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偽装結婚の私たちは、互いに誰かを演じ合う―代役夫婦が本物になるまで―  作者: 春樹凜


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29.違和感


 ……重い。

 なぜだか分からないけど、まぶたがひどく重かった。


 意識の底からゆっくり浮かび上がるような感覚に身を任せながら、私は何度か瞬きを繰り返す。

 視界はぼやけたままで、焦点がうまく合わない。

 その上頭の奥が、ずきりと痛んだ。


「……っ」


 小さく息を吸った瞬間、喉がひどく乾いていることに気づく。

 体も重い。

 指先まで自分のものじゃないみたいに鈍い。


 どうして……?

 ぼんやりとした思考の中で、必死に記憶を探る。

 

 強い風に、吹雪。

 白く染まるパルムの畑。

 ――その先が、思い出せない。


 ゆっくりと顔を動かそうとした瞬間、視界の端に黒が映った。


 誰かが近くにいる。

 焦点の合わない視界の中、それでもその輪郭ははっきりしていた。

 ベッドの傍らに置かれた椅子に腰掛け、上体を少し屈めるようにして、私の手を握ったまま眠っている人。


「エヴァン……?」


 掠れた声が、かろうじて喉から出た。


 その瞬間、繋がれていた彼の指が、ぴくりと動く。

 ゆっくりと顔が上がり、まぶたが開かれ、彼の瞳がこちらを捉えた。


「……ルナ?」


 普段のエヴァンよりも低い声で呼ばれた、私の名前。

 次の瞬間、強い力で彼に身体を引き寄せられた。


「よかった……本当によかった」


 震えている。

 彼の声も、腕も。


 どうして――?

 混乱したまま瞬きを繰り返す私に、エヴァンはゆっくりと体を離した。

 だけど手はまだ離さないまま、こちらを覗き込む。


「その顔は、何が起こったのか覚えていないみたいだな」


 エヴァンの問いかけに頷くと、彼はかみ砕くようにゆっくりとした口調で説明する。


「ここはライネオス家の屋敷だ。君は……雪の中で転落して、近くの木で頭を打った。熱も出ていたからな。三日も眠っていたんだ」

「……転落」


 言葉がうまく頭に入ってこない。

 けれどその単語に触れた瞬間、白い斜面と吹雪の記憶がぼんやりと浮かび上がる。


「あっ、私……」


 そうだ、確か足を滑らせて斜面を落ち、そのまま気を失って……。

 自分の頭に手をやると、包帯らしきもので巻かれているのが分かる。


「無事でよかった。本当に」


 その言葉を聞いた瞬間、胸の奥がはっと跳ねた。


「……そうだ、外は? 雪は……それにみんなは無事なの?」


 掠れたままの声でそう尋ねると、エヴァンは一瞬だけ目を細め、それから落ち着いた様子で答えた。


「雪はまだ降っているが、吹雪はもう収まっている。今は視界もかなり戻っているが……君はもちろん、まだ外には出るな」


 諭すような声音に、私はゆっくりと頷く。


「雲の様子を見る限りは、明日には完全に止みそうだ。天候が落ち着いたら、俺も領民の様子を見に行くつもりでいる」


 そこで一度言葉を切り、続ける。


「一応、確認のために何人か外へ向かわせた。家屋の損壊や怪我人の有無も含めて調べさせたが……全員の無事は確認されている」

「よかった」


 胸の奥に張り詰めていたものが、少しだけ緩む。

 けれど。


「……パルムは」


 震える声でそう尋ねると、エヴァンはほんの一瞬だけ沈黙し、それから静かに答えた。


「……駄目だった。ほとんどが落果していた。残っていた分も雪と凍結で傷んでいる。先に収穫していた分は無事だったとはいえ……残りの収穫は、全滅だ」


 分かっていたはずなのに、胸がぎゅっと痛む。

 そんな私を見てか、エヴァンは慰めるように手を伸ばすと、私の頭を撫でる。

 彼の手が触れた瞬間、なぜか胸の奥が小さく引っかかった。

 エヴァンには何度もされてきたことなのに、どこか……。

 その違和感の正体を探る前に、私は彼の顔を見て、それどころではなくなった。

 だって彼の顔は、明らかにやつれていたから。

 目の下には濃い隈が浮かび、頬も少し痩せたように見える。

 多分ずっと私の傍にいたらしいエヴァンは、何日もまともに眠っていないのだとすぐに分かった。


 ……私のせいだ。


「……ごめんなさい」


 エヴァンにこんなに心配をかけてしまった。

 そんな気持ちから、自然と言葉がこぼれる。

 それに対して、エヴァンは小さく首を振る。


「謝る必要はない」


 低いけれど、柔らかい声だった。穏やかで、優しくて、まるで春の陽だまりのような――。


「君が目を覚ましてくれただけでいい」


 その言葉に胸がじんと熱くなる。

 なのに、やっぱりどこか違和感がある。


「医師やみんなに知らせてくる。……少し待っていてくれ」


 なんて言ったらいいか分からない感情から彼から視線を逸らした私に、エヴァンはもう一度頭を撫でながらそう言って、ゆっくり立ち上がる。


 そして扉へ向かい、開ける直前で一度だけこちらを振り返る。

 その視線はどこまでも優しく、安心させるように微笑んでいた。


「っ……」


 なのにどうしてだか、その顔を見ていたら、私の心がどうしようもなくざわつく。

 何か言いかけて唇を開いた私だけど、何も言葉にはできず、その間に彼の笑顔が部屋の向こうに消え、ぱたりと扉が閉じた。


「……」


 室内に静けさが残り、一人になった瞬間、胸の奥にはっきりと違和感が生まれた。


 さっきの彼は、確かに、姿だけ見ればエヴァンだった。


 だけど、顔も、声も、仕草も、どこかが違った。

 あれはまるで――。


「……カイエル殿下……?」


 無意識に、その名が零れる。


 エヴァンがカイエル殿下を演じる時、形は歪でも、私は確かに幸福感に満たされていた。

 それなのに今の私は、エヴァンが演じていたことに、どうしようもない寂しさと痛みを覚えた。



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