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ジェディは魔法使い

作者: 暇庭宅男
掲載日:2026/02/02

ーーーーアレが月でないことを、一体どれほどの人が知っているだろうか。


夜空に静かに輝くそれを少女は見つめた。


一見すると、白く満ちた満月のように見え、街ゆく人々は空にあるそれを気にもしない。だから気が付かない。ときおり、()()()()()()()()()()()()


「……なるほど。ウジャトの石の模造品(レプリカ)ね。よくできてる」


(ふる)い時代の話だ。月の女神は乱れた時間の規律を正さんと、太陽の王子に自らの力の結晶である左目を与えた。



自覚を持つものは少ないがヒトは簡単に時間の規律を乱す。幸福であるならば流れる時間を堰き止めたがるし、苦痛が自身を襲う間は早く過ぎ去れと願う。


時が一定に流れないなどと言うと正気を疑われるだろうが、実際は余りにもたくさんの人間の、呪いにも似た思念の数々が、時間の流れを不均一にしてしまう。淀んだ時間は群れ集まり、悪しきモノに変貌する。アポピスと呼ぶ人もいるがアポピスは裁きの間にいる。現し世に出てくるはずがない。

だから、昨今地上を這いずるようになったワニもどき共は、神性とは別の、意思なき反存在なのだ。


誰もが、その責任からは逃げたがる。


生きている限り、ヒトは善いことも悪いこともする。善に報いあれと願うように、悪にもまた報いがあるべきなのだけれど。残念ながら償いを自ら進んで行う人間は少ないのだ。

悪いことをした後、みな言い訳に必死になる。そんなつもりはなかった、自分が苦しかったから仕方がない、そもそも誰それが悪い……きりがない。


それと同じだ。時間を自覚なく無責任にいじくり回しておいて報いを拒むから、今宵のような神罰の日が来るのだ。因果応報。身から出た錆。心底救えない人間というやつら、その本性。


「……ま、とは言ってもね。わたしも一応、ヒトの味方だし」


少女はつぶやいた。そして次の瞬間、地上にあった小柄な少女の姿は夜陰に溶けるように消えた。



月ーーーーつまり、空に輝くウジャトの石は、たくさんの人々のズレた時間軸を強制的に戻そうとしていた。

ある人は早く、ある人は遅く。同じ一日を過ごしていても実際に消費している時間には差がある。杯が傾いていくのと同じく、それはいつか深刻な破綻を引き起こす。


生まれた瞬間に老人として心臓を止める赤子とか、逆に止まった時間に閉じ込められて、命が尽きるまでの数千年間を時の牢獄のなかで過ごす人間も出るだろう。だから、それを防ぐために、今夜この街を滅ぼして、そのズレを許容範囲の内で留めねばならなかったのだ。


ウジャトの石は殺戮の準備のため、少しずつ増光しつつあった。この罪深いヒトの街をすべて、何もなかったまっさらな今に作り直すべく、力を解き放つ準備をしている。


「おっと。それはダメだよ。やらせない」


空。ウジャトの石と同じ高度、すぐ近くから声がした。

あの少女だった。魔法を扱う人間がよく身につけるフードを被って、空を駆ける痩せた羊にまたがり、右手に何枚かの紙を握っている。


ーーーーと、偽物の月は少女を敵対的存在だと見なしたのだろう。自身の周りに青い炎を呼び出し、炎は少女に向かって矢のような速度で突進してくる。


『ろくろの・回る・限り・ヒトの・世は・終わらじ』


少女は呪文を唱え、何もない虚空に右手の紙を投げた。時間の進み方についてのいにしえの規則を書き記したその紙は、虚空にまるで壁があったかのように張り付き、放たれた火をやすやすと防ぎきった。


少女が唱えたのは時を司る最古の神の御業の呪文だ。どれほど後出しでもそれを間に挟まれれば、ウジャトの石は行動の優先順位を下げられてしまう。


それもそのはずだ。だって少女が唱える呪文は、ウジャトの石よりずっと以前の、ヒトが直接世界を調律していたときの呪文だからだ。出力のケタが2つ違う。今この国で完全にこの呪文を機能させ得るのは彼女だけだった。


「ごめんね、さよなら」


少女は続けて右手に持っていた紙を、偽物の月に投げ放った。紙は夜の底よりずっと暗い闇を生じ、闇はたちまちウジャトの石に食らいついた。なすすべもなく飲まれていく偽りの月。それを眺める少女の目は、なぜだろう、どこか悲しげにみえた。




翌日の朝ーーーー。


「ジェディ!すばらしい。大変な手柄であったぞ」

直属の上司からガシガシと頭を撫でられ、少女……ジェディはやめて〜と苦り切った顔で言う。上司、ヒブニスは王様からも褒められてホクホク顔で、2人の顔は対照的だった。


「あの、マスター・ヒブニス。1つ聞きたいことがありまして」


()()()()のジェディが質問とは!うむ答えよう。何かな」


ヒブニスの部下いじりはいつものことだ。ジェディは苦笑いしたあと、語り出す。


「ウジャトの石の写しが今回悪さをしてたわけですけど、こんなにも規模が大きいのはおかしいですよね?本物じゃないのに」


ヒブニスの顔からからかいの笑いが消えた。うむ、と口にして目を閉じたあと、思い切ってという感じで話し出す。


「メンフィスからの報告があった。我々の時間はかなり本来の流れとズレている。一度で直そうと思えば、もう街ごと消えてもらうしかないほどな」


「……もうとめられないんですか?」


ジェディがヒブニスに問う。ヒブニスはやや苦しそうに、そうだ。と答えた。


「我々が作ったはずのものが、()()()()()()()()()()()()()()()。都の連中も記憶と齟齬(そご)があるはずだが、気がつかない、あるいは……わかっていても話せない」


「どうすれば……?」

「どうすればいいか、か?一斉に直せないなら一人一人合わせていくしかない。眠っている間に遅れた分を現在の時に合わせるとか、あるいは早まった時間を神殿の祭礼にあわせて少しずつもとに戻すとか」


「我々の仕事なんですか?それ」


ジェディが不服そうに言う。ヒブニスはむくれる弟子をなだめた。


「ああ、ジェディ。その気持ちは全くすべて正当なものだ。自分の信じる無辜にだらしなく寄りかかって、その実、世の中の秩序を荒らす民は確かに馬鹿者だとも。しかしだ」


ヒブニスもいつの間にかジェディそっくりのしかめ面になっていた。壮年のヒブニスが真っ白な白髪の頭をしているのも、この仕事が矛盾にまみれた心労の絶えぬものであることを物語っている。


「我々は王命のもと、国民のために仕事を仰せつかっている。国民みなに欠けたところがあるとして、それが我々が職務を放り出していい理由にはならない」


「マスター……すみません、不平ばかり垂れてしまって」


ジェディは自らの心の幼さを恥じた。まだ齢12歳と言えど、仮にも魔法の才を認められて家族みな心配なく食えるようになったのだから、それに文句を言うのは贅沢を通り越して身勝手と言える。ヒブニスはしかし、ジェディの疑問を頭ごなしに否定はしなかった。


「ジェディ、民の悪いところは探さずとも目につくがね。叶うなら民の良いところを見よう。それが結果的に、我々の食い扶持を守ってくれる」


仕事を終えたジェディは、師にして上司のヒブニスの言葉を胸の中で反芻しながら家路についた。徹夜明けの街は、今日も何事もないかのようににぎやかだ。


と、その時。


「さあさ、いかがかね!ぎゅっと押して紙束に写した押し花だよっ!生花は枯れるがこうして押し花にしたらいつでも楽しめる、壁や玄関に飾っても見事!売り切れ次第今日は店じまいだ、さあ今のうちだよ!」


市場の端でそんな商売を開いている男がいた。なんだかジェディも気になって、店へ吸い寄せられる。


「いらっしゃい嬢ちゃん!押し花、好きかい?」


「……うん、素敵。これなら、しおれて悲しい思いをしなくていいのね」


「そのとおりさ!時間は止められねえからよ、だから時間に負けない花を作ったんだ!花の咲くのは数あれど、散らない花は、この押し花屋のハキムの作った押し花だけだよ!」


なんだかその言葉が嬉しくて、ジェディはその押し花を買った。蓮の花にザクロの花、タマネギの花というのもあって、どれも丁寧に、咲いていた時の美しさを損なわずに押し花にされていた。


「時間に負けない……かあ」


ジェディは自分の部屋で、買って帰った押し花たちを眺める。時間が過ぎることで色んなものが失われる。それはたぶん仕方のないことで、けれど、嘆いて呪うよりももっとずっと、明るく前向きに生きる生き方はあったのだ。


「生、これ瞬きの間の夢なり……か」


かつて学んだ呪文の一端を諳んじながら、けれど。とジェディは思う。

心のなかに焼き付けた素敵な思い出は、この押し花みたいに枯れることはない。


そうやって生きたいし、悪いことが起きたときは、この押し花を思い出そうかな。

小さな魔法使いのジェディは、決して広くない自分の部屋の中で、そんなふうに思って満足し眠りについた。空には今度こそ本物の月がのぼり始めていた。

不思議な話を書きたい時分に書いたもの。書き方から見るに私が高校生くらいのときに書いた話な気がする。


投稿するにあたってもほぼ手直しなし。盛り上がりに欠けるが結構長さと場面転換の早さのバランスがいいと思う。面白い作品のテーマが思いついたらこの作品のテンポをベースに作品を書いてみたい。

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