21.初夜
結局みんなへのお披露目が終わったのは、すっかり夜の帳も降りた頃だった。
「大変お綺麗でございましたよ、ルナ様」
「ありがとうアンネ」
疲労感はあったけど、楽しかった。
でも、まだ今日はこれで終わりじゃない。
私の体は、アンネを含めた数人の使用人によって隅々まで磨かれ、淡く透け感のある夜着を着せられる。
「本日はお二人にとって大切な初夜ですからね。大丈夫、エヴァン様に任せておけば何の心配もありません。気を楽にして体を委ねてくださいませ」
「そうね……」
逃げられない現実が、すぐ目の前にやってきていた。
私とエヴァンは今夜、本当の夫婦になる。
この半年、彼と過ごしながらも、いつかこの日が来ることも覚悟していた。
それでもさっき湯船に浸かって温まったはずの体が、冷えていくのを感じる。
準備を終えて、新しくエヴァンと私用に用意された寝室に入って、一人彼を待つ。
大きなベッドに座るけど、落ち着かない。
今日から私はここでエヴァンと過ごすことになるのだ。
心臓が少しずつ速くなる。
指先が震える。
エヴァンのことはとても信頼している。
好きか嫌いかと聞かれたら、間違いなく好きだ。
それでも、その感情は私がカイエル殿下に抱いているものとは違う。
夜は同じ寝台で眠り、時には侯爵家に嫁いできた義務を果たすべく、私はこの先エヴァンと体を繋げるのだろう。
「……やっぱりやめとくか?」
「っ!?」
私の耳に、突然エヴァンの声が聞こえた。
驚いて声の方を向いたら、扉の前にエヴァンの姿があった。
「ご、ごめんなさい、少し考え事をしていて、あなたの入室に気づかなくて……」
「別にいいよ。どうせ明日の朝ごはんのメニューでも真剣に考えてたんだろう?」
「違うわよ! というか、私あなたにはそんなに食いしん坊キャラに見えていたの?」
「嘘だよ。冗談だって」
エヴァンがそう言って、小さく笑う。
顔の片側だけ上げる笑い方はエヴァンの特徴だ。
斜に構えているように見えるけど、彼がこちらに向けるまなざしはいつもどこか柔らかい。
でも、彼の笑顔はすぐに消え、すっと真顔になる。
エヴァンは珍しく緊張しているように見えた。
彼はそのまま私の隣に来ると、こぶしを一つ分開けて座る。
お風呂上がりだからか、普段よりも石鹸の香りも強い。
それに、柑橘の香りも。
それらが混ざり合って、今隣にいるのは一体誰なのか、分からなくなりそうになる。
そのままどちらも何も言わず、重い沈黙だけが続く。
こういう時、どうすればいいのか。
私から誘えばいいのか、それとも彼からの行動を待つ方がいいのか。
はたまた妙な緊張感をほぐすために、サイドテーブルに置かれているワインでも口に含めばいいのか。
思考のるつぼにはまっていたら、エヴァンが不意に口を開いた。
「なあ、ルナ。……さっきも言ったけど、今日はやめておくか?」
「え?」
そういえば、確かにエヴァンはそんなことを言っていたような気がする。
何を、なんて聞かない。
でも……。
「それは……そんなこと、できるわけないじゃない。だって今日はあなたと私の」
「分かってる。だけどルナは、なんというか、嫌なんじゃないかって。体だってちょっと震えてるし」
「…………」
即答できなかった。
情けない話だ。
結婚式まで挙げたのに、この場において尚怖気づくなんて。
だけど、嫌なのかと聞かれると少し違う気はした。
相手がカイエル殿下じゃないから足がすくむだけで、決してエヴァンが嫌なんじゃない。
――それはきっと、エヴァンも同じはずだ。
私はセレナじゃない。
彼が抱きたかったのは、彼女だったろうに。
多くの貴族令嬢と同じように、私にはこれまで閨の経験はない。
痛みと混乱と不安で、セレナの仮面が外れてしまうこともあるかもしれない。
それでも、セレナを渇望するエヴァンのために、そしてカイエル殿下を切望する私自身のためにも、全力で演じてみせる。
今迷っていたって、いつかその日は来るのだ。
なら――答えは決まっている。
「エヴァン」
私は立ち上がると、肩のところで結んでいたリボンの紐を解く。
それだけで、着ていたワンピース型の夜着ははらりと床に落ちて、私は下着姿になる。
「っ、ルナ……」
寝室での私たちのことを監視する人間はいない。
だから今の私は、ルナじゃなくたっていい。
私は笑った。
二十年見てきた姉だ。
彼女の笑い方も仕草も、すべて覚えている。
口を半開きにするエヴァンに、私は言った。
「セレナって呼んで」
瞬間、エヴァンがかすかに俯き、自身の顔を両手で覆う。
どんな表情をしているのか、私には見えない。
やがてエヴァンは重いため息を吐いたかと思うと、前髪をかき上げながらゆっくりと顔を上げる。
そこにいたのは、もうエヴァンじゃなかった。
彼は燭台の炎を消す。
向き合った私たちの顔は、部屋の中に僅かな月明かりしか届かないせいか、はっきりとは見えない。
だからこそ、私たちはお互いに、より深く違う相手を重ねられる。
そのままどちらからともなく近づくと、ベッドに一緒に倒れこみ、抱き合い、深い口付けをかわす。
体が結ばれ、痛みから悲鳴を上げた私の上に、普段より低い彼の声が降ってくる。
「悪い、大丈夫か?」
「……平気」
痛みにはまだ慣れないけれど、まるで自分が気遣われているかのように声をかけられるだけで、心が歪に満たされていく。
意識が朦朧とする中、私は何度か彼の別の名前を呼んだ。
そのまま夜が明けるまで、幻の相手と私たちは抱き合った。




