第4話:女神の16ビート――刻め、異世界リズム――
一郎達を包む眩い光が晴れた後、既に空間は装いを変え、漆黒の虚無は完全に晴れていた。
瞼を開けた先、一郎の視界へ現れたのは堆く聳える白亜の石柱に囲まれ、天高く荘厳なステンドグラスで彩られた天窓。
ステンドグラスに彩られた陽射しが柔く降り注ぐ神秘的な空間の中央、そこには三人の女神達が並び立つ姿を模した石像、その肌は神殿と同じく鮮やかな白、それぞれの象徴色と思しき「赤」「青」「黄」の宝玉がそれぞれの手に携えられている。
紫紺の毛氈が敷かれ伸びる祭壇の下、そこに一郎達は転送前と同じ状況で傅いていた。
「……もう顔、上げて頂いて結構ですよ、転生後転入手続きの方……ですよね?
ようこそ、ア=リフレトルへ…
俺…じゃない、私は女神シメイジルに仕える司祭兼、セア=ミラス(運命の三女神)教団所属「転生者管理官」…トマルと申します。
あ、因みに、ココに並んでおられる三女神の像は…
安寧と芸術を司る蒼月の女神「マイタケル」
慈愛と豊穣を司る大地の女神「エリンニルギル」
そして、栄光と闘争を司る太陽の女神「シメイジル」…それぞれのお姿ですね」
眩さと荘厳な空気にしばしばと瞼を眇めては瞬きを繰り返す一郎へ声をかけたのは、人間の耳辺りの位置に猫の物に似た耳、動き易そうにカスタマイズされているのであろう法衣の隙間からすらりと伸びるのは髪と同じ蜂蜜色の毛並みを蓄えた長い尻尾の、年の頃なら20代前半に見える青年。
「えっ、あっ、は、はいっ!よ…よろしく……お願いします?
(ね、猫耳…少女じゃなくて男子…本物の異世界……なんだな、ココ…)」
「ヤマさん…天使である私達までお邪魔して良かったのでしょうか?」
「異例の事態ではあると思うけど……シメイジル様のお考えは量りかねますし……
此処は、大人しく黙って成り行きを見守りましょう」
土下座姿勢のままで顔を跳ね上げた一郎は、猫耳と尻尾を携えた青年司祭の姿に瞠目し、神と邂逅した時よりも鮮烈に「異世界」の空気を感じ取れた様子で嘆息する。
そんな感慨深さを打ち消す様に、視界の端では、相変わらず頭上から文字通りの上から目線で彫像の真上辺りで脚を組み、スマホっぽい何かを弄り欠伸を漏らす女神であるシメイジルの姿。
何もかもがイレギュラーな事態であるらしい状況に、戸惑いつつ一郎の傍で控えるアダチエルとヤマエルは、その光景を見守りつつ、一同の周囲で何やら緊張の面持ちで儀式の準備に勤しんでいる他の神官や助祭達に、ぺこぺこと儀礼的な会釈を送るアダチエルとヤマエルの二人、その姿は派遣の面談に付き添う営業スタッフの如しであった。
「はーいはいはい、転生完了……トマル、後の手続きはよろしくねー。ボク、力使い過ぎたから疲れた~……」
「……畏まりました、ではイチロー、さん?でよろしかったですかね、お疲れでしょうしなるべく手短に手続きを進めますので、此方の祭壇までお越しください」
溜息交じりに項垂れつつ、用意されていたらしい書類の束や何やらキャッシュカードサイズの金属板を祭壇の上へと並べ一郎へと苦笑い交じりの手招きを見せるトマル。
小走りに祭壇へと駆け寄る一郎の視線が、彼の持つ分厚い経典と珍しい光沢を放ち輝く金属板へ釘付けになるも……
『転生後の生活に関するしおり』と銘打たれた書類、『霊格昇段の儀ガイダンス』等、何処かで見た様な題名の表紙の数々が丁寧に纏められ、更にトマルとシメイジルの遣り取りから、この世界では『転生』と言う物が「神秘的な物」ではなく極めて事務的でシステマチックな物か思い知らされる。
しかし――先程から視線が妙に低い。
いや、明らかに、縮んでる。
腕が細い。肌もツルツル、すべすべ。
身に着けていたワイシャツも袖が余り肩の辺りがずれ落ち、スラックスもだぼだぼと裾を引き摺り、靴もサイズが一回り縮んだ様に踵が浮く。
「……?ん?な、何?なんだぁ!?体が妙にスッキリと言うか……重くないし汗臭くない!!
身体が軽い……もう何も怖くない!!感じがする…!」
「えっ、えっ!? イチローさん、なんかちっちゃくなってません!?頭一つ分以上!」
「CV:岩田光男っぽいのは変わらないけど…明らかに縮んでる…完全に懐かない野良猫ぽい見た目だけど…平さん!」
三者三様にきゃっきゃと驚きつつ色めき立ちつつ、転生後の手続きは何処へやらとばかりに一郎の頬を両手でもちもちと挟んだり髪をわしゃわしゃと掻き撫でてみたり。
捕らえられた宇宙人ごっこ的に両手を繋いで持ち上げられてみたりする一郎、アダチエル、ヤマエルの三人。
そしてその光景をチベットのスナギツネ的な面持ちで見守る…トマルの姿。
『若返ったって言ってあげなさいよ』
スマホ端末的な物に集中していたらしいシメイジルが視線は外さぬ侭に、軽く鼻で笑う。
『魂状態じゃこっちの世界に顕現できないからね、ボクからの特別サービスで
『最もポテンシャルが高い時期の肉体』を授けてあげたんだよ、転送の魔法陣に「肉体形成」の魔法陣を組み込んでね。
ほんとは41歳のまま来るはずだったけどさ?今の身体は10歳位の時まで若返ってる筈だよ。
キミのなけなしの「徳」を使って…ほら、ウチの世界「アットホームな世界」だから』
相変わらず小馬鹿にした様な、文字通り上から目線なシメイジルの大変恩着せがましい言葉を受け、ふるふると小刻みに肩を震わせ両手の拳を握り固めて項垂れる一郎の姿に、とうとう堪忍袋の緒が切れたかと察し宥めるべくアダチエルが一郎の背中に手を副える。
「アットホーム有難うございまぁあぁああッす!!!!
誠に過分なる御配慮を賜り、この平 一郎、心底より!!伏して!!深謝申し上げ奉りますぅう!!!」
「……イチローさん、土下座に何のためらいも無いですよね…」
「……プライドで飯は食えない派の人、なんでしょ……平さん」
感激による戦慄きであったらしく小柄になったにも関わらず、先に披露した土下座よりも更にキレ味も鋭く流麗且つ軽やかな土下座で感涙に咽びつつ額を床へと擦り付ける一郎の姿に、ヤマエルとアダチエルの二人も妙な悟りを得た様で、すん、と再び傍へ控える。
その後は手慣れた様子でトマルによる事務的な説明が続く。
用意されていたダマスカス鋼の様な紋様が美しい金属板は、この世界における身分証明書的な物であるらしい、精神成熟度証明書、略して『マイマカード』である。
額へ触れさせる事で一郎の顔画像が転写され、あらゆる情報が淡い光の粒と共に注がれて記憶されて行く。
マイマカードの券面に刻まれた名は、平 一郎 ではなく……
――『タイラー・イチロー』
続いてこの世界での報酬や給付金振込用の口座開設、身分登録――すべてが神殿内で一括対応。
驚くほどスムーズ。
「えっ、あの、これってもっとこう……神秘的な儀式とかないんですか?魔法陣とか魔術的な機械でブワー!とか……」
「有りませんね、大事なのはサインと同意だけです。
それに今年に入って……あなたで三人目ですし、多いと一年に十人以上なんてこともザラですよ」
あまりにも淡々と、順調過ぎる程に静かに、粛々と進む手続きは役所の事務手続き処理の空気に似て、何処かもどかしく落ち着かない様子の一郎は、あまりにもファンタジー世界感が無さ過ぎると訴え混じりに書類へ羽根ペンを走らせるが、トマルの方は「その質問も聞き飽きた」と言いたげに溜息交じりで書類を受け取り、「承認」の朱印を端へ押印。
「……それだけ試用期間で辞める方が多くて。転生者だからと言って優遇されたりなんて事も無くシビアな世界ですし、大抵…
『話が違う!』
『ハーレム出来ない世界なんて居られるか!俺は元の世界にかえる!』
『非正規転生って何だよ!最低保証賃金って何だよ!!』……って怒って帰られますね」
「ブラック(異世界)じゃねーか!!!!!」
いともたやすく告げられるえげつない事実に、脊髄反射で手渡された書類一式を床へ叩き付けてしまう一郎。
アットホームを謳いつつブラックな職場の数々と世知辛い人生に諦観していた生前の記憶。
それと寸分の狂いも無く同じ状況である異世界への転生、その残酷過ぎる程にお約束な展開は、一郎のか細い希望をへし折るに十分過ぎる威力であったらしく、土下座とは違った形で地面に伏し嘆き悶える。
一方その頭上で、アットホームな異世界の女神ことシメイジルはというと――
『だべってないでちゃちゃっと終わらせてよー。ボクこの後、姉さんたちと打ち合わせあるんだから』
イヤホンぽい何かを装着し、出雲の人っぽいキャラが活躍するアニメ動画を見ながら腹を抱えて笑っていた。
「……あの方、女神としての実力は本物で、大変有能な方なんですが、上司としては、うん……」
一郎が散らかした書類の類を集めつつ、溜息交じりに頭上の女神を指さしつつ、やれやれと諦観した様子で首を左右へ振って見せるトマルは完全に零細企業中間管理職の憂鬱な表情その物と言った風情。
「……完全に、シゴデキ系パワハラ上司、ですね…この世界へ転生した皆さんの大半が、即リタイアされる理由に合点が行きました」
何となく通じる苦労を察したのだろうか、眼鏡のブリッジを中指で押し上げながら同じく首を左右へ振って眉間の皴を揉み解し同じく視線を女神へと向けるヤマエル。
「…イチローさん、今ならまだ間に合いますよ、この世界でなくとも…その、もう暫く幽世で良い転生先探し、頑張ってみませんか?」
そんな二人の気苦労を分かち合うかの様な情景とは裏腹に、床へと伏せた侭で嘆き悲しみ続ける一郎の背中を労いつつ撫で擦るアダチエルではあったが、このシビア過ぎる現実に打ちのめされた無辜の魂を如何に宥め励ますべきか、言葉も歯切れが悪くなる。
「それでも…俺……俺、は……ッ
働ぎだいッ!!!!!」
荘厳なる空間、静寂を切り裂き響くワーカホリック、魂の雄叫び。
嘆き悶えて居た一郎が、涙と鼻水と涎とでぐしゃぐしゃに塗れた表情を悲痛に歪めて床を掻き毟り、咆哮する光景に、呆然とした様子で見詰めるアダチエル、ヤマエル、トマルの三人、そして周囲で固唾を呑みつつ控えていた助祭や神官達。
働く事に疲弊し切っていた筈の身体が、労働を求めている。
逃げ出したかったのに諦めていた。
ただ、働き、食べて、寝る、それだけの人生に虚しさを感じていた筈なのに。
「無職」と言う恐怖、「働けない時間」の重圧、嫌と言う程に刻み込まれた屈辱の記憶が、一郎の魂を揺さ振ったのだろうか。
『アッハハハハハ!……ザコの割にいい根性してるね、キミッ!
いいじゃん……改めて…ようこそ『ア=リフレトル』へ……
ボクが刻み込んであげるよ……『もっと厳しい現実』をね……』
周囲のシンと静まり返る空気を打ち破る甲高く愉快痛快と言った様子で両手を打ち鳴らしながら笑い、至極満足気に、そして何処か邪悪さすら感じられる歪な微笑みを浮かべ、一際強く射し込む陽光を背に大仰に両腕を広げて見せるシメイジルの姿は紛れも無く「女神」であった。
この後、一郎は知る……この世界……
そう『異世界の現実』
そして『正規転生者への道程の険しさ』を……
――…え、まだ導入?そろそろヒロインとか出そうよ、そんな第5話へ続く……――




