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偽装結婚の私たちは、互いに誰かを演じ合う―代役夫婦が本物になるまで―  作者: 春樹凜


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6.領地



 旅も終盤に入ったところで、馬車は遂にライネオス領に入った。

 何気なく窓から外を見た私は、流れる景色に思わず目が釘付けになる。

 道の両面には青々とした畑が、どこまでも広がっている。

 その中に、まるで誰も足を踏み入れていない雪原のような真っ白の花が、いくつも咲いているのが目に入る。


「エヴァン、もしかしてこれって、全部パルムの花?」


 すると彼はしたり顔で頷く。


「正解。よく分かったね」

「あなたの治める領地のことくらい、ちゃんと勉強しているわ」


 この国でも五本の指に入る広大な敷地を持つライネオス領。

 ここは肥沃な大地と自然に恵まれており、主に農業で領民たちの生活が成り立っている。


 気候も安定していることから様々な作物が作られているけど、特に盛んなのが、この国の名産でもあるパルムと呼ばれる果物の栽培だ。


 パルムは冬の間に収穫される果物だ。

 真っ白な薄皮で包まれており、慎重に皮をむくと中から現れるのは、少しだけピンクに色付く美しい果肉だ。

 そのまま食べてもいいけれど、ジャムやジュースやお酒に加工しても美味しい。

 果肉が柔らかいため、特に生のままでのパルムの運搬が難しい。

 王都でもあまり数が出回らない上に、高級品だ。

 中でもライネオス領のパルムは良質なものが取れるとされていて、他の場所で栽培されたパルムよりも高値で取引されるという。


 パルムの他にも特産品はあり、そのどれもがパルムと同様に高品質で国内外に出回り、領地の懐を潤わせていると資料にはあった。


 けれど、こうして終わりが見えず、目前に果てしなく広がるパルムの畑は圧巻の一言だ。


「昔からこの辺りは気候も安定しているし、土壌も申し分ない。だからうちは使える土地の七割以上を農地に割いているよ。王都ほどじゃないけど、もっと奥まで行けばそれなりに栄えた街もいくつかある。まあ、中央で育った君にしてみたら、刺激が少なくて物足りないかもしれないけど……」

「そんなことないわ!」


 私はエヴァンの台詞を被せるように大きな声を上げる。

 けれど、感情のままに興奮した声を上げたのが今更ながらに恥ずかしくなり、小さくこほんと咳ばらいをすると、


「確かに生まれ育った王都も悪くはないと思うわ。あそこには色んなお店もあるし、生活するうえでは便利だったから」


 見渡せばドレスや宝石などの煌びやかな服飾品が溢れ、最新のお店が大通りには並ぶ。

 お洒落で美味しいカフェもたくさんあって、大劇場での月ごとに演目の変わる歌劇は、特に女性たちに大人気だった。


「だけど、私には少し窮屈だったことも事実なの」


 元々私は、そういったことに興味がない。

 それでも貴族の令嬢として、周りとの会話を合わせるために、好きでもない演劇を見て、興味のない宝石やドレスを購入して、上辺だけのお茶会を楽しむ。

 楽しくないと顔にもうっかり出そうになった。

 だけど耐えないといけない。

 子供じゃない私は、自分の振る舞いで周囲との軋轢を生むわけにはいかないと分かっていた。

 それでもたまにうまくいかないことはあったけど。


 その一方で、読書をするのは嫌いじゃなかった。

 どんなジャンルも好きだったけど、特に、この国のそれぞれの地方の特産品や栽培方法、土地ごとの気候の違いをまとめた本を眺めている時間は、不思議と心が落ち着いた。

 いつか、こんな自然の中で暮らすのも悪くないなと、そんなことを何度も考えたことがあった。


 そもそも王都に住む中央貴族と、領地を持つ貴族は、同じ貴族でも役割が違う。


 中央の貴族は、領地を持たない代わりに、人を動かせる役職に就き、国を動かす役割を担う。


 一方で領地を持つ家は、土地と作物と人の暮らしを直接守っている。

 屋敷に籠って書類仕事に明け暮れるよりも、実際に領地をその目で見て回って領民と触れ合う領主も少なくないと聞く。


「私は綺麗なドレスを着て、中央の貴族社会に揉まれながら笑って生きていくのは、あまり性に合っていなかったみたい。だから」


 私ははやる気持ちを抑えられず、頬を緩めた。


「ここで自然を感じながら過ごせるなんて、夢みたいだなって思って」


 私とセレナは双子だけど、私のこんな性格を両親はしっかりと見抜いていた。

 だから、中央に居を構えて常に貴族たちの中心となるカイエル殿下の伴侶として選ばれたのは、セレナだった。

 実際、セレナの方が王都ではうまくやっていけると思う。

 無邪気で明るくて、誰にでも好かれるセレナ。

 今だって、並みいる大物の貴族たちに、男女問わず気に入られている。

 それ以外の中堅貴族や下位の貴族にも慕われているから。

 カイエル殿下と同じ、皆の中心に立って微笑みを振りまくセレナこそ、殿下の隣にはふさわしいと、本心から思っている。


 私がそう言うと、エヴァンはニヤリとした笑みを浮かべる。


「そういえば君、貴族令嬢のくせにスカートでも平気で木に登るタイプだったな」

「っ、もう、そのことは忘れてってば!」

「さて、どうしようかな」


 揶揄う口調のエヴァンは、ここでふっと表情を和らげた。


「けど、俺と君が初めて出会った日のことだから。俺は忘れたくはないな」


 そう答えたエヴァンは、まるでセレナのことを話している時のように、どこか嬉しそうだった。


 彼の笑顔が、一瞬だけ私の心臓を強く掴む。

 本来なら私に向けられるはずのないものを、向けられた気がしたのだ。

 

 けれど次の瞬間、エヴァンはいつもの軽い調子に戻る。


「でもまあ、それなら、セレナに似ている似ていない関係なく、ルナに声をかけた俺の目に狂いはなかったってことか。書類関係の仕事も多いけど、各作物の収穫時は実際に領地を回って手伝ったりもするんだ」

「それ本当!? 収穫の手伝いもするの? すごく楽しそうね!」


 畑仕事なんてやったことがないけど、ワクワクを抑えきれなくて胸の前でぐっとこぶしを握る。

 そんな私を見て、エヴァンは苦笑した。


「楽しい……か。結構な重労働にはなるんだけど」


 エヴァンは肩をすくめた後、


「ただ、そこで作物の状態をきちんと自分の目で確認できるし、働く人たちと接することもできる。彼らの声を聞いて、改良できる部分は改良して、次の年にはより良い作物を収穫するためにさ」


 そう言って、窓の外に目を向ける。

 

「……そうして俺たちは、この土地を守り育ててきたんだ。財源がよそより潤っているのは、あくまでもただの結果だ」


 エヴァンの声は落ち着いていて、力強い。

 ここに暮らす領民たちと向き合い、次期侯爵家の当主として預かった責任を果たそうとする、彼の静かな覚悟が滲んでいるようだった。


 私がここにきた理由は決して綺麗なものじゃないけど、貴族として嫁いできた以上、その理由だけで立っているつもりはない。


「エヴァン」


 私は、少しだけ背筋を伸ばして彼の名を呼んだ。


「どうした? 急にそんな改まって」

「いえ……その。選んでくれた以上は、どんな理由であれ、きちんと役割を果たそうと思って」


 言葉を探しながらも、私は視線を逸らさずに続ける。


「あなたのために、私を受け入れてくれたご両親のために。そして、この領地で暮らす人たちのために。……まだ分からないことばかりだけど、精いっぱい務めるつもりよ。だから――これから、よろしくお願いします」


 私は彼に向かってそっと手を差し出した。

 一瞬きょとんとした顔をしたエヴァンは、真面目だなぁと言いながら小さく笑い、


「こちらこそ。よろしく、ルナ」


 彼は迷いなくその手を取ってくれた。


 エヴァンの熱が私に伝わってくる。

 その時ふと思い出すのは、初めて会ったあの人の手を握った日のこと。

 今のエヴァンの手のように、温かくて優しかった。


 ……大丈夫、もう一つの方だって、私は忘れていない。


 言葉にしない代わりに、私は小さく微笑む。

 セレナを思い出させるような、明るくも朗らかな顔で。


 気づいたエヴァンが、瞬きするほどのほんの一瞬だけ、表情を強張らせる。

 けれどそれが勘違いだったと言わんばかりに、すぐにエヴァンは彼の顔をやめて、私を静かに見つめた。


 触れ合ったままだった彼の手の温度が、少しだけ、下がった気がした。



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