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偽装結婚の私たちは、互いに誰かを演じ合う―代役夫婦が本物になるまで―  作者: 春樹凜


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21/31

21.初夜



 結局みんなへのお披露目が終わったのは、すっかり夜の帳も降りた頃だった。


「大変お綺麗でございましたよ、ルナ様」

「ありがとうアンネ」


 疲労感はあったけど、楽しかった。

 でも、まだ今日はこれで終わりじゃない。


 私の体は、アンネを含めた数人の使用人によって隅々まで磨かれ、淡く透け感のある夜着を着せられる。


「本日はお二人にとって大切な初夜ですからね。大丈夫、エヴァン様に任せておけば何の心配もありません。気を楽にして体を委ねてくださいませ」

「そうね……」


 逃げられない現実が、すぐ目の前にやってきていた。

 私とエヴァンは今夜、本当の夫婦になる。


 この半年、彼と過ごしながらも、いつかこの日が来ることも覚悟していた。

 それでもさっき湯船に浸かって温まったはずの体が、冷えていくのを感じる。


 準備を終えて、新しくエヴァンと私用に用意された寝室に入って、一人彼を待つ。

 大きなベッドに座るけど、落ち着かない。

 今日から私はここでエヴァンと過ごすことになるのだ。


 心臓が少しずつ速くなる。

 指先が震える。


 エヴァンのことはとても信頼している。

 好きか嫌いかと聞かれたら、間違いなく好きだ。

 それでも、その感情は私がカイエル殿下に抱いているものとは違う。


 夜は同じ寝台で眠り、時には侯爵家に嫁いできた義務を果たすべく、私はこの先エヴァンと体を繋げるのだろう。


「……やっぱりやめとくか?」

「っ!?」


 私の耳に、突然エヴァンの声が聞こえた。

 驚いて声の方を向いたら、扉の前にエヴァンの姿があった。


「ご、ごめんなさい、少し考え事をしていて、あなたの入室に気づかなくて……」

「別にいいよ。どうせ明日の朝ごはんのメニューでも真剣に考えてたんだろう?」

「違うわよ! というか、私あなたにはそんなに食いしん坊キャラに見えていたの?」

「嘘だよ。冗談だって」


 エヴァンがそう言って、小さく笑う。

 顔の片側だけ上げる笑い方はエヴァンの特徴だ。

 斜に構えているように見えるけど、彼がこちらに向けるまなざしはいつもどこか柔らかい。


 でも、彼の笑顔はすぐに消え、すっと真顔になる。

 エヴァンは珍しく緊張しているように見えた。

 彼はそのまま私の隣に来ると、こぶしを一つ分開けて座る。


 お風呂上がりだからか、普段よりも石鹸の香りも強い。

 それに、柑橘の香りも。

 それらが混ざり合って、今隣にいるのは一体誰なのか、分からなくなりそうになる。

 そのままどちらも何も言わず、重い沈黙だけが続く。

 

 こういう時、どうすればいいのか。

 私から誘えばいいのか、それとも彼からの行動を待つ方がいいのか。

 はたまた妙な緊張感をほぐすために、サイドテーブルに置かれているワインでも口に含めばいいのか。


 思考のるつぼにはまっていたら、エヴァンが不意に口を開いた。


「なあ、ルナ。……さっきも言ったけど、今日はやめておくか?」

「え?」


 そういえば、確かにエヴァンはそんなことを言っていたような気がする。


 何を、なんて聞かない。

 でも……。


「それは……そんなこと、できるわけないじゃない。だって今日はあなたと私の」

「分かってる。だけどルナは、なんというか、嫌なんじゃないかって。体だってちょっと震えてるし」

「…………」


 即答できなかった。

 情けない話だ。

 結婚式まで挙げたのに、この場において尚怖気づくなんて。


 だけど、嫌なのかと聞かれると少し違う気はした。

 相手がカイエル殿下じゃないから足がすくむだけで、決してエヴァンが嫌なんじゃない。

 

 ――それはきっと、エヴァンも同じはずだ。

 私はセレナじゃない。

 彼が抱きたかったのは、彼女だったろうに。


 多くの貴族令嬢と同じように、私にはこれまで閨の経験はない。

 痛みと混乱と不安で、セレナの仮面が外れてしまうこともあるかもしれない。

 それでも、セレナを渇望するエヴァンのために、そしてカイエル殿下を切望する私自身のためにも、全力で演じてみせる。

 今迷っていたって、いつかその日は来るのだ。


 なら――答えは決まっている。


「エヴァン」


 私は立ち上がると、肩のところで結んでいたリボンの紐を解く。

 それだけで、着ていたワンピース型の夜着ははらりと床に落ちて、私は下着姿になる。


「っ、ルナ……」


 寝室での私たちのことを監視する人間はいない。

 だから今の私は、ルナじゃなくたっていい。


 私は笑った。

 二十年見てきた姉だ。

 彼女の笑い方も仕草も、すべて覚えている。


 口を半開きにするエヴァンに、私は言った。


「セレナって呼んで」


 瞬間、エヴァンがかすかに俯き、自身の顔を両手で覆う。

 どんな表情をしているのか、私には見えない。


 やがてエヴァンは重いため息を吐いたかと思うと、前髪をかき上げながらゆっくりと顔を上げる。

 そこにいたのは、もうエヴァンじゃなかった。


 彼は燭台の炎を消す。

 向き合った私たちの顔は、部屋の中に僅かな月明かりしか届かないせいか、はっきりとは見えない。

 だからこそ、私たちはお互いに、より深く違う相手を重ねられる。


 そのままどちらからともなく近づくと、ベッドに一緒に倒れこみ、抱き合い、深い口付けをかわす。


 体が結ばれ、痛みから悲鳴を上げた私の上に、普段より低い彼の声が降ってくる。


「悪い、大丈夫か?」

「……平気」


 痛みにはまだ慣れないけれど、まるで自分が気遣われているかのように声をかけられるだけで、心が歪に満たされていく。

 意識が朦朧とする中、私は何度か彼の別の名前を呼んだ。


 そのまま夜が明けるまで、幻の相手と私たちは抱き合った。



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