11.●真実
初めてセレナを見たのは、カイエルが「婚約者を紹介したい」と連れてきた時だった。
その場で向けられた微笑みに、胸を撃ち抜かれたような気がしたのを、俺は今でも覚えている。
こっちも釣られて笑ってしまいそうな笑顔を浮かべるセレナに、俺は一瞬で恋に落ちた。
顔を合わせ、談笑する姿を見る度、胸の奥では淡い熱が静かに燻り続けた。
けど、彼女の隣に立つことを許されていたのは最初からカイエルだけだった。
政略的な繋がりで結ばれた婚約関係だと聞いていたが、視線の先も、声の向かう先も、セレナは自然とカイエルに向いていたし、カイエルも同じだった。
セレナがカイエルに微笑む顔を見る度に、悔しいと思ったことは数知れず。
かといって俺は無理やりにカイエルからセレナを奪うつもりもなかった。むしろ奪えないと言った方が正しいか。
俺に割って入る隙なんてないのは明白だったから。
だが、一生セレナには淡い恋心を抱いたまま過ごすんだろうと俺は思っていた。
――ルナと出会うまでは。
彼女と出会ったのは、学園に入学してすぐの頃だった。
裏庭を歩いていた時、妙に必死な気配に足を止めた。
気配の先を探すと、一本の木の上で、女子生徒が枝にしがみついているのが見えた。
何やってるんだと首を傾げた俺だったが、理由を尋ねるより前に、その子の体がぐらりと揺れた。
「――っ!」
考えるより先に体が動いていた。
地面に滑り込むように飛び込む。
なにせギリギリだったせいで、腕の中に受け止めるなんて器用な真似はできず、俺は全身で彼女の体を受け止め、そのまま地面に押し潰される。
腹に落ちた衝撃はなかなかなもんだったが、鍛えていたから内臓が飛び出ることはなかった。
その瞬間するりと彼女の腕から仔猫が抜け出し、振り返りもせずに去っていく。
どうもあの猫を助けるために木登りをしていたようだ。
が、落ちてきた人物の顔を見る前に、俺は腹の上に乗った彼女のスカートに無意識に目がいき、
「あ、白……」
やましい意味もなく見えたまま言葉にしたら、口と鼻を同時に塞がれ、呼吸ができずに本気で死ぬかと思った。
その後すぐに手は外され、大きく深呼吸しながら肺に空気を送り込んだ俺は、ようやくその生徒の顔を見て……さっきとは別の意味で息が出来なくなった。
一目見ただけで分かった。
彼女がセレナの双子の妹のルナだってことが。
それから俺もルナも、セレナたちと同じく生徒会に入った。
必然ルナと過ごす時間も多くなる。
そして、ルナとセレナは見た目だけは見分けがつかないほどなのに、中身はまったく違うことに気づく。
セレナはいつも明るいのに落ち着いていて、笑みを絶やさず、貴族として完璧な立ち居振る舞いを身につけながら、それを誇示することもない。
でも、ルナは違った。
怖い時は怖い顔をする。
恥ずかしい時は、分かりやすく赤くなる。
納得できないことがあれば、すぐに顔に怒りの感情を乗せる。
本人としては我慢しているつもりだろうが、うまくできているかと問われると、頑張ってはいるが……という評価になる。
中央の貴族の令嬢としてやっていくには、正直、不器用すぎて大変だろうなと思った。
誰かに嫌味を言われれば、真正面から言い返す。
そのくせ、後で一人になってから、もっとうまく立ち回れたんじゃないかってちゃんと落ち込む。
俺はその不器用さが、妙に胸に引っかかった。
だからよくルナには話しかけに言った。
取り繕うっていうのも本気出せばルナよりうまくできる自信はあるが、そもそも俺は中央の人間じゃないし、面倒だからそういうのはしたくない。
俺の前では別に気にせず感情出せばいいと伝えてからは、彼女は俺とは肩肘張らずに会話をするようになった。
そんな彼女が、一つだけ完璧に隠し通している感情があった。
それが、カイエルへの想いだった。
なぜ分かったのか。
理由は単純だ。
俺も、セレナに対して似た感情を持っていたから。
報われないと知っているからこそ、表に出せない。
誰も傷付けたくないと、誰にも悟られないようにと心の奥深くに隠し、それでも確かに消えずに残る感情。
同族故に、ルナもまた、俺のセレナへの感情に気がついた。
俺たちは、お互いにそうだと分かっていても、それをはっきりと口にすることはなかった。
けど、言葉にならない妙な信頼関係というか、そんなものを抱いていた。
……俺がルナに対してそれ以上の気持ちを抱き始めたのはいつからなのか、はっきりとは覚えていない。
最初は何気ない違和感だった。
生徒会室で書類に目を通している時、誰かの声に顔を上げると、そこにルナがいるかどうかを無意識に確認している自分がいた。
そしてルナの顔を見るだけで、胸の奥が少しだけ緩む。
――おかしい。
そう思っても、すぐにもっともらしい理由を当てはめた。
放っておくとまた誰かと衝突したり、落ち込んでいるかもしれないからだと。
セレナの妹だから、気にかけているだけだ。
でもある日、生徒会の会合が終わり、みんなが帰った後。
窓際で一人、セレナとカイエルが並んで歩く背中を見つめるルナの横顔を見た瞬間だった。
俺しかこの場にいないからか、熱を帯びた視線をカイエルに向ける彼女の姿に、はっきりと胸が痛んだ。
――そういえば、俺は、いつからセレナよりもルナを見ていたのか。
最近はカイエルと笑い合うセレナを見ても、何も感じない。
セレナのことを嫌いになったわけじゃない。
今でも尊敬しているし、大切な友人だと思っている。
けど、その時、ようやく理解した。
俺の心はいつの間にか、セレナじゃなくてルナに惹かれていたことに。
かといって、告白なんてできるはずもない。
もし正直に想いを伝えたら、ルナは、きっと断る。
それは、冷たく突き放すという意味じゃない。
むしろ逆だ。
彼女は、自分を責めるだろう。
俺を見ていないのに、好意を向けられてしまったことを。
そして、応えられない自分を。
それだけは、させたくなかった。
俺が欲しかったのは、彼女の罪悪感じゃない。
ただそばにいて、ルナの笑顔を見られたらそれだけでいい。
だから俺はセレナを好きなふりをし続けて、ルナの同族で理解者である自分を演じ続けた。
結婚の話だってそうだ。
お互いに同じ傷を抱えているという理由があれば、彼女は受け入れると踏んでいた。
どれほど歪んだ提案かも、分かっていた。
それでも俺は、手放せなかった。
ルナに受け入れてもらって、一緒にダンスをしながら、本当は彼女の手を取って踊れていることに喜んだ。
お別れパーティーでも、セレナたちと話をしながらも少しだけ着飾った彼女を視界の端に映して、頬が勝手に緩んだ。
その理由を、ルナは勝手に俺がセレナに熱を上げているからだと勘違いしてくれた。
ルナといられるなら、喜んで嘘をつく。
この恋が報われないと……彼女が俺を見ないと分かっていても。
それでも、選んだのは俺だ。
だから、たとえこの先苦しむことがあったって後悔はしないと、覚悟はしていたはずだった。
それなのに、いざ一緒に過ごすようになると、どうしようもなく欲が出そうになる。
ほんの一瞬でいい。
代わりではなく、俺自身を見てほしいと。
俺がカイエルの代わりだと自分への戒めの意味も込めて、あいつの香水をたまに付けてみたって、それでも忘れてしまいたくなる。
王都を離れてから、ルナが俺のためにセレナを模倣するたびに、彼女の瞳に映るのは俺じゃないんだって分からされて心がえぐれた。
そんな俺の感情の揺れでさえも、ルナは、俺がセレナを想っているからだと踏んだみたいだ。
この先もずっとルナに、俺はセレナのことが好きなんだと思われたままなんだろう。
そうさせたのは俺なのに、喉がひりつくようだった。
ライネオス領に戻ってきて初めての夜、俺はベッドに横になり、天井を見つめる。
眠ろうとしても、意識は冴えるばかりだった。
隣の部屋からは、もう何の音もしない。
ルナは完全に眠りに落ちたのだろう。
――今、彼女は無防備に眠っている。
そのすぐ隣に、こんな気持ちを燻らせている俺がいることも知らずに。
俺は深い溜息を吐くと、静かに目を閉じた。
答えが返ってこないと分かっていても、それでも、どうしても言葉にしたくなってしまう。
「……おやすみ、ルナ」
小さく呟いた声は、静かな闇に溶けていく。
それでも、頭のどこかでは、彼女がその言葉に微笑んでくれた場面が見える。
――そんなありもしない幻想にすがりながら、俺はようやく重たい眠りへと落ちていった。




