第二話 淑女修行が地獄すぎる件
人間って、限界を迎えると言葉を失うのね。
知らなかった。
講師がつけられてから私が口にした言葉は、
「おはようございます」
「ごきげんよう」
「さようでございますか」
「素敵ですわね」
そして、
「申し訳ありませんでした」
多分、これだけ。
おしゃべりで神殿内でも有名だった私がよ?
講師だという、化粧が濃く、香水の匂いがきついおばさんも、王様みたいに圧が強い人だった。
「そこは、先ほどお伝えしたはずですが?」
「まぁ、とても器用に転ばれるのですね」
「淑女に必要なものは微笑みですよ。顔芸ではございません」
そりゃまぁ、散々だったね。
王様に深いため息をつかれた後、今まで触れたことすらないくらいふかふかの温かいベッドでぐっすり寝た私。
仕方ないしやるかー!と、昨日読めなかった結婚式の順序について書いてある紙を眺めても、ちんぷんかんぷん。
確かに読めるようにはなっていたけれど、書いてあるものの意味がわからない。
儀典ってなに?
迎賓?
これは聞いたことはあるような……?
与えられた広い部屋で、弾力のある布製のソファーに座りながら辞書を片手に意味を調べる。
書類と一緒に辞書が用意されていた意味がわかったわ。
かえって用意が良すぎて怖いよ、王様。
書類を眺める私に、器用に着替えをさせる侍女たち。
そして、見たことがない料理がいっぱい並んだテーブルに、どうやって使えばいいのか分からないナイフやフォークをなんとか駆使して朝食完了。
片付けが終わった途端、やってきたのが講師のおばさんだった。
デュポン夫人とか言っていたけど、貴族の偉い人なんだろうなーってことしかわからない。
「ナイフやフォークは、外側に配置されているものから使うものです」
昼食時。
テーブルマナーの授業だと言って、小さめの食堂で眼光鋭いデュポン夫人の向かいに座らされた私。
ダメ出しの嵐に、食欲を完全に失う。
「ソースを口の端に残すなんてはしたない」
「申し訳ございません」
「食事中は極力音を出さぬようお伝えしませんでしたか?」
「申し訳ございません」
黙礼し、口の端がわずかに上がる程度に微笑……めない!
いや、もうなんかおなか一杯です。
テーブルの上にあるもの全てが拷問器具に見えてくる。
まだメインのお肉も出てこないけれど、既に胃もたれしているよ。
「申し訳ございません、デュポン夫人。私、今はあまり食欲がないようでして」
「……そうですの。でも、その方がよろしいかもしれませんわね。ドレスを着ることを考えたら今のままでは……苦しそうですものね」
なに、そのテーブル越しの私の腹回りに向ける視線は。
庶民はこれくらいが普通なのよ!
私は特別やせているわけじゃないけれど、悲観するほど太ってもいないのよ!
ほとんどなにも食べられないまま昼食を終え、デュポン夫人は、
「では、また明日。ごきげんよう」
と言い残し去って行った。
夫人を見送った私は、口角をわずかに上げたまま、ぎこちない笑みを貼り付けて部屋に戻る。
鏡を見たら、ハーフアップなるものにセットしてもらった茶色い髪に、同じく茶色い瞳をした私の顔が映っていた。
口角を上げているつもりが、中途半端で我ながら面白い顔になっている。
でも、笑う気力も出ない。
目が、死んでいた。
「今からでも毒杯を飲めるのかな……」
思わず口にして、口元を手で覆う。
なんてことを言ったの、私!
私の背中を同じ孤児院出身の子たちが見るのだ。
こんな考え方、絶対ダメ!
「そうよね。その前に逃げ出せばいいんだものね!」
神殿には戻れなくても、私は読み書きができる。
それだけで、街中では働けるはずだ……はずだよね?
脳裏に、毒杯について聞いてみたときの王様の答えが思い浮かぶ。
『試してみるか? 止めぬぞ?』
あの時の笑みが怖くて忘れられない。
部屋に備え付けられているベランダに出て、まだ空高い太陽を仰ぐ。
城からは、町並みが見下ろせた。
私が育った孤児院も、昨日まで働いていた神殿も遠目に見える。
そこに住んでいる人たちの営みが感じられて、呼吸が楽になった気がする。
振り返れば、白い壁紙にベージュのキャビネットやダークブラウンのテーブル、天蓋付きのベッドが備わった部屋が見える。
壁にはドアがあり、その向こうは夫婦の寝室につながっているのだという。
昨日開けようとしたら、鍵がかかっていて開かなかった。
「広いな……」
こんな部屋に、一人でいたことがない。
孤児院でも神殿でも私は大部屋で生活していた。
ベランダの向こうとは違い、音のない空間にいたたまれなくなったとき、ガチャリとドアが開く音が聞こえた。
「まさか、そこから飛び降りる気ではあるまいな?」
昨日、鍵のかかっていたドアから王様が出てきた。
私を観察するように上から下まで目線を動かす。
「そんなところに立っていないでこっちへ来い。俺の休憩に付き合え」
王様は相変わらず偉そうで。
でも、心なしか口調が柔らかかった。
今日は白の上下に金色の装飾が施されている。
なにを着ても似合う人なのだろう。
「よもや俺の言葉が聞こえなかったのか?」
不審げな眼差しに私は慌てて王様の側へ行く。
まだ、名前も知らない王様。
ベランダからの光を浴びた金色の髪は三つ編みにされていて、思わず触ってみたい気持ちが疼く。
「チョコレートを用意させてある。食べたことはあるか?」
「ないです」
「だろうな」
知っているなら聞くな!
そう思ったとき、一人じゃないことを実感する。
「まずはそこに座れ」
部屋にセットされていたソファーに座った王様が、テーブルの向かいにある席を目で示す。
私が大人しく座ると、ベルを鳴らして侍女を呼んだ。
彼女たちは、私が無言のうちにチョコレートを並べた皿に紅茶を入れたカップを並べ去って行く。
「俺の妃になるのだ。無理をしてもらわねばならぬ。だが、無理に笑う必要はない」
「え?」
一々言い回しが難しいって、王様。
もっとわかりやすく言ってよ。
「無理を強いているのは承知している。そして、その見返りを貴様は求める権利がある」
「どういうことですか?」
「多少は、息抜きに付き合ってやると言っている」
不機嫌そうに眉間に皺を浮かべて、チョコレートをほおばる王様。
私もチョコレートをつまみ、口に放り入れる。
甘くて苦い、不思議な味。
「息抜き……。じゃあ、髪を触らせてもらっていいですか?」
「髪?」
「そうです。王様の髪。サラサラで綺麗そうなので」
胡乱げに私を見つめる彼に、私は教えられた口元を緩く上げる動作をしてみる。
私、頑張っているでしょ?
そう、訴えかけるように。
「だから、無理に笑うなと……。まぁ、良い。好きにしろ」
「ありがとうございます!」
努力がちょっと認められたようで。
気になっていた三つ編みを解いてみたくて。
私は迷いなく王様の髪に手を伸ばし、解いた。
「うわーっ、やっぱり綺麗! サラサラ!!」
「耳元で騒ぐな、小娘!」
王様はやっぱり俺様だったけど、私の手をふりほどこうとはしなかった。
第二話までお読みいただき、ありがとうございます。
淑女修行はまだ続きますが、次話では少しだけ息抜きが入ります。
次話も楽しみいただけましたら幸いです。




