第5話:選ばれる私じゃなくて、私が選ぶ道
「斗真、この前のアイデアのことだけどさ…」
呼びかけると、斗真はあっけらかんとした笑みを浮かべた。
あの会議で、彼が自分のもののように披露した企画。私は穏やかに言葉を探した。
「……あれ、私が話したことを、そのまま使ってたよね?」
「え?いやいや、それも俺の“情報収集”の一環だから。
大事なのはアイデアの内容じゃなくて“誰が言うか”なんだよ。」
彼は軽く肩をすくめる。
「凛の思い付きだって、俺のおかげで形になるんだ。むしろ感謝してほしいくらいだよ。」
——呆れた。
笑みを浮かべたまま、心の中で、すとんと何かが切れた。
「斗真……もういいよ——」
「それよりさ」彼が遮る。
「エリが妊娠した。結婚するんだ。俺は家庭を持って落ち着くよ。」
「……は?」
頭の中に疑問符が浮かんでいっぱいになる。この男は、何を話しているのか。
ニンシン?
エリ?
彼女は……私じゃないの?
「エリって誰?」
「総務の派遣の子。俺が居ないと人生やってけなさそうなやつ。」
生涯を共にする相手への、それが言葉なのか。
敬意の無さにめまいがして、膝をついた。
「だから、悪いけどさ、もうここには来ないでくれる?
で……落ち着いたらまた会おう。俺の“一番”は、凛だから。」
フローリングに突いた手のひらに、力が入る。
こんな、内から怒りが湧き出る体験は、生まれて初めてだった。
けれど、呆れが怒りを追い越し、声すら出なかった。
上着を掴み、部屋を飛び出す。斗真は追いかけても来ない。
私はスマホを取り出し、短いメッセージを打った。
≪話できる?≫
合流したのは、街道沿いのファミレス。
夜十時を過ぎても、セントラルキッチンで作られたメニューとドリンクバーが、魔法のように存在し続けている。
不思議なことに、向かいに座った真鍋和子の目元には、自分と同じような影が差していた。
報告したい事は山ほどあるのに言い出せず、表面的な話題でお茶を濁してから、ふと沈黙が流れた。
向かい合う彼女も、何かタイミングを見計らっているようだった。
ズズッ…と、ストローでアイスティーを飲み干し、意を決して伝えた。
「斗真、結婚するの。」
「あ、うん。」
真鍋さんが手元に目線を落とした。
「相手は総務のエリさん。妊娠したみたい。」
「え?」
驚いて顔を上げた彼女に、私も笑って返す。
「二人、付き合ってたんだね、知らなかったよ。これが地雷かぁ」
二人の間に、薄い笑いが零れた。笑いは乾き、すぐに怒りに変わる。
「ごめん……私、知ってたんだ。斗真とエリのこと。」
目に涙を浮かべ、彼女が口を開いた。
「知ってたのに、言えなかった。
斗真をかばってたんじゃなくて……あなたを傷つけたく無くて…」
彼女の責任で無いことは明らかだし、私より斗真との付き合いの方が長いはずだ。
なのに、なぜこんなにも私に真摯に向き合ってくれるのだろう。
「今の今まで、斗真の結婚相手はあなただと思ってた。」
ぷっと吹き出した。とんだ誤解だ。
私達は、他の客が振り向くほど大爆笑した。
「斗真はホント馬鹿だよねー!」
それから私達は、斗真のアホな癖、身勝手な発言、無神経な態度。
お互い、長年溜め込んできた“斗真のディスりネタ”を披露し合った。
ドリンクバーのグラスが並び、気づけば四時間が経っていた。
喉はからからで、でも心は少しだけ軽くなっていた。
不意に、虚しさが訪れる。
「あー、もう、話してたらおなかすいちゃった。」
その感情に気付かない素振りで、テーブル際のタブレットをのぞき込む。
真鍋さんが、ヨーグルトパフェのボタンを押しながら言った。
「……あいつら、今、幸せの真っ只中なんだよね。」
言葉が空中で重くなる。
涙が溢れ、二人して大泣きした。
女二人が泣いているのは迷惑だろうに、気の利いた店員がボックスティッシュを置いて行ってくれた。
いい店だ。また来よう。
泣き疲れた頃、真鍋さんが目を拭きながら言った。
「ねえ、私たちで会社やろうよ。社内起業の公募プラン、まだ枠あるんじゃない?」
胸が、ほんわりと明るくなった。
——代わりに、何かを掴みたい。
「事業計画は……私が営業と広報と企画。真鍋さんは調査と法務と財務。」
「うん、いい組み合わせじゃない。やれるね。」
屋号はすぐに決まった。
“Respect for the Future” 未来へ尊厳を。
「収入も不安定だろうけど、今はいろいろ忘れて夢中になりたい。」
「そうだね。……あの男は損切りしとこう!」
二人は笑った。涙でぐしゃぐしゃの顔のまま。
具体的な計画は何もなかったけれど、でもこの二人ならどうにかなる自信があった。
最初の受注は、中小ブランドの地域プロモーション企画だった。
私は「顧客の顧客」を読んで先回り提案する。
真鍋さん——和子は、契約体系と数字を設計して、資金を工面する。
初めての収益、初めての承認。小さな成功が胸を熱くした。
スキームを確立してからは格段に仕事がやりやすくなり、中小企業の再生支援事業は本社から表彰される程の成功事例になった。
——三年後。
私達は、二人の名前が並んだ開業届の控えを手にしていた。
結局のところ、収益が軌道に乗ると社内起業会社は本業に組み込まれてしまい、様々な規制を受けることになった。
それならばと会社を離れ、今日から二人だけの会社を立ち上げる。
オフィスは虎ノ門。
レンタルスペースの一角、机一つ分でも、ブランド力を得た気分だった。
振り返れば、斗真のプロジェクトは彼の手に負えなくなり、実績ある上司にマネージャー職をさらわれていた。
——私のサポートが受けられなくなったのだから、彼の仕事の粗さが表面化したのは、簡単に想像がつく。
今ではメンバーに降格させられ、ぶつくさ言っているらしい。
しばらくはオフィスで彼の姿を追う日もあったが、もう視界にも入らなくなっていた。
開業準備を終えた夜。少し高めのバルで乾杯したあと、私たちは愛宕神社の出世の石段に来た。
高低差二十六メートル、八十六段。
江戸の昔、馬で駆け上がれば出世できると言われた急勾配。
夕暮れ、都会の喧騒を背に、二人だけの儀式が始まった。
残念ながら馬は無いので、令和の私達は二本の脚で駆け上がる。
私は5センチのヒールで来てしまった事に気付き、苦笑して脱いだ。
「裸足のほうがまし。」
すると和子も、いつものスニーカーを脱いだ。
彼女らしくないとも思ったが、高揚した頬を見て納得した。もしかしたらお酒に弱いのかも。
「今日はちょっと、道理に合わないことをしてみたくて。」
「ちょっと待って、えっと…注意事項があってね…」
手元のスマホを読み上げる。
一つ、黙々と一心に取り掛かれ、口を利かずに登り切れ。
一つ、勝利への道を見定め、途中で休まずに一気に登り切れ。
一つ、出世や成功の道は、迷わず登り切ることが大事。振り返ってはいけない。
一つ、躓くな。足元をすくわれないように注意せよ。
見上げると、伝説の地だけあってそれなりに大変そうだ。
大鳥居に向かって一礼し、裸足で一歩を踏み出した。
石の冷たさ、土埃のざらつき、足裏に刺さる痛み。それが逆に、生きている実感をくれる。
約3分。
息を切らして登り切った瞬間、私達は顔を見合わせて笑った。
なるほどな、と思った。
本気で信じている訳ではないけれど、昔も今もこういうアクティビティが決意を固める時には大切なのだろう。
ふと、時間を超えて江戸の時代の人々と心が通じた気がした。
「これで失敗したら?」私が言う。
登りきるとすぐ本殿で、意外と参拝客がいた。
「そのときはまた登ればいい。」和子が答える。
夜風が頬を撫でる。街の灯りが遠くに揺れる。
かつては、ここから江戸の町が一望出来たらしいけど、今では巨人のように立ち並ぶ高層ビルに見降ろされている。
私達の会社も、前の会社と比べれば蟻のようなものだろう。
でも、ここから先は、選ばれる私じゃなくて、私が選ぶ道。
未来へ尊厳を。
二人の合言葉が、胸の奥で熱く響いていた。




