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第2話

「さつきー? お母さんもう出るけど。大丈夫~?」


 階段をあがる音が聞こえる。

 扉がノックされて、「はあい」とゆるく返事をすればお母さんが心配そうに声をかけてくれた。


「あんたが寝坊なんて珍しいと思ったけど具合悪いの?」


 え。寝坊?

 がばりと飛び起きる。

 時計を見ると、いつもの起床時間より30分も遅れていた。


 やばい支度する時間ない。


「ううん! 元気! おはよう!」

「元気ならいいんだけど大丈夫?」


 変な夢を見たからだ。はやくしなくちゃ。


 ばたばたと準備を済ませて、制服に着替えてカバンを引っ掴んで玄関を出る。朝ご飯を食べている余裕なんかなかった。




 焦って出た時って意外と間に合うもので、学校の近くに来る頃にはいつもとそう変わらない時間だった。よかった、安堵して息を吐く。


「あれ? さつき?」


 走る足を止めた私の横に並んだのは(みのる)だった。


「さつきにしては遅いじゃん」

「うん、寝坊しちゃって」


 実が、私の顔をじっと見つめている。


「なに?」


 すっと実の指先が私の額に伸びてきた。びっくりして少し身を引くと、実がくすりと笑う。


「寝ぐせ。直してやるから」


 寝ぐせ直しをいつもより適当にやってきて、しかも全速力で走ってきた私の髪はとんでもない方向にぶっ飛んでいたようで、それを実の指がきれいに整えて、それからぽんぽん、と頭頂部を大きなてのひらが撫でていく。


 ……撫でていく!?


「うぇ!?」

「なんだよ変な声出して。ほら、きれいになったぞ」


 こともあろうか、実は甘ったるい声で「まあ、いつもお前はきれいだけど」と囁いてきた。


「な、な、な、なんて!?」

「お前はいつもかわいーよ」


 まるで乙女ゲームかなんかの登場人物のようにさわやかに美しく微笑む実に鳥肌がとまらない。いつもこういうことしないでしょうに。


 私が寝ぐせなんかつけていたら「おっ、アンテナ立ってら~」とか言いながら笑ってくるのが実の平常運転なのに。なんだこれは。気持ち悪い。


「あ、あああ、あの実?」

「ん?」

「どうしちゃったの」

「どうもしないけど……ほら、行こうぜ」


 自然な流れで実は私の手を握ろうとする。

 いやちょっとまって、手をつないだのなんて小学生の遠足の時くらいでしょ勘弁してよ。


「あ! うん! いっけない私先生に頼まれごとしてたんだわ、先行くね!」

「? うん、気を付けてな」


 実を振り切り、猛ダッシュで私は校門へ駆け出す。




 私が教室について少ししてから、隣のクラスに実が入っていくのが見えた。別に怖がることなんて何もないのだけど、なんとなく私はびくついてしまっていた。


「おはよ、さつき。なんかぐったりして……どしたの?」


 里佳子が私の顔をのぞき込む。


「う……今日ね、来るとき実に会ったんだけど」

「一緒に来たの? いいじゃ~ん」


 うりうり、と私の脇腹を肘でつついてくる里佳子に違うんだよォ、と力なく言うと、里佳子は首を傾げる。


「なんか、手とか握ってきてさぁ……」

「あっ、あららぁ? ノロケ~?」


 さつきが珍しい~、なんていう里佳子に、だから違うんだってば、と続ける。


「なんか、様子がおかしいんだよ……」

「ほへ~? おかしいと言いますと?」

「まず、あいつ今日遅刻してない」

「いや実だって普通に来るときあるしょ、それは失礼すぎ」


 まあそれはそんな気もする。


「あと、寝ぐせもついてなかった」

「早く起きたんじゃ?」

「なんか背景に薔薇背負ってた」

「いやちょっと意味が分からない」


 とにかく変なんだよ~、と私は机に突っ伏す。がらがらと扉が開いて、チャイムと共に担任が入ってきた。


「おはよー、みんな席につけー」


 いつもと変わらない一日が始まるはず。たぶん。きっと。




 昼休み、私は気づいてしまった。


「今日、実が教科書とか借りに来てない」

「あ~、三日に一回はなんか忘れて借りに来るけど……今日たまたまその日じゃないんじゃん」


 それもそう。


 けど、なんか今日は雰囲気が違う。


 お弁当を食べていると、隣のクラスから篠本くんが来た。


「りか、楠木さん」

「あ、悠! ねえ、実のことなんだけどさあ」

「俺もそれ言おうとしてたんだよね」


 私は篠本くんの顔を見上げる。


「今日、なんか変なの気づいた?」

「うん、いや、失礼かもしれないけどさ、妙に優等生なんだよね」


 はたから聞いたらかなり失礼な発言だ。まるで実が劣等生みたいな。


 でも、彼は遅刻常習犯、居眠り上等、早弁マスター、内職のプロ。


 勉強ができないというわけではないが、学校での課題をさぼって自分の受験に必要な勉強を勝手に進めたりしているタイプだ。

 だから、授業中指名されたときもパッとわからない、真面目に聞いていなかったときは馬鹿正直に「すんません聞いてませんでした」という。

 そりゃそうだ。国語の時間に数学のワーク解いたりしているもんだから、教科書の内容なんて見ちゃいないのだ。


 選択教科の先生があまりに進みが遅いので勝手に進めている実は、面倒だから「きいてませんでした」と流しているときがあるな、と私にもわかった。お世辞にも態度が良い生徒とは言えない。


「それが……」


 耳を疑った。


 篠本くんが言うには、今日の実はどの教科もちゃんと起きていたらしい。先生に指名された箇所も、きちんと答えて、音読箇所も周りに聞かずにパッと読み始めたらしい。


「変だよね」

「変だわ」


 我ながら失礼だとは思うが、実の平常運転を考えるとこれは異常だった。

 三人で口を噤む。


「……あのね、昨日……」


 信じてもらえないかもしれないけれど、私は昨日起きたことをありのまま二人に話した。




「えぇ!?」

「ちょっと里佳子、声大きい」

「ごめん、で、その……変なおじさんが実とさつきを恋人同士にするって宣言してって、そのせいかもしんないの?」


 にわかには信じがたいけど、この急激な実のキャラ変は実が心を入れ替えて模範的な生徒になったのか、変なおじさんのせいでおかしくなってしまったかの二択だと思う。

 前者である可能性は、限りなく低い。

 それに、私に対する態度だっておかしいんだから。

 さすがに実が彼氏だったらいいのにと口にしたことは二人には言えなかったが……。


「ちょっと気を付けてみてた方がいいかもね」

「うん……」


 昼休みが終わった後も篠本君は実をよく見ていてくれたみたいで、やっぱり普段からは想像もつかないくらいの優等生っぷりを発揮していたらしい。




 帰りのホームルームが終わった後に実より先に報告に来てくれた篠本君にお礼を言って、私はハッと顔を上げる。

 扉の前には、実がいた。いつも通り、みんなで帰るコースだ。


 昨日と同じく、十字路で別れる。

 少し心配そうな顔で里佳子と篠本くんが私を見たけれど、帰る方向が実と同じだから私にはどうすることもできない。

 いや、そもそも実のことを嫌いなわけじゃないのだから、どうもしなくていいんだけど……。


「さつき?」

「ん!? なに?」


 急に声をかけられて、声が上ずる。


「今日、さつきちょっと変だよ」

「え? そうかな」


 いや、どっちかっていうとあんたのほうが変なんだってば。


 どっちかって言わなくても、変なんだってば。


 寒空の下、凍てついたアスファルトを踏む。気まずくて少し早足になっている私の足が、ずる、と滑って宙に浮いた。


 ――まずい。


 これ、背中から行くやつだ。

 ふわ、と視界が上へ。お空きれい。


「さつき!」


 背中に来ると思っていた衝撃が無くて、その代わりに実の腕が私の背の下にあった。ゆっくりと抱き起されて、息をつく。


「ありがと……ごめんね」

「なんで謝るんだよ、お前が無事ならそれでいい」


 顔が、近い。

 こういう時、いつもの実でも助けてくれるとは思うけど、腰に回った手はなんだろう。これ、すぐに解放してくれるものだと思っていたのだけど。


 なんでずっと腰を抱いているんですか?


「うん、ありがとう……実?」


 近い。やっぱり近い。熱に浮かされたみたいな目でこっちを見ている。


「どうしたの実」

「さつき、俺さ、お前の事……」


 違う。


 こんなの違う。


 実はこんな目で私を見ないし、こんな声で話さないし、こんな距離で囁いたりしない。


「違う」


 思わず、口から出ていた。


 私は実の胸を両手で押し返して、距離を取る。


「え……」


 実は呆然と立ち尽くす。かわいそうな気もしたけれど、もう止まらなかった。


「違う、こんなの実じゃない!」

「さつき? どういう……」

「実は、こんなんじゃない!!」


 それ以上言わないで、実の顔で実の声で実が絶対に言わないことをこれ以上。

 聞くなら本当の実の言葉が良い。

 好きだなんて、今の実からは絶対に聞きたくない。


「今の実に何言われたって、うれしくないよ!」


 振り切るように、駆け出していた。




 実は、追いかけてはこなかった。


 部屋へ駆けあがり、カバンを床に置く。

 ドアに背を付けて、そのままへたり込んだ。


 あれは、誰なんだ。


 実じゃない。


 実の顔をした、誰か。


 気持ち悪い――。




 あのサンタが、本当にサンタパワーとやらで実を私の彼氏にしてしまったんだろうか。

 彼氏にしようとしているんだろうか。

 実という存在を捻じ曲げられてしまったことに、悲しさと怒りがこみあげてくる。

 ご近所さんには気がふれたと思われるかもしれないが、勢いよく窓を開けて叫ぶ。




「サンタの……バカやろーーー!! 実を……ッ」


 大きく息を吸う。


「実を返せこのすっとこどっこい!!!!」



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