4.面影
社交シーズンが終わり、王都から旅立つ日がやってきた。
今回の旅は、私とエヴァンと、そしてベルーナ家から連れていく侍女のアンネと、数人の護衛のみ。
エヴァンの両親は、既に領地へと戻っていた。
出発間際、ふと香水の瓶を手に取る。
こういった類のものは滅多につけないけど、今日は王都から離れる特別な日だ。
一回だけ吹きかけて馴染ませた後、瓶を荷物の一番上に置いてから鞄を閉じる。
「元気でねルナ!」
「セレナもね。カイエル殿下とも仲良くするのよ……って、私が言うまでもないわね」
見送りに来てくれた両親、そして目を潤ませるセレナと抱き合い、別れを告げる。
次にセレナと――そしてカイエル殿下と会うのは、一年後だ。
来年、私はどんな気持ちで二人と向き合うのだろう。
分からないけど、きっと今とそう変わらず、未消化の炎を体の奥で燻らせているはずだ。
馬車は二台に分かれており、後ろの馬車には私とエヴァンが二人だけで乗る。
私が席に着くと、すぐに馬車は出発する。
セレナの姿が小さくなり、やがて後ろの窓から完全に消えたところで、私は前を向いた。
と、隣に座るエヴァンが、細く息を吐く。
その横顔に、私はつい先日別れを告げたカイエル殿下の面影を探してしまう。
瞳の色一つで、隣のエヴァンが別人だと錯覚できてしまい、私の心は仄暗い幸せで満たされていく。
「……そんな恍惚とした顔で見てくるくらい、あいつに似てる?」
視線に気づいたエヴァンが、苦笑しながら私を見つめる。
「似てるわね。特に目の色なんて全く同じじゃない。私が憧れてやまない、宝石みたいな綺麗な色」
「あー、それは確かにそうかもな。王家とそれに連なる血族の中で、鮮やかな緑が出てるのは俺とあいつだけだし」
「先々代の陛下がその色だった、って聞いたけど」
「そう。先祖返りってやつになるのかな。うちもあいつんとこも、両親は揃ってセレナや君と同じ青だよ。まあ、俺はどうせならセレナと同じ色の方が良かったけど」
「私はエヴァンが今の色で良かったと思っているわよ」
「それは俺がカイエルと同じだから、だろう?」
「勿論。それ以外の理由があるとでも?」
「いや? ないな。じゃあむしろ俺は、この色に感謝しないといけないのかもな。もしも違う色だったら、ルナはこの話を受けてくれなかったかもしれない」
「そんなことは……ないとは言い切れないけど」
エヴァンの髪は黒だし、彼の方が肩幅もあってがっしりとしていて肌も焼けている。
だけど、二人が並べば兄弟と見間違われても不思議ではないほどには似ている。
「似てるって言ったら、やっぱり君とセレナもそうだよな……って、そりゃそうか。君ら双子だし」
「細かいとことは違うわよ。例えば髪の色だってあの子の方が明るいもの。それに目だって同じ青色でも、私のはもう少し濃い上に紫がかっているし」
エヴァンは、背中に流れる私の髪をまじまじと眺める。
「ふーん、光が当たるとこで見たら違いは分からないけど……こうして近くでじっくり見たら、ルナの方が深みがかった金だな。それにこっちも」
次にエヴァンは、少しだけ顔を近づけ、じっと私の瞳の中の光彩を観察する。
「セレナは澄んだ青だったし、確かに違う。けど、大まかな違いと言えばそのくらいだろう。眉の位置も長さも、目の形も、鼻の向きも、唇の形も、錯覚するくらいには全部が同じだ」
「根本は違うわ。笑い方や怒り方もそうだけど、性格や考え方も」
「それを言うなら俺とカイエルもそうだろう」
確かに、今エヴァンがしているようなからからとした笑い方を、カイエル殿下は絶対にしない。
それでも、ふっと真面目な顔になるエヴァンは、生徒会長として大勢の前に登壇し、演説をしていた時の彼によく似ていた。
けれど、私がそのことを伝えようと口を開きかけた時、車輪が石を踏んだのか、馬車ががたんと揺れた。
「きゃっ……」
小さな悲鳴を上げた私は、バランスを崩してエヴァンの方へ倒れ込んでしまった。
「ご、ごめんなさい」
「いいよ。それより、平気か?」
「ええ、あなたが受け止めてくれたから」
私が倒れ掛かってもびくともせずに受け止めてくれたエヴァン。
女性とは明らかに違う固い胸板に、エヴァンは異性なんだと改めて認識させられた私は、少し恥ずかしくなって急いで彼から離れる。
その刹那、ふと、エヴァンから漂った香りがわずかに私の鼻孔をくすぐる。
多分エヴァンの好みじゃない。
そもそも彼は私と同じで、ほとんどこういったものはつけないと前に言っていたから。
卒業パーティーの時でも、彼からは清潔な石鹸の香りがした。
だけど、今の彼からは間違いなく柑橘系の香水の香りがする。
しかもこれは……カイエル殿下が好んでつけていたものだ。
それを理解した瞬間、私の体はぶわりと熱を持つ。
――本当に、笑えるくらい同じなのだ、私たちは。
私からは、セレナの愛用する甘い香りが漂っているはずだ。
エヴァンも気づいたのだろう、彼がごくりと息を呑む音が聞こえる。
息を整え、ゆっくりと顔を上げると、目が合った。
だから私は別の顔で微笑むと、そっと瞼を閉じる。
どこか躊躇うような息遣いが聞こえる。
それでもしばらくすると、唇に柔らかな感触が触れた。
けれど、私は決して目を開けなかった。
……そうすることで、現実から少しだけ目を逸らせる気がしたから。




