第五話 王様と私
「王様は、私の名前を知ってますか?」
よし、噛まずに言えた!
私は心の中でガッツポーズをする。
視線は、両手の中のグラスに落としたまま。
「なんだ? 今さら」
「いえ、呼ばれたことがないので、もしかしたら知らないのではないかと」
「そういう貴様こそ、俺の名を知らぬだろう」
「えっ!?」
びっくりして顔を上げてしまった。
つまらなさそうに酒を仰ぐ王様の姿がある。
そんなに勢いよく飲んで明日大丈夫なのだろうか?
ちらりと、机の上に重ねられた羊皮紙に目を向ける。
「ちゃんと、知ってますよ」
今日、デュポン夫人から聞いたから。
「ならば、なぜ呼ばぬ」
グラスになみなみと酒を注いでいる。
王様、さすがに飲み過ぎでは?
「恐れ多いので」
「なんだ、それは」
冷たい眼差しが私を貫く。
でも、しょうがないと思うの。
だって、私は孤児で神殿の掃除婦で王様と関わることなんて本当ならなかったのだから。
「貴様は、俺の伴侶になるということを本当に理解しているのか?」
「えーっと、多分」
理解しようとしかけて、止めた。
あまりそこをほじくり返さないでほしい。
「……そういえば、貴様ばかりが俺の髪に触れるのも公平ではないな」
「は?」
髪が今、なにか関係あった?
なんだか今夜の王様、ちょっと違う?
私が疑問に思っていると手が伸びてきた。
日に焼けた大きな手。
私の髪に触れて、口元に寄せる。
「ちゃんと手入れされているようだな」
王様が満足そうに呟く。
私は言葉を返せなかった。
え? なに? どうした?
私の髪の手入れを確かめるのに、なぜ口づけが必要なの?
「王様、もしかして酔ってます?」
「これくらいで酔うか」
「でも、もうその瓶半分くらいなくなってません?」
「構わぬ。次がある」
そういう問題じゃないと思うんだけどな。
私は、私の髪に口づけた王様の唇に視線が向かってしまい、慌てて逸らす。
王様にとっては大したことじゃないんだろうけど、神殿暮らしの私には破壊力が高すぎる。
「それで、王様。私の名前を知っているんですか?」
「知っている」
ドキドキうるさかった胸が静かになった。
そうか。
知っていて呼ばれなかったのか。
私は王様にとって『小娘』でしかなかったのか。
「マリアンヌ・アークライト」
優しい声音に、息が止まるかと思った。
さっきまで偉そうだった王様が、真っ直ぐに私を見ている。
「いえ、私の名前は……」
「これが、そなたの名だ」
揺るがぬ瞳、声。
頬杖をついて私を見て。
偉そうなのに、嬉しいのはどうしてだろう。
庶民に名字などない。
ただのマリアンヌだった私に、寄り添ってくれる人ができた証。
「本当は、まだ呼ぶつもりはなかったのだがな」
そう言って酒を仰ぐ頬が赤いのは酒のせいなのか、それとも――。
「王様って、意外と可愛いですね」
「貴様、鈍いと言われぬか? ここまでして、なぜわからぬ」
褒めたのに、なぜ貶される?
解せぬ。
「俺の名を呼んでみろ」
蠱惑的な笑み。
甘い声。
偉そうじゃないのに、不思議な圧がある。
「シリウス・アークライト様」
自然と、口が動いた。
目の前の笑みが、一段と甘くなる。
「今後はシリウスと呼ぶように。『王様』は禁止だ」
もしかして、もしかして。
王様ってば――
「拗ねてました?」
「貴様、死にたいのか?」
視線が一気に冷気を纏う。
けれども、そんなの気にならない。
「私、結婚式までにちゃんとマナーとか覚えますからね!」
「当然だ。俺の妻なのだからな」
呆れたようなため息。
そして、私の髪に再び伸びる手。
「!?」
手は、髪ではなく後頭部を包んだ。
私は前へと引っ張られる。
目の前には、深い笑みを浮かべたシリウス様の顔。
「忘れるな。女神の託宣は必然だ」
耳に届くその優しさが、甘さを含んだ毒のようにじわじわと私の体を蝕んでいく。
私たち、女神様に誓う前なんだけどな。
でも、シリウス様ならいいかな。
そう思いながら、私は静かに目を閉じた。
ねぇ、シリウス様。
もし、また玉座の間に引っ張られてあなたの前に立たされたら。
今度は、私から飛びついてあげる!
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
俺様な王様と、孤児の少女の物語はここで一区切りとなります。
二人の関係が、女神の託宣だけではなく、
互いの意思として結ばれたことを感じていただけていれば幸いです。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
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