13.初めての領地視察
朝食を済ませた後、屋敷を出て馬車で少し揺られると、すぐに今日の目的地であるとある作物の畑が見えてきた。
昨日窓から眺めた畑とはまた違う景色で、低く広がる畑に規則正しく作物が並び、土の匂いが風に乗って届く。
実っているのは、今の季節が最盛期を迎えているラリアンと呼ばれる緑の野菜。
ほうれん草よりも柔らかい葉が特徴で、苦みがなく、生でも食べられる野菜だ。
馬車から降りると、畑で作業をしていた人々が次々とこちらに気づいた。
「あれ……エヴァン様じゃないか?」
「おお、本当に帰ってきたのか!」
その声に、周囲の領民たちがぱっと顔を上げる。
気づけば、鍬を持ったままの人、籠を抱えたままの人が、次々とこちらへ集まってきていた。
「久しぶりですね、エヴァン様!」
「学園はどうでした?」
「王都の暮らしは、やっぱり大変だったんじゃないか?」
矢継ぎ早に飛んでくる声に、エヴァンは苦笑しながらも足を止める。
「相変わらずだな、みんな。調子はどうだ?」
「それはこっちの台詞ですよ。ずいぶん長い間、顔見ませんでしたから」
「戻ってくるの、待ってたんですからね。もしかしたらエヴァン様、どこぞの中央貴族のお嬢様の婿にでもなっちまうんじゃないかって」
冗談交じりの言葉に、エヴァンは肩をすくめた。
「何言ってるんだ。俺がここを放ってどこかへ行くわけないだろう? ちゃんと戻ってきたよ」
「それで? 学園じゃ何を学んできたんです?」
「この土地で流用できそうな技術や肥料なんかを……」
「王都近郊の畑で採れる作物はどんな感じでした?」
「え、そうだな、思っていたよりも収穫された野菜類の実の付き方が」
「あっちじゃちゃんと飯は食えてましたか?」
「王都には普通に美味い飯屋もあって……って、いっぺんに聞くなよ! ちゃんと順番に答えるから」
領民から次々に投げかけられる質問は、好奇心と親しみが入り混じったものばかりだ。
相手が貴族の子息だから過剰に畏れ敬う、ということもない。
むしろその逆で、自然と和やかな輪が形成されていく。
そしてエヴァンもまた、彼らの質問に一つ一つ、緩んだ顔で答えながら、自然と畑の中へ足を向けていく。
「それより、こっちの区画、前に言ってた改良はどうなった?」
「葉の張りはいいですよ。ほら、これ」
そう言って差し出された葉を、エヴァンは迷いなく手に取った。
その仕草には、慣れが滲んでいる。
こうして普段から、畑に足を踏み入れてきたんだと分かる。
私はそのやり取りを、少し後ろから見守っていた。
ひとしきりエヴァンとみんなとのやり取りが落ち着いた頃。
視線の一つがこちらに向いていることに気づいた。
畑の端で作業をしていた年配の女性が、遠慮がちにこちらを見ている。
目が合ったので会釈すると、その人も小さく会釈を返してから近づいてきた。
「……あの、もしかしてあなた様は」
声をかけられ、私は一瞬だけ戸惑う。
ここに住む人たちに受け入れてもらえるのだろうかと、緊張で心臓が高鳴る。
どう答えるべきか迷っていると、いつの間にか私の傍に戻ってきていたエヴァンが先に口を開いた。
「ルナ。彼女はこの区画にあるラリアンの畑を任せているマリナだ」
それから、まるで当たり前のように、続ける。
「マリナ、彼女は俺の婚約者のルナだ」
マリナは一瞬目を丸くした後、すぐに穏やかな笑みを浮かべる。
「まあ……そうでしたか。よろしくお願いします、ルナ様」
「い、いえ……あの、こちらこそよろしくお願いします」
「それにしても、ルナ様は本当に綺麗なお方ですね。お話には聞いております。ルナ様は中央の貴族のお方だとか。でしたらこういう畑を見るのは初めてですか?」
気遣うように柔らかく問いかけられ、私の口は自然と開く。
「初めて……だわ。でも、昨日馬車で通ってきた時も、今も、私はこのライネオス領に広がる景色は、とても綺麗だなと思って。それに自然の香りが鼻いっぱいに広がって、王都よりも空気も美味しくて新鮮で、ワクワクしているところよ」
「まあ、それは良かったです!」
マリナは嬉しそうに頷いた。
そのままマリナとは、自然と会話が弾む。
畑の様子を領民たちと眺めるエヴァンの姿をすぐ後ろから見ながら、私は彼女からこの畑の説明を受ける。
「そうそう、このラリアンはね、土と水の加減が難しいんですよ」
「前に私も本で読んだわ。だから限られた地域でしか育てられないって。確かこのライネオスの土壌は栽培に適しているとか」
「他の土地よりはそうなんでしょうね。それでも扱いが難しいんですよ。私たちも何度も失敗してきましたから。でもエヴァン様が中心に立って、色々なことを率先して試してくれて。水や与える肥料の量に、日照時間も細かく調べてくれましてね。おかげで、ここ最近は出来がいいんですよ」
私は畑に並ぶ葉を見渡す。
エヴァンが守ってきたもの。
エヴァンが信頼されている理由。
青々としたラリアンが広がるこの景色と、彼を慕うように取り囲む人々の笑顔が、その答えだ。
それが、より深く分かった気がした。
すると畑の向こうから、元気な声が飛んできた。
「エヴァン様ー! おかえり! で、今日は手伝ってくれるんですか?」
十歳前後だろうか、泥だらけの長靴を履いた少年が、籠を抱えてこちらへ走ってくる。
その後ろには同じくらいの年の子どもたちが数人、連なっていた。
彼らの顔を見た途端、エヴァンの顔には満面の笑顔が浮かぶ。
「おう、当然だ。今日はそのつもりで来たからな」
「じゃあ一緒にやろうよ!」
と、その中の一人の
「この人は?」
の一言で、好奇心いっぱいの視線が一斉に私へ向けられる。
だけど今回も私が答えるより先に、エヴァンが即座に口を開く。
「俺の婚約者のルナ」
「へえ……!」
少年はぱちぱちと瞬きをしてから、にっと笑った。
「じゃあ、エヴァン様の奥さんになる人?」
「ええ……そうなる予定ね」
答えると、子どもたちは顔を見合わせる。
そしてキラキラした笑顔を浮かべ、その内の一人が私の手を取った。
「僕の名前はランス! よろしくルナ様!」
「ええ、よろしくねランス」
「ねえねえ、ルナ様も一緒に収穫しようよ!」
「俺も一緒にしたい!」
「私もー!」
「あ、えっと……」
私よりも明らかに小さい子どもたちなのに、腕を引く力は意外にも強い。
有無を言わさずあっという間に畑の中心へ連れて行かれ、すぐに土の感触が靴越しに伝わってくる。
そのまま子どもたちは私の手を持ったまましゃがむので、自然と私も彼らと同じ格好になる。
「じゃあ、これ、これ見てて!」
「茎は優しく持ってね」
「引っ張ると切れちゃうから!」
そして子どもたちは、私にどうやって収穫すればいいのかを教えてくれた。
ドキドキとワクワクで少し手が震えながらも、言われた通りにやってみようと手を伸ばし、茎をゆっくりと引っ張ると、傷を付けずに土から引っ張り出すことに成功する。
「で、できたわ!」
嬉しくて思わずその場でラリアンを掲げたら、すぐに子どもたちが手を叩いて褒めてくれた。
「ルナ様上手!」
「ありがとう! それにしても、結構力がいるのね」
「そうなんだ! でもちゃんと取れたら気持ちいいでしょう?」
「ええ、とっても!」
「じゃあ次はこれもやってみて」
私はすすめられるまま、どんどんラリアンを手にとっては引っ張り、収穫していく。
おかげで手も裾も、すっかり泥だらけだ。
「こら、君らはルナが返事をする前に強引に……」
後ろを追いかけてきたのか、エヴァンが苦笑しながら視界に現れる。
けれど、楽しそうにラリアンに手を伸ばす私を見て、その顔を緩めた。
そしてエヴァンもまた私の隣に陣取ると、裾を肘まで上げ、ラリアンを収穫し始めた。
気がつくと、まだ東の方にあった太陽は、いつの間にか私の頭上に移動していた。
それに籠の中も思った以上に収穫したラリアンでいっぱいになっていた。
「ルナ様、すごいいっぱいだね!」
私の籠を覗き込み、褒め上手な子どもたちの称賛の声を受け、私は少し冗談めいて答える。
「ええ、きっと私が一番たくさん取ったわね」
けれどその言葉にすぐさま反応したように、エヴァンがどや顔で自分の籠を見せつけてくる。
「残念。俺の方が多い」
確かにエヴァンの取ったラリアンもそれなりに量があるけど……。
「そうかしら。見た目的にはあまり変わらないじゃない」
しかし、言い争いになりかけた私のエヴァンの間に入ってきたランスが、ドンっと自分の籠を置く。
そこには籠から中身がはみ出そうなほどにラリアンが入っており、私とエヴァンはすぐに負けを認め、ランスを褒め称えた。
すると彼はえっへんと誇らしげに胸を張ってみせた。
それからみんなでお昼ご飯を取ることになった。
畑の脇に用意されていた簡素なテーブルに、次々と食べ物が並べられていく。
飲み物や冷たいスープも並ぶ中、メインは収穫したばかりのラリアンを挟んだサンドイッチだ。
「これ、さっき採ったやつだよ」
「新鮮だから、そのままが一番美味しいんだ」
一緒に作業をしたことで、すっかり仲良くなった子どもたちに差し出されたそれを受け取り、私は一口かじる。
すぐに瑞々しくて、柔らかくて、ほんのりとした甘みが広がる。
「……おいしい!」
「でしょ?」
満足そうに頷く子どもたちの横で、私はどんどんお腹の中にサンドイッチを収めていく。
と、エヴァンがなぜかこちらをじっと見ていた。
彼は私と目が合うと、
「髪、ちょっと乱れてる」
そっと手を伸ばし――けれど指先は、私の髪に触れる直前で止まった。
「あの……エヴァン?」
どうしたのだろうと不思議に思い声をかけたら、彼は私からふいっと視線を逸らす。
彼の目線の先にあるのは……。
そこで、ふと気づく。
「もしかして、サンドイッチ食べたいの? ……これは私のだから、あげないわよ。あなたのはまだあそこに残っているじゃない」
手に持ったサンドイッチを死守するように少し体を引いたら、そのやり取りを見聞きしていた周囲がどっと笑う。
「エヴァン様、大変ですね……」
「ルナ様、今のは子どもの僕でも分かるよ」
「しかしわしらの前では頼りになるエヴァン様が、ルナ様の前では形無しですな」
「……みんな、少し黙ってくれないか」
途端に私から離れ、憮然とした表情を浮かべながらサンドイッチに手を伸ばしてかぶりつくエヴァンと、未だに笑顔の人たち。
「あの、どうしてみんなそんなに笑っているの? あとエヴァン、なんでちょっと不機嫌そうなのよ」
「別に」
「なんなのよ急に。私何か変なこと言った?」
訳が分からないわとぼやきつつ、私は携帯用の鏡を取り出し、髪の毛を軽く手で整えた。




