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偽装結婚の私たちは、互いに誰かを演じ合う―代役夫婦が本物になるまで―  作者: 春樹凜


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1.プロポーズ



 私には好きな人がいる。

 けれどもそれは決して叶わない。 

 なぜならその相手は――私の姉の婚約者なのだから。




 学園の卒業パーティー。

 バルコニーにいる私は、講堂の中央で微笑み合う姉のセレナと、その隣にぴったりと寄り添うカイエル殿下を見つめていた。

 並ぶ二人は誰がどう見てもお似合いで、幸せそうな笑顔に見惚れる反面、心がズキリと痛む。


 ――私ルナと、姉のセレナは、ベルーナ伯爵家の双子の姉妹だ。

 滑らかな黄金の髪と、水晶のように透き通った青い瞳。

 美麗な両親の血を引いているからか、私たちは周囲からは人形のようだとよく称されている。

 だけど、中身は全く違うと言ってもいい。


 見た目に反して、実は私は気が短い。

 貴族同士の会話では、はっきり言わず、あえてぼかして相手に察させることが美徳とされる。

 だけど遠回しな言葉や笑顔の裏に棘を仕込んだような言い回しが苦手で、子どもの頃は、そうしたやり取りの中でよく衝突していた。

 

 さすがに幼い頃よりはうまく立ち回れるようになったけど、たまに顔や態度に出てしまっているなと、自分で感じることがある。 

 つまり……まだ苦手だ。

 

 けれど昔から、そんな時にはいつも私を助けてくれたのがセレナだった。

 セレナは、私のように真正面からぶつかることはなく、相手の立場も空気も読み取った上で、誰も傷つかない言葉を選んで場を収めてしまう。


 敵を作ることのないセレナだから、みんなに好かれていた。

 私だって、セレナのことを尊敬しているし大好きだ。 

 

 だから彼女がこの国の第二王子、カイエル殿下の婚約者に選ばれた時には、あのセレナだからそれくらい当然だと、妹としてすごく誇らしかった。

 

 けれど――。

 はにかむ笑顔のセレナから殿下を紹介された瞬間、勝手に胸が高鳴った。

 彼が姉の婚約者だと分かっているのに、視線が離せなかった。


 青みがかったプラチナ色の髪が太陽の光に反射してキラキラ輝く様は、まるでダイヤモンドを散りばめたように美しい。

 凛とした顔立ちに浮かぶのは、陽だまりのような笑みで。


「はじめまして」


 差し出された手は、彼の笑顔のように優しくて温かいものだった。


 私は、生まれて初めて恋に落ちた。

 一目惚れだった。

 

 セレナを介してカイエル殿下のことを知っていくうちに、垣間見える彼の内面に触れ、想いは深さを増していく。


 彼はよくベルーナ邸を訪れ、セレナと過ごす時間に、私も混ざることがあった。


「ルナは将来私の妹になるんだからな。何か困ったことがあれば遠慮なく頼ってくれ!」


 そう言って力強く微笑まれる度に、彼の笑顔に心が捕らわれ、身動きが取れなくなる。


 けれど、それは決して抱いてはいけない気持ちだ。

 彼はセレナの婚約者で、二人が相思相愛なのは見ていればすぐに分かった。

 

 微笑み合う二人を見ていると、日に日に苦い感情が増していく。

 それでも気持ちを悟られないよう、私はいつも二人の望む妹の顔で笑っていた。


 年齢が上がり王都の学園に通い始めると、私のカイエル殿下への気持ちはますます加速していく。

 同じ学年で、生徒会の役員にも選ばれ、二人の姿を目にする機会が増えたからだ。


 殿下に名前を呼ばれただけで心が跳ねる。

 そしてすぐに、セレナに向けられる笑顔との違いを思い知らされる。


 誰にも相談なんてできなかった。

 もしもセレナに私の気持ちが伝わってしまったら、きっと彼女はそのことに心を痛める。

 自分だけがカイエル殿下と婚約し、心を通じ合わせ、幸せそうに笑い合うことに。

 私は、セレナを傷付けたくなかった。


 だって彼と同じくくらい、セレナが大好きなのだ。

 その気持ちだけは、どれだけカイエル殿下への想いが積み重なろうと変わらなかった。


 そして今日、卒業の日を迎えた。


 まだ肌寒い季節で冷たい風が吹きつけるためか、バルコニーには誰もいなかった。

 私は、纏っていた笑顔の武装を解除して、シャンデリアの光に照らされるセレナとカイエル殿下の姿を目に映す。


 中ではいつの間にかダンスが始まっていた。

 カイエル殿下の瞳の色のドレスを身に纏ったセレナと、そんな姉の腰を抱く殿下が、中央で曲に合わせて踊っている。

 まるで世界は二人のためにあると錯覚させられるほど、笑いながら顔を見合わせステップを踏むごとに、周囲に光の粒子が飛び回って見えた。


 視線は私の意思一つで簡単に動かせるのに、心が痛むと分かっていても、勝手に目で追ってしまう。

 深い愛情が込められた笑顔も、視線も、声も、全てがセレナのものだった。

 捨てなければいけない感情なのに、私は未だにそれを手放せずにいた。


 ……けれどそれは、私だけではなかった。


「長居すると風邪引くぞ」


 気づけば隣に、同じ報われない想いに捕らわれるもう一人の仲間がいた。


「エヴァン……」


 カイエル殿下と似た顔立ちの彼は、殿下と同い年の従弟で、ライネオス侯爵家の跡取り。

 同じ学園に通い、生徒会でも一緒だった人物だ。


 私がエヴァンと初めて会ったのは、学園に入ってから。

 けれど子どもの頃から時々王都へと遊びに来ていたエヴァンは、カイエル殿下から婚約者のセレナを紹介してもらっており、何度か会ったことがあるらしい。


 そして――彼が同志だということは、すぐに分かった。

 学園生活の最中、平常を装いながらも、隠しきれない熱情をわずかに滲ませた視線をセレナに向ける彼の笑顔が、私と同種の物だったから。

 今だって、ここには私しかいないからなのか、これまで被っていた仮面を取り払い、セレナへの好意を隠しもせず、唇を噛み締めて食い入るように踊る彼女を見つめている。


「お互い、難儀なもんだよな」


 ダンスが続く中、ぼそりと放たれた彼の言葉に、私は同意するように頷く。


「本当に。……いっそ全部捨てられたら楽になれるのに」

「今更捨て方も忘れ方も分らないって。そんな器用なことができるなら、ここまで拗らせることもなかっただろうし」


 それでも、私たちはいつまでもこのままでいられない。


 私の両親は、無理に望まない相手との政略結婚を推し進める人ではなかった。

 婚約者決めを先延ばしにしてきた私に、二人は何も言うことはなかったけれど、いい加減、この気持ちに区切りをつけて先に進まないといけない。


 卒業したら領地へと戻るエヴァンだってそうだ。

 その容姿と侯爵家の跡取りという肩書から、学園でも彼に近付く生徒は多かった。

 エヴァンはその誰も選ばなかった。

 彼の心には、エレナが住んでいたから。

 だけど家を継ぐ彼は、このまま結婚もせずにいつまでも実らない恋に引きずられているわけにはいかないはずだ。


 私もエヴァンも、現実を見る時期に来ている。

 未来のことを考えるだけで、頭が鉛のように重くなる。


 ずっと消化しきれない感情を持ったまま誰かと結婚したとしても、私はそれを隠しきれるだろうか。

 風に揺れるスミレの花を見ればその花が好きなんだと言った声を思い出してしまう、今の私に。


「ものは相談なんだけど、さ」


 と。

 不意に横から聞こえたエヴァンの声が、私の思考に入り込む。

 訝し気に隣へ視線を移した私に、エヴァンは意外な言葉を口にした。


「一緒についてくる気はないか?」


 何を言っているのか分からず、一瞬固まる。

 けれどすぐに意味を理解した。


「それ、本気で言ってるの?」

「どうせ俺も君も、すぐには忘れられないんだ。けど、この気持ちが未消化なまま誰かと結婚しなきゃならないんだったら、捨てられない者同士で、くっつくのも悪くないんじゃないかと思ってさ。それに――」


 ここでエヴァンは言葉を区切ると、少しだけ笑った。


「俺はあいつに似ているし、君はセレナに似ている。互いに互いの代わりをするのに、もってこいの相手だと思わないか」


 ……エヴァンは確かに笑っている。

 けれど、一見普通に見える綺麗な顔は、明らかに何かが歪んでいた。


「っ、エヴァンあなた……自分が何を言っているか分かっているの? 頭がおかしいって言われても仕方ないわよ」

「ははっ、言えてる。俺も自分でそう思うよ」


 確かに私たちは、同じ気持ちを抱えている者同士だ。

 だから、たとえ私がカイエル殿下の代替えとしてエヴァンを見たとしても、逆に彼が私を見ているようでセレナを投影していたとしても。

 私たちはそれを責めることはしないだろう。

 だって互いの傷の深さはよく知っているから。


 だけど、彼の提案を受け入れたとしても、傷の舐め合いに過ぎない。 

 先へ進むのではなく過去に縋るようなやり方は、正しいとは思えない。


 エヴァンだって、分かっているはずだ。

 それなのに……。

 私の心は初めてカイエル殿下と会った時のように、ドクリと、一際高鳴る。 


 そうだ、どうせ誰かと結婚しないといけないのなら。

 忘れようとしても、カイエル殿下を想う気持ちに縛られるのなら。

 彼の言葉を受け入れて好きだった人の面影を一生求め続ける人生を選ぶことが、今の私には、とても甘美な提案に聞こえてしまった。


 だから――。


「その話、乗るわ」


 私の答えに、提案した張本人が驚いたように目を丸くし、ぎょっとした表情を見せる。


「……え、本気か?」

「どうしてあなたの方がそんな顔をするのよ」

「いや、だってさっき俺のこと、頭がおかしいって言ったくせに。なんで受け入れる意思を見せるんだよ。ルナも狂人なのか?」


 彼の言葉に、私はうっすら微笑んだ。


「そう。私もあなたと同じで、おかしいみたい」


 きっと今の私も、エヴァンと同じ、歪な笑顔になっているはずだ。

 セレナがカイエル殿下と結婚して、二人を見る機会が減って、そうすればそのうち時間の経過とともにゆっくりと想いが風化していく……。

 本体あるべき未来を望めないくらいには、私の心は長年かけてゆっくりと歪んでしまったのだろう。

 だったら、狂えるところまで狂ってしまえばいい。

 そう言ったら、エヴァンは絶句し、その後すぐに吹き出した。


「やっぱりルナはぶっ飛んでる。普通こんなこと言われたら、馬鹿にするか軽蔑するか、鼻で笑うかだろう。まさかそこまで思い詰めてたなんてな」

「失礼ね! 笑ってるけど、あなただって似たようなものでしょう!? 冗談っぽく言ってたけど、それは断られた時に受ける自分の傷を浅くするためで、提案自体は本気だったくせに」

「……なんだ、ばれてたのか」

「当たり前でしょう。何年一緒に拗らせてきた仲間だと思ってるの」


 絶対に受け入れられないと思っていたわけじゃないはずだ。

 もしかしたらこんなおかしな提案を私がのむかもと、ほとんどゼロに近い確率に彼は賭けたのだろう。

 

 そして私は浅はかにも、エヴァンの賭けに乗るのだ。


 私は薄手の手袋を外すと、右手を彼に差し出す。


「それで、最低なプロポーズに対して返事をした私に、何か言うことは?」


 エヴァンが私にセレナの代わりを望むのなら、それに応えよう。

 私は、よくセレナがしている、あの柔らかくて温かな笑顔を纏う。

 途端にエヴァンの顔から笑みが消え、喉を鳴らし、彼はこちらをじっと凝視する。

 次の瞬間、エヴァンもまたエヴァンの顔をやめ、カイエル殿下がよくセレナの前でしているものに似た、蕩けるような笑みを浮かべて見せ、


「一緒にどこまでも堕ちていこう」


 そう答えて私の手を取ると、手の甲に軽く唇を落とした。



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