16.信頼
ライネオス領へやってきて数カ月が経った頃。
私も、覚えている領民たちの名前もどんどん増えていった。
マリナや、トム、エリオ、ミーナ……他にもたくさんの人たちがこの地には住んでいて、彼らとの交流を持つことが、私の楽しみの一つになっていた。
彼らはエヴァンだけじゃなくて、私の姿が見えても笑顔で駆け寄ってきてくれる。
そして気さくに声をかけてくれるのだ。
「ルナ様、こんにちは! あ、そうだ、こないだ言ってたやつ、やってみましたよ」
「どうでした?」
「あの比率で肥料を混ぜて使ったら、前の配分よりも葉のつき方がよくなった気がします!」
「それならよかったです」
「さすがはルナ様ですね! 私、一生ルナ様についていきますから!」
「そんな、大袈裟ですよ……」
私なりに学んだことを、エヴァンに前もって確認してもらってから、領民へと伝える。
成果が出ないことだってあったけど、それでも彼らは私が間違っていたことを責めたりしない。
そして今回みたいにきちんとした結果が出たら、彼らはキラキラした瞳で私を見つめて、嬉しい言葉をかけてくれる。
そうするともっと彼らのために頑張ろうと思えた。
それに、違う土地から来たエヴァンの婚約者という肩書ではなく、私自身を見て仲間として受け入れてもらえていることが、素直に嬉しかった。
でも、まだまだエヴァンには及ばない。
彼と同じくらいみんなに頼りにしてほしいと、勉強にもさらに熱が入る。
そんなある日のことだった。
この時期に最盛期を迎えるパッセルと呼ばれる果物をドライフルーツに加工する工場へ、エヴァンと視察に訪れた。
パッセルは、パルムと同じく果肉が甘くておいしいけど、熟すとパルム以上に柔らかくて傷みやすい。
ライネオス領以外に運搬することが難しく、ドライフルーツに加工して出荷しているのだ。
室内に入った瞬間、パッセル特有の甘い香りが鼻をくすぐる。
けれど働く職人たちの顔は、どこか沈んでいた。
エヴァンが事情を尋ねると、彼らは順に難しい顔で口を開く。
「今の乾燥方法だと、どうしても均一に仕上がらなくて……。外側は乾いても、中に水分が残ってしまいまして、そこからすぐに痛みだして」
「特に今年は収穫後の水分量が多かった物が多かったもので。今の一段階乾燥じゃ追いつかなさそうなんです」
並べられたパッセルは、見た目は美しい。
けれど触れれば、確かに水分量が多く、規定通りの時間で乾燥を終わらせたにもかかわらず、中心がわずかに柔らかい。
「理想は二段階に分けて、低温でじっくり乾燥させることです。最初に水分を抜き、休ませてからもう一度温度を落として仕上げる。ですが……」
責任者は言葉を濁す。
「時間も人手も、今の倍は必要になります。それに今年は想定よりも多く駄目になってしまいまして。加工もできずに廃棄処分に回す分が多くなっています」
彼らの言葉を聞いたエヴァンは、眉根を寄せる。
「工程を増やせば廃棄は減らせるが、手間も人件費が跳ね上がる、か……」
「ええ。このまま現行の方法で続けるか、改良に踏み切るか……判断に迷っております」
職人たちの不安が、空気に滲んでいた。
エヴァンは腕を組み、わずかに視線を落とす。
けれど迷ったように見えたのは、ほんの一瞬だった。
「よし。二段階乾燥に切り替えよう」
即断だった。
「廃棄が増え続ける方が損だ。品質を落としてまで守る数字じゃない」
「……ですが、費用は今の倍近くになる可能性があります」
「それでもやろう」
エヴァンの声は、一切揺らがなかった。
「うちのパッセルは、量より味と品質で売ってきたんだ。多少の益は失うが、無駄に捨てる方がもったいないし、何よりみんなで精魂込めて育ててきたんだ。努力に報いるためにも、なるべく市場に出してやりたいだろう?」
「エヴァン様……」
彼の言葉に尊敬の眼差しを向ける彼らに対し、エヴァンはにかっと笑う。
「ま、父には俺から話を通しとくよ。だから今から切り替えられるなら全部そっちに変えてほしい」
「い、いいんですかい?」
そのやり取りを、私は一歩引いた場所から見ていた。
私は今考えていることを口に出そうか悩んだけど……意を決して、彼らの元に歩み寄ると、口を開く。
「私も、その判断は正しいと思います」
声を発し終わった瞬間に、視線が一斉にこちらへ向く。
彼らの注目を浴びて、かすかに指が震える。
けれど……エヴァンと目線が合うと、不思議と緊張はなくなった。
彼の視線に背中を押されるように、私ははっきりとした声で続ける。
「王都では――特に貴族たちの間で、ライネオス産のパッセルで作られたドライフルーツは、年々評価が上がっています。他の場所で作られたものよりも格段に甘いですし、日持ちもしますから、最近ではお茶請けや贈答用としても人気なんです。価格が高くても品質で選ばれているので、仮に価格をその分上乗せしても問題はないかと。例えば包装に力を入れて贈答向けの物を作るとか……そうすれば価格を三割ほど上げても需要は落ちないかと」
そこで私は、王都でこれを口にしていた夫人や貴族の子どもたちの顔を思い出し、ふっと表情を和らげる。
「みなさん、ここのパッセルのドライフルーツを、毎年食べるのを楽しみにしているのですから」
しんと、空気が静まった。
あまりにも緊張感漂う空気に、私は自分が出すぎた真似をしたのではという不安に苛まれた。
次の瞬間、職人の一人が、緊張感を追い払うようにゆっくりと息を吐く。
「……そう言われると、腹も決まりますな」
それに倣うように、他の者たちも黙って頷いた。
エヴァンはというと、彼は私に向かってこぶしを突き出すと、ぐっと親指を上げる。
その顔は、上出来だと言わんばかりに笑っていた。
……よかった、どうやら私の発言内容も、彼にも認めてもらえたらしい。
少しは役に立てたみたいだ。
彼に信頼してもらえている、と思えて、嬉しくなった私も微かな笑みで彼に応えた。
それからも、似たような状況になったら、同じようなやり取りを何度か繰り返し、時にはみんなで一緒に考えて――そのうちに彼らの輪の中にも、私は自然と入っていけるようになった。
たまに議論が白熱して、意見が食い違い、私とエヴァンがぶつかることもあった。
「それは急ぎすぎじゃない?」
「いや、今動かないと次の季節に間に合わない」
「でも、その負担は現場に集中するわ」
言い合いになりそうな私たちを、領民たちは黙って見ていた。
けれど、エヴァンは不機嫌になることも、話を打ち切ることもしなかった。
「……分かった。じゃあ、段階を分けよう」
「それなら、無理は減らせるわね」
折り合いをつけた瞬間、誰かが小さく笑った。
「婚約者ってぇより、まるで長年連れ添った夫婦みたいですな」
冗談めいた声に、場が和む。
その笑いの中に、私を拒絶する色はなかった。
同じ熱を持って、同じ場所を見て、同じ未来を考える。
――エヴァンの隣で。
そんな日々が、少しずつ私の中に積み重なっていった。




