22.変えたくない日常
季節は変わり、冬へと突入した。
ライネオス領は王都よりも南に位置するためか随分と暖かく、持ってきた厚手の上着を着ることはなかった。
そして冬といえば、パルムの収穫期である。
この領地の顔と呼んでもいいパルムの栽培地に向かうと、畑には、真っ白な果実がいたるところで揺れていた。
「うわぁ、すごいわね……! まるで雪の光のように幻想的で綺麗だわ」
王都でライネオス領以外のパルムを見たことがあるけど、同じ白色でもそれらは少しだけくすんだように見えた。
だけどここのはそれらとは明らかに違う。
穢れ一つない純白で、太陽の光が当たると柔らかく反射し、まるで光っているようだ。
あまりの美しさに、私の口から感嘆の声が漏れる。
すると隣にいたエヴァンが、嬉しそうに口元を緩ませる。
「綺麗だよな。ルナにそう言ってもらえて俺も嬉しいよ。特に今年は出来もいいしな。見た目だけじゃなくて味も期待してていい」
「ねえ、このパルムも収穫のお手伝いってするのよね?」
「その予定だけど」
「やった!」
胸の前で小さく握りこぶしを作ったら、エヴァンはぷっと吹き出した。
「ルナってほんと、畑仕事するの好きだよな。土が顔につこうが気にしないし、この前なんて、ミミズ捕まえてはしゃいでいたし」
「だってミミズよ? ベルーナ邸ではたまに土いじりをしていたら出てきたことはあったけど……。お父様たちには中央の貴族はそんなことしないってやんわり止められて以来、見ることはなかったし」
「にしたって、大きいミミズを素手で持って満面の笑みで俺に見せに来た時は、驚いたよ」
「あまりにも大物だったから、つい気持ちが昂ちゃって」
「君は図体のでかい子供か」
「子供心を忘れていないって言ってほしいわね」
つんと唇を尖らせて訂正したら、エヴァンはまた笑った。
「そうだよな、君は子供じゃない。昨日だって……」
言いかけたエヴァンが、はたと口を閉じた後顔をわずかに染める。
みなまで言われなくても続きを察した私も、彼に釣られるように顔を赤らめる。
「……ごめん、今のはちょっと、口が滑った」
「い、いいの、別に。気にしないで」
私たちは以前と同じように会話をして、同じように並んで歩き、同じように仕事をしている。
それでも体を一度重ねてから、私とエヴァンの関係は少しだけ変わった気がする。
例えば、こうして近くに二人でいる時。
自然と肩が触れ合いそうな距離に並ぶだけで、互いの体温がすぐそばにあるのを意識してしまう。
夜はもっと分かりやすい。
別々の部屋だった時、隣室にエヴァンがいると考えたら安心してすぐに眠れたのに、今はそれができない。
同じベッドに入って彼の息遣いを感じるたびに、心臓がうるさいくらいに音を立てるから、寝付くまで時間がかかってしまう。
そして、週に一度か二度――何か合図があるわけじゃないけど、昨日の夜みたいにどちらからともなく近づいて、体を重ね合う。
最初は、ただの義務だったと思う。
夫婦になった以上、逃げ続けるわけにもいかなかった。
だけど、朗らかな笑みも、低く穏やかな声も、私を見つめるまなざしも……そこにいたのは私の最愛の彼だった。
それだけで、胸の奥に残り続けている痛みがほんの少しだけ和らぐのだ。
だから私は、拒まなかった。
彼も、セレナになった私を拒まなかった。
そのうちに、そうしている時間が、義務ではなく、幸せを確認するための行為になっていった。
けれど、最近、合間にほんの一瞬だけ奇妙な気持ちになることがある。
それは本当に、瞬きほどの短い時間だ。
彼は私とは違ってこちらのことを決してセレナとは呼ばないけど、好きだと小さく呟かれた声には、カイエル殿下にはない響きが乗っていることがある。
私が好きだと伝えたら、カイエル殿下とは違う泣きそうな顔で笑っている時がある。
その瞬間だけ、目の前にいるのが誰なのか、はっきりと理解してしまう。
そして、その認識と同時に胸が小さく跳ねる。
……あれ?
自分でも説明のつかない感覚だった。
カイエル殿下を思い出している時とは違う、もっと直接的で、逃げ場のない鼓動。
けれど、それが何なのか考えようとした瞬間、私はいつも慌てて思考を閉じる。
違う。
今のは、違う。
ただの勘違いだ。
気のせいに決まっている。
そんなふうに感じるはずがない。
そんなことを考えてはいけない。
もし――もしも、これが別の意味を持っていたとして、それを認めてしまったら。
今の関係は、きっと壊れてしまう。
私たちは互いの代替えでしかない。
代わりを演じ続けることで成り立っている関係だから。
壊れてしまったら、私たちは外見のカイエル殿下とセレナを失うだけじゃない。
エヴァンとのこの穏やかな日々も、互いに支え合うような今の距離も、きっと消えてしまう。
私にとっても、そしてエヴァンにとっても、この関係は必要なのだ。
だから、知らなくていい。
分からないままでいい。
そう言い聞かせ、私は心の奥に浮かびかけたものを静かに押し沈めるのだ――。
「ルナ?」
エヴァンの声に呼ばれて、はっと現実へと引き戻される。
「どうした? ぼーっとしてるけど」
「え、あ……ごめんなさい。ちょっと考え事をしていて」
「体調がすぐれない、とか?」
「ううん、平気よ」
首を横に振ると、エヴァンは、それならいいんだけど、と小さく呟き、目を細めて柔らかく笑う。
そうすると、不思議と胸の奥が静かに満たされていく。
カイエル殿下を思い出している時よりも、もっと穏やかで温かい感情で。
だから余計に、怖い。
この穏やかさに慣れて、この距離が当たり前になってしまうことが。
考えないようにしているものに、名前を与えてしまいそうで。
私は小さく息を吐き、視線を戻した。
朝の光を受けて輝くパルムの白い実が、どこまでも広がっている。
その中を、エヴァンと並んで歩いていく。
何も変わらない日常。
変わってはいけない日常。
それを守るように、私はいつも通りの声で言った。
「ねえエヴァン。今日もたくさん収穫しましょう」
「ああ。そうだ、なら競争するか?」
「いいわね、望むところよ」
「負けた方が十分間肩もみな」
「その勝負のったわ」
そんな何気ないやり取りを交わしながら、私たちは畑の中へと歩みを進めた。




