試験前と試験が散々だった話
私が最初に躓いたのは、共通テストです。
昔だとセンター試験ですかね。
あそこで私はやらかしました。
あのときは、推薦で合格した人たちの声を聞いて、比べたり、いら立っていたりしたのもあるのでしょう。
得意なはずの科目……歴史の問題で、私は信じがたいミスを連発しました。
理由は、初の空気感に吞まれたことと、一番最初の問題に引っかかって、大幅に時間をロストとしたことでしょうか。
いつもなら大丈夫なはずの教科で手応えが無かったことは、私を大いに苦しめました。
歴史だけは誰にも負けない。勝負ができる。自分自身も、周囲も、そう信じて疑っていなかったがために起きた、最悪のミスでした。
その初めの出来事は、その後の教科に「点を取らなければ」という焦りを生み出したのです。
実は私には、共通テスト利用入試の合否がかかっていました。
だからこそ、私は非常に心の中で、叫びだしたくなるほどの葛藤を抱えていたのです。
結果的に言えば、点数が足りず、全利用入試で私は落ちました。
自己採点の結果は、本当に惨たらしいものでした。
通っていた塾に報告したときの、先生のガッカリした表情は、今でも忘れられません。
私はここで、最初の失態を犯したのです。
できる限り感情を抑え、想定外があっても、動揺しないこと……それは実に当たり前のことですが、当時の私はそれすらも分からないほど、未熟だったのです。
そうして、私は2月の私立受験シーズンに突入しました。
私の本命は有名な私立大学でした。
かなり前から国立大学も狙っていましたが、昨年の模試の成績が目も当てられないほどにひどかったので、3教科で受けられる私立大学を中心とした受験になりました(私は文系でした)。
受けたのは、「日東駒専」「成成明学獨國武」内の四校と、「MARCH」の一校でした。
私の両親は、二人とも皆さんも知っているであろう有名国立大学出身のエリートだったので、私自身の立場としては、とてもプレッシャーがありました。
有名な私立大学くらいなら、あなたも受かるよね?
そんな目線が、私は昔から怖くてたまりませんでした。
しかも、どんどん受験日が近づいてくるにつれて、学校にいても、塾にいても、その辺を歩いていても、周りが同じ目線を常に自分に向けている気がしてしまって、私は外に出るのすら恐ろしくなってしまったのです。
先生も、親も、友達も、塾の講師の人たちも、私がどこかには受かるだろうと思っていたに違いありません。
だから、その期待に応えなくてはと、試験で点を取らねばと、親が車を出してくれたり、ホテルを予約してくれたりしているのだから、絶対に失敗はできない、といった思いが、私の体内に広がっていったのです。
「絶対に受からないと」
「目の前の受験が全てなんだ。受かることが至上命題なんだ」
「どこか一校でもいいから受からないと、私は社会的に死んでしまうんだ」
そんな思いが、一日に一階はぐるぐる私の体を回って、私に言葉にできない強い不安を感じさせるのです。
そして、最初の受験に私は臨みました。
「あなたの実力なら絶対に受かるよ」と担任の学校教師にも言われた、安全校でした。
次に、私は本命の受験に挑みました。
前日にあったかく、油濃くない食べ物を食べました。
しっかり睡眠も、八時間は取りました。
予約していたホテルで風呂に入ってもいました。
ですが、当日、腹を壊しました。心当たりが一切ないのに、私は腹を痛めたのです。
しかも、下半身に蕁麻疹のようなものがありました。
トイレにはギリギリ試験会場に到着した後、間に合うことができましたが、それでもだいぶ体調が崩れていたので、手応えは感じられませんでした。
昼休憩にゼリー飲料やチョコを食べましたが、味はありませんでした。
その次の日はトラブルなく受けられましたが、マークミスや記述ミスがないか、不安にはなりました。
試験前に深呼吸を入れるなり、分からない問題はできる限り飛ばしながら進むなり、緊張を紛らわせるために問題に集中するようにしたり……工夫して受けれたのは、良かったかもしれませんが。
そのあとも、三校、別大学を受けました。
しかし、深夜二時に目が覚めてしまったり、移動の疲れが残ってたりと、不安が尽きない受験シーズンでした。
……約一週間後。
私は、安全校と言われていた志望大学の希望学科に落ちました。




