第2話:彼女と私、何が違うのだろう(真鍋和子)
「詳細はまだ言えないけどさ……食品系の新規プロジェクトなんだけど。
真鍋の実務能力、買ってるんだよ。
一緒にやらないか。」
不意に切り出された新堂斗真の言葉に、胸が熱くなった。
法務担当として地味な書類ばかり見てきた私に、彼が直々に声をかけるなんて。心の奥底にずっと沈めていた片想いが、かすかに揺れた。
「わかった、やる。」
冷静を装いながら、答える声は少し上ずっていたかもしれない。
会社のカフェスペース。補助があるのでお安く本格ドリップコーヒーを飲めるこの場所で、私はあっさり100円分で買収された。
ずっと彼のことが好きだった。
大学時代から、同じゼミで顔を合わせるたびに心がざわついた。
でも一度も伝えたことはない。気持ちを打ち明ける勇気も、途切れたことの無い彼女の座を奪う策略も、私にはなかった。
なぜなら、私と彼では徹底的に釣り合わない。
長女気質と心配気質からちょこちょこと歩く私に比べ、彼はいつも大股で闊歩していた。
人間の骨格を美しいと感じたのは彼を見て初めて感じたし、自信あふれる声は聞いているだけで安心した。
物腰は柔らかく、滑らかに人間関係を泳ぐ話術に尊敬し、もし自分が男だったら斗真みたいな人間になりたいと思っていた。
社会人になってから、一度だけ斗真を自分の部屋に招いたことがある。
狭いワンルームで、夕食に作ったカレーを食べ、缶ビールを一本ずつ。
交代でシャワーを浴びて、買っておいた予備のTシャツを貸してあげた。
胸が高鳴って眠れないまま過ごした夜。
もしかしたら、というか、ついにそうなるのかと心していたのに。
……けれど、びっくりするほど何もなかった。肩と肩が触れ合う距離にいても、彼はただいつも通り話していただけだ。
その後、彼は笑ってよくその話をする。
「俺さ、男女の友情はあると思う」って。
きっと、彼にとっては誇らしいエピソードなのだろう。
私はその解釈を受け入れることにした。
あの夜の緊張も、私の片想いも、なかったことに出来るから。
翌日から、私は食品分野の法規制を徹底的に読み込んだ。
過去の失敗事例を洗い出し、チェックリストを整える。実務的な視点から「ここを押さえなければ事業は危うい」と懸念される項目が浮上し、タイムスケジュール的に早急に取り掛かるべしと指摘した。
けれど、斗真の反応は拍子抜けするものだった。
「かわいくねぇなー。
正確だけど冷たいんだよ、真鍋の言い方はさ。
もっと高い目線で“見守る”感じにできない?」
——かわいくない?
心の奥で小さな針が刺さる。私は彼の役に立ちたいだけなのに。
冷たいと評されることには慣れていたけれど、彼に言われると体温が奪われていくようだった。
その日の夜に、プロジェクト発足予備会と称して飲み会があった。
なぜか総務部の派遣社員、比留間エリの姿もある。金髪に近いブラウンの髪を巻き、体の曲線も露わなワンピース。
場違いなほど色気ダダモレだったが、周囲の男性社員は彼女の周りに蠅のように群がっていた。
会社でそれなりに実績を積んで来た私の元には、飲み会の場を利用して“個人的な法律相談”を持ちかける社員が暗い顔でやってきては去り、気が付けば宴の終盤となっていた。
トイレから戻って来た斗真が寄ってきて、小声で耳打ちする。
「悪い、エリと帰りたいからさ。三人でタクシー乗ることにして、口裏合わせて。」
私は一瞬、返事をためらった。
確か彼女が居るんじゃなかった。いや、もしかして別れたのかも?
でも、口を開いたときには「いいよ」と言っていた。
——それからが地獄だった。
斗真は私に、友達ノリでエリとの関係を暴露しだしたのだ。
「続かないんだよなぁ、エリとは話が。
ちょっと知性が足りないというか……
でもベッドの上だけはオールA。相性は最高。」
私はおしぼりを握りしめ、笑って受け流した。
だが、心の中はざらついて仕方なかった。なぜこんなに嫌な気分になるんだろう。彼が私を恋愛対象に見ていないなんて、もうとっくに分かっているのに。
「今、彼女いるよね?」
「エリはセフレだから、お互い納得してるから大丈夫。」
その軽い物言いが胸に突き刺さった。
尊敬してきた人が、こんなふうに女を“区別”して扱っている。
私は黙って聞き役に徹するしかなかった。
翌週、社内のエントランスで斗真の彼女を見かけた。
——和泉 凛
すれ違った一瞬で、その場の空気が変わる。華やかで、淡い光を帯びて、誰からも好かれる雰囲気を持つ人。
私にはない魅力の塊。彼が選ぶのも納得だ。
対して私は、斗真から尊敬はされても「選ばれる」ことのない存在。
彼女が立ち去った後、サインボードの位置が変わっている事に気が付いた。
時期もののクリスマスツリー設置で人の流れが変わり、照明の追加で死角が出来た。
それを読んで、彼女が移動させたのだろう。来場者の目に入りかつ邪魔にならない場所に置き直してあった。
直感で空間を読める人なのか。
そして、その仕事を誰に言うでもなく実行する“見守る”姿勢……。
私に欠けている“かわいらしさ”。
なんでこんな素敵な彼女がいるのに、斗真は浮気なんかするのだろう。
週明けの午後、大会議室。斗真が突然、“新規食品プロジェクト”を上層部へプレゼンするという。
"欧州市場を狙った、きのこ生産販売の新規事業"
会議室の空気が変わった。重役の目が輝く。資料には市場データと高級路線の切り口が鮮やかに並んでいた。
私は思わず息を呑んだ。
それは以前、私がまとめた調査資料の断片に、誰かの直感を重ね合わせたようなアイデアだった。
当時、徹夜で資料をまとめた日々がよみがえる。あの日の提案書が、今亡霊のように目の前に登場していた。
プレゼンを終え席に戻った斗真は、涼しい顔で声をかけてきた。
「俺が思いついたんだが……
偶然、真鍋の没ネタも見つけたから入れといたよ。」
確かに、私の過去のアイデアの延長線上にある。けれど、欧州市場や高級路線という視点は私にはなかった。
社内ナレッジを使ったのなら、発案者として私の名前を併記してくれても良いんじゃないか…
とも思ったが、既に彼のプロジェクトに参加すると承諾した身としては、私の成果は全て彼の手柄になるのかも知れない。
それに、受注減に悩まされていた欧州事業は、現状、売りに売られぬ塩漬け状態だ。先ずはそれに目をつけて発案したのなら、さすがとしか言いようが無い。
でも——これは本当に斗真が考えたのだろうか?
その夜、眠れぬ頭を抱えて何度も寝返りを打った。
時間を無駄にしている気がして、ダメとは思いつつもスマホから会社のグループウェアに接続する。
明日のスケジュールを再確認し、頭の中で仕事の優先順位を付ける。
未処理メッセージが”99+件“と表示されている。システムのカウント可能件数を超えていて、本当は斗真のプロジェクトに参加する余裕など無いのだ。
ふと、メッセージの送信者に、見慣れぬ名前があることに気付いた。
——和泉 凛
斗真の、彼女? 心がざわつく。
そう言えば、彼女は今日の会議で運営をしていたから、議事録の配信かも。
私はそっと、そのメッセージをタップした。
お読みいただき、ありがとうございます。
続きものです。




