第四話 王様、妻の名前をご存じですか?
考えたって答えは出ない。
鏡の前で夜のお手入れをしながら、私は王様の部屋へ行くことに決めた。
だって、気になる。
王様は本当に私の名前を知っているのだろうか?
知っていて、今まで一度も口から出たことがないってあり得る?
――あり得るな、王様だから。
「いいや、考えても無駄だって王様も言ってたし」
多分。
私は夜着にガウンを着て廊下へ出る。
長い廊下は、ろうそくの明かりだけが揺れていて、不気味だった。
たまに巡回の人が来るらしいのだけれど、私は寝ているので気づいたことがない。
自分の部屋の隣の隣が王様の部屋だ。
普通は結婚前の私みたいな人間は客間を使うそうなのだが、王様が『手間が増えるだけだ』と、今の状態にしたらしい。
「シリウス・アークライト様」
小さく、呟いてみる。
ちょっと格好いいかもしれない。
ちりちりと燃えるろうそくの音を聞きながら、私は夫婦の寝室の前を通る。
夫婦。
寝室。
今まで意識したことはなかったけれど、これはもしかしてもしかしたらもしかするんじゃないの!?
だって、夫婦って――
「いや、考えなくていい。使うと決まったわけじゃないし」
あんなに綺麗な人が私に触れるだなんて、どうにも実感湧かないし。
ドクンと大きく響いた胸の音を無視して、私は廊下を歩く。
長い、長い廊下。
王様の部屋のドアの前に立ち、深呼吸をする。
来たのはいいが、これからどうすればいいだろう?
ノックをする?
声を掛ける?
もしかしたら、政務で疲れているかもしれない。
寝ている可能性だってある。
「やっぱり、帰ろうかな」
王様が私の名前を知っていようといまいと、なにかが変わるわけじゃない。
呼ばれなければ、意味はないのだ。
「ばっかみたい」
呟いて、踵を返す。
「その通りだな。人の部屋の前でなにをしている。不審者め」
ガチャリとドアが開き。
振り返ると王様が目の前に立っていた。
ろうそくの明かりの下でも艶の分かる金の髪。
猫みたいな綺麗な金色の瞳。
背が高いから、完全に見下ろされている。
「え? なんで!?」
私はデュポン夫人のもとで必死の努力をした結果、淑女としての歩き方で合格点をもらっている。
しかも、廊下のカーペットはふかふかだ。
それなのに、どうして?
「貴様の雑な気配に気付かぬわけがなかろう」
腕を組んでドアに寄りかかる王様。
休む前だったのか、シャツにズボンとラフな姿だった。
夜着がひらひらのフリルとかじゃなくて良かった……って、なにを考えているんだ私は。
「用があるなら入れ。少しなら時間を割いてやる」
顎でクイと自室を示し、私を促す。
本当に偉そうだ。
いや、偉いんだけど。
「それでは、失礼します」
「随分行儀が良くなったな。小娘」
鼻で笑われた気がしてちょっとカチンと来たが、夜に押しかけたのは私の方だ。
入れてくれただけで良しとしなくては。
「なんで、あんなに書類が積まれているんですか?」
ここ、執務室じゃないよね?
私室の机であろう場所の上には、羊皮紙が存在感を放っていた。
ダークブラウンでまとめられた家具。
チェストの中には、立派な船の模型やお酒の瓶も見える。
カーテンはまだ開かれていて、お月様が見えた。
王様の部屋なのに王様っぽくない。
不思議と、そこに安堵する。
「仕事が終わらぬからに決まっておろう」
「まだ仕事してたんですか?」
「少しだけだ。あとは朝に目を通すだけで間に合う」
それって、働きっぱなしってことですよね?
確かに式が近くなってきて、私も忙しくなってきたけれど。
「それで、どうした? よもやなにも用がないのに来たなどとぬかさぬよな?」
だから、そこで圧を出さないでよ!
こんなに忙しくしてるなんて思ってなかったんだから!
「そこに座れ。酒……というわけにはいかぬか。水くらいは出してやろう」
王様の部屋の椅子に腰掛けるよう指示され、大人しく座る。
目の前に差し出されたお水も、王様が手ずからグラスに入れてくれたのだと思うとありがたさが増す気がする。
向かいでは、王様がグラスを傾けていた。
そんな姿すら様になる。
「なにがあった?」
私の迷いを確信しているかのような口ぶり。
冴えた眼差し。
私は目を伏せ、両手でグラスを掴み水を喉に流し込んだ。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
王様が彼女をどう見ていたのか、その一端が見えた回でした。
次話が最終回となります。
最後までお付き合いいただけましたら幸いです。




