの隣に着いたら、早速夕食が運ばれてくる。
料理は分かりやすい派手さはないけど、どれも丁寧に作られたのだと一目で分かるものばかりだった。
野菜がたくさん入った湯気の出るスープに、ルッコラとチーズを和えたサラダ。
香辛料を纏わせ香ばしく焼かれた羊の肉、キャロットラペをはじめとした付け合わせの数々、レーズンの練り込まれたライ麦のパン、そして小さな器に盛られた淡い色のデザート。
「これはほとんどうちの領地で採れた作物を使って作っているのよ」
「これ、全てですか?」
クララ様の言葉に、私は感嘆の声を上げる。
言われてみればスープに沈むカブやビーツも、ルッコラも人参も、香辛料のディルやタイムも。
それ以外の食材だって、このライネオス領の特産と言われるものばかりだった。
「あと、それはパルムを使ったものなの」
私の視線に気づいたクララ様が、穏やかな口調で説明してくれる。
「傷のつきやすい果物だから、こうして加工することも多いのよ」
この時期に収穫されるものではないからだろうか。
それでも保存がきくように、砂糖でコンポートされただけのシンプルな味付けなのに、口に運ぶと、優しい甘さが広がった。
「……美味しいです」
思わず零れた言葉に、クララ様は嬉しそうに笑った。
「そうでしょう? この土地の自慢なのよ」
その言葉に、私は移動中の馬車の窓から見た光景を思い出す。
視線を向けると、エヴァンとライネオス侯爵も、食事を口に運びながら、クララ様と同じように誇らしげな顔になっていた。
食事の途中、会話の中心はこの土地のことだった。
作物や天候、それから、領民の生活のこと。
特にエヴァンは熱心な口調で、今より更に収穫量を増やすための肥料や、この土地の土壌に合った新たな作物の導入など……彼の口からは、この地をよりよくするための案が次々と飛び出す。
エヴァンは学園に通っている間でも、ライネオス領をよりよく導くために勉強を重ねていたことを、私は知っている。
よく遅くまで図書館に籠っていたし、休暇の度に領地から贈られてくる報告書にも、目を通していた。
私はエヴァンを尊敬のまなざしで見つめる。
いつかは彼の隣にちゃんと並べるようになりたいと思いながら。
気づけば、私は彼から視線を外すのを忘れていたらしい。
エヴァンがふと話を止め、こちらを見ると、不思議そうに首を傾げる。
「……なに?」
だけどすぐに私が答えなかったからか、一拍置いて、冗談めかした声になる。
「もしかして、俺に見惚れてたりして」
「……そうね、少しだけ、ね」
エヴァンは、「あっそう」と短く言葉を切ると、何事もなかったように視線を食卓へ戻す。
その耳はわずかに赤くなっていた。
「……照れてるの?」
「別に」
自分で言ってきたくせにと、おかしくてくすっと笑ったら、クララ様たちが微笑まし気に私とエヴァンを見ていた。
「二人は仲がいいのね。いいことだわ」
だけどこれには答えず、エヴァンは咳払いを一つして話題を切り替えた。
「ところで明日、ルナが疲れていなければ、少し領地を回りたいと思ってるんだけど」
思いがけない提案に、私の顔が明るくなる。
「本当? 連れて行ってもらえるの? それなら行ってみたいわ!」
私の反応に、クララ様が嬉しそうに微笑んだ。
「それはいいわね。領民たちも、きっと喜ぶと思うわ。エヴァンにも勿論そうだけど、ルナに会えるのも、みんな楽しみにしているもの」
ライネオス侯爵も、短く一言だけ添える。
「だが体調が一番だ。無理だけはしないように」
「はい、お気遣いありがとうございます」
食卓には、終始穏やかな空気が流れていた。
そうして初めての夕食は、和やかなまま幕を閉じた。




