14.帰り道
食事も終わり、ひと息ついたところで、エヴァンがふと空を見上げた。
「そろそろ戻ろうか。三時には例の職人たちがくるんだろう? 馬車は向こうに待たせてある」
「分かったわ」
また来てください、という言葉とともに、私とエヴァンはみんなに見送られ、畑を離れる。
さっきまでの楽しかった空間から離れてしまうことに私は名残惜しさを覚えて、もう一度畑を振り返る。
そこにある、風に揺れるラリアンの葉と、作業を続ける人々の背中。
さっきまで自分もその中に混じっていたのだと思うと、不思議と胸が温かくなった。
この気持ちにもう少し浸っていたい。
「……ねえ、エヴァン」
私は一歩、彼の方へ近づいて言った。
「馬車じゃなくて、歩いて帰ってもいい?」
エヴァンは一瞬きょとんとした顔をしてから、ゆっくりと頷く。
「そうだな……時間はまだあるし。いいよ、歩こう」
理由は聞かれなかったけど、なんとなく、私の気持ちを察したような、そんな表情だった。
畑を離れ、屋敷へと戻る道を歩く。
朝の空気はすっかり温みを帯び、土の匂いがまだワンピースや靴底に残っていた。
畑から出発前にある程度払い落としたとはいえ、手も服も全部が泥だらけになった。
けど、全然嫌じゃない。
想像していた何倍も楽しくて、次はいつみんなと収穫できるのかとワクワクした心地で歩いていたら。
前を歩くエヴァンの歩幅がゆっくりとしたものになり、やがて彼の足が完全に止まる。
「……どうだった?」
振り返った彼から放たれたのは、短い問いかけだった。
けれど彼の声音には、単なる感想以上のものが含まれているのが分かる。
私は一瞬だけ考え、顔を上げた。
「正直に答えてほしい」
その間にエヴァンが続ける。
「今日の作業がどうだったか、っていう話だけじゃない。この土地で、この人たちに囲まれて――やっていけそうか、って意味な」
すぐに脳裏に浮かぶのは、畑で交わした笑い声や、子どもたちの無邪気な手。
笑い合いながら食べた昼食。
そして、作物の出来とエヴァンの功績を誇らしげに語る領民たちの表情に、生き生きとした畑の様子。
私もエヴァンに倣い、彼の前で足を止める。
「そうね。……大変だとは思ったわ」
私は正直に言った。
「あなたが普段やっている仕事は、ただ作物を育てる手助けをするだけじゃない。人と話して、意見を聞いて、考えて、判断して、自分にできることを限界まで考えて試して……それってきっと、簡単なことじゃないはずだから」
エヴァンは何も言わず、静かに聞いている。
「でも」
私はさらに一歩、エヴァンの方へ足を進めてから続けた。
「今日、みんなと接してみて思ったの。この土地も、この人たちも……あなたが大切にしてきた理由が、よく分かったわ」
胸の奥に、静かな熱が灯る。
「私はここに来たばかりだし、ライネオス領のことも、知識としては知っていても、まだ完全には理解できていない。すぐにあなたみたいにはできないけど……。それでも、私も、ここに住む人たちのために、私に出来ることを精一杯やりたい」
言葉にすると、不思議と迷いはなかった。
「だから――私、頑張るわ」
そう言った瞬間、エヴァンの口元が、ほんの少し緩む。
「そっか」
「ええ」
私は答え、自分の裾を見下ろした。
乾ききっていない泥が、まだあちこちに残っている。
「……それに」
それを見ながら、顔を上げ、満面の笑みで言った。
「今日はね、心の底からとても楽しかったの! みんなでワイワイしながら、大きく育った作物を収穫して……手も服も汚れちゃったけどそれも含めて、全部が!」
子どもたちの声、土の感触、収穫した時の小さな達成感。
どれも、王都では味わえなかったものだ。
エヴァンは一瞬、言葉を失ったようにこちらを見る。
それからゆっくりと息を吐くと、もう一回、私の頭に手を伸ばした。
今度は止めることなく、そっと触れる。
「まだ乱れていたかしら」
さっき直したばかりなのに、と私がぼやいたら。
「――――――」
風に溶けてしまう小さな声で、エヴァンが何かを呟く。
「? エヴァン、今なんて……」
全然聞こえなかった。
本当に彼は声を出していたのかと疑ってしまいたくなるほどで。
だけど私が聞き返しても、エヴァンは、
「なんでもない」
答えを言うことなく私から離れると、ライネオス邸へと向かって歩き出す。
「ほら、ルナ。早く帰ろう」
「ちょっと待って、エヴァン! 今なんて言ったのか教えなさいよ」
「だから何でもないって」
「嘘おっしゃい」
私はさらに追及しようと普段よりも大股な歩幅で歩いて彼との距離を詰めていたのに、追いつきそうになる直前に、なんとエヴァンは走り出した。
「あっ、……こら、走って逃げるなんて卑怯じゃない!」
「俺に追いついたら教えるよ!」
「待ちなさいってば!」
私は声を上げながら、慌ててエヴァンの背中を追う。
だけど本気で走り始めた彼に追いつけるはずもなく、結局エヴァンの言葉がなんだったのかは分からずじまいだった。




